2010年8月

ビデオ報告 被爆65周年原水爆禁止世界大会第6日・最終日(長崎大会3日目)

2010年08月09日

8月9日、長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の最終日として、「まとめ集会」と「非核・平和行進」などが行われました。その内容をビデオにまとめました。(約9分40秒)

北朝鮮が黄海の南北境界水域に約110発の砲撃を行い、うち約10発が韓国側水域に着弾。

2010年08月09日

ゲーツ米国防長官が国防総省と軍の組織改革案を発表。

2010年08月09日

 内容は、約5800人が所属する統合戦力軍の1年以内の廃止、文民・軍人双方の幹部ポストの削減などが柱。すでにゲーツ長官は装備品超脱を5年間で1千億ドル削減目標を明らかにしている。

日韓併合100年で菅直人首相が植民地支配に「痛切な反省とお詫び」を表明。北朝鮮には触れず。

2010年08月09日

長崎・65回目の原爆の日。

2010年08月09日

 式典にIAEAの天野之弥事務総長など32ヵ国の代表参加。田上富久長崎市長はNPT再検討会議で核保有国が、核軍縮交渉の期限設定に反対したこと、また日本政府が核密約で非核3原則を形骸化してきたことを厳しく批判。
 

被爆65周年原水爆禁止世界大会・長崎大会終える

2010年08月09日

 被爆65周年原水爆禁止世界大会実行委員会は、8月9日、長崎県立総合体育館でまとめ集会を行い、約2200人が参加。川野浩一大会実行委員長の「山は動きだした。この地球から必ず核兵器を廃絶できる」との主催者あいさつにつづいて、高校生国連平和大使、核廃絶高校生1万人署名実行委員会からの訴え、長崎から沖縄へ原水禁平和行進のタスキリレー返還、海外ゲストを代表し、アメリカの先住民アコマ族のメニュエル・F・ピノさんが連帯のスピーチ。また、藤本泰成・大会事務局長が大会のまとめを報告。「世界には核抑止論への根強い信仰があるが、原水禁は決してこれを許さない」と訴えました。集会は最後に、5月のNPT再検討会議を「不十分さはあるが核兵器廃絶への展望を開いた」と位置付け、広島市の平和記念式典に潘基文国連事務総長やルース米駐日大使が初めて出席し潘事務総長が核兵器禁止条約の制定を訴えたことを「大きな前進」と評価。その上で「日本政府は非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定すべきだ」とする大会宣言を会場の拍手で採択しました。そして、爆心地公園まで平和行進し、11時2分の黙とうを行い、原爆資料館を見学し大会日程を終えました。

大会宣言はこちら

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中国甘粛省甘南チベット族自治州舟曲県で大規模な土石流発生。死者多数。

2010年08月08日

【報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"-入門編-証言と映像による被爆の実相と平和運動交流-

2010年08月08日

会場:長崎市・ncc&スタジオ
参加者:230名(うち、大半が初参加者)

●「ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか
 原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後65年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。

●講演:山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会)
 広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニウム。
 原爆は投下された。この“投下された”ことが重要です。

1.私のこどものころ
戦争になると世の中はどうなったか
写真などの資料を見る
(1)日本人ならぜいたくはできない筈だ=お前はそれでも日本人か?
(2)竹槍訓練中の女性たち
(3)鬼畜米英
(4)断崖から身を投げる女性=命が粗末に扱われた
(5)クニヲマモレ=強い体をつくれ
  教育が戦争につかわれた。

2.私の8月9日
防空壕の向きが重要だった。
(1)板壁に焼き付いた影(4km地点ではしごと兵隊、ベルト跡が残る。
(2)私が歩いた爆心地
(3)被爆前(8月7日)の爆心地
(4)被爆後(8月12日)の爆心地
(5)爆心地の被爆した人は骨だけか何も残らない
爆心地から1kmで被爆した人は内臓の水分も蒸発
爆心地から4kmでは爆風で家の中が散乱

3.被爆者の願いはなにか
 2度と被爆者をつくらない=核兵器を「0」にする

4.願いは実現できるか
 憲法は国に戦争をさせない。コスタリカ、スイス、スェーデンに学ぶことはないか?20数ヵ国は軍隊を持たない国がある。長崎の高校生は「私たちは、微力だけど無力ではない」が合言葉ですが、このことが重要です。

質疑は新潟、佐賀、奈良
  平和教育を受けた子どもは、「学びを持っている」ことを大切にしなければならない。

●フロアからの意見
 長崎、大分、福岡、奈良から平和教育や学校現場について、青森、香川から長崎の歴史・戦争の体験を伝えていきたい、東京から歴史を学ぶときに「今」と結びつることが大切。

 最後に、今日、第8分科会に集まり学習したことを「私たちは、微力だけど無力ではない」の合言葉通り、平和運動を進めることを確認し、終了しました。

【報告】第7分科会/脱原子力2―交流・討論編

2010年08月08日

会場:長崎新聞文化ホール
参加者:約100名

西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
「再処理してプルトニウムを取り出すことは、核拡散につながる危険性が増す。日本の原子力開発とプルトニウム利用計画には整合性がない」。

小山英之さん(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)
 プルサーマルの危険性、六ヶ所再処理工場の大量の放射能放出、ガラス固化技術の行き詰まりや使用消火燃料の増大問題などの説明があった。

質疑
原発労働者の被曝について→原発の定期検査が増えれば、従事者の被曝量も増加していく。労災認定は非常に限られたものになっている。「隠された被曝」は多い。
「被曝労働なくして原発は動かない。」

各地報告
青森(反核燃の日)、福井(もんじゅ)、福島(プルサーマル)、山口(上関原発)、佐賀(玄海プルサーマル訴訟)、鹿児島(川内原発増設問題)

まとめ
 原水禁世界大会そのものの役割や具体的な取り組み、国民的議論など言うべきことは言う立場であると全体で確認したい。地球規模で核のゴミが今後の運動課題として、より大きくなると認識させられた。国策は地元の反対を金で押さえつけ、首をたてにふらせるやり方だ。しっかりデータなど公表させる取り組みも重要だと再認識した。今後秋に向け、エネルギープロジェクトも立ち上げていく予定であり、全国の反対運動へ連動させたい。

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