2010年8月
2010年08月08日
会場:長崎新聞文化ホール3F
参加者:103名(うち、初参加者38名)
講師:藤井石根さん(明治大学名誉教授)
海外ゲスト:オ・ソンイさん(韓国・エネルギー正義行動スタッフ・エネルギー白書発刊担当)
温暖化に起因するといわれている今日の急激な気候変動、自然災害の多発、そしてアメリカのオバマ政権誕生と日本の政権交代。地球環境が国際政治の共通テーマとなってきました。しかし、一方で「Co2削減のために原発によるエネルギー」という動きも強まっています。
このような中で、藤井先生の講演はきわめてタイムリーでした。
原発の燃料であるウランは極めて限られた資源であること、ウラン採掘から精錬、濃縮、発電、廃棄物処分までの間、膨大なエネルギーを消費し、Co2を出し、膨大な放射性廃棄物をだすこと、そしてその放射性廃棄物は半永久的に管理し続けなければならず、環境対策にはなりえません。再処理については、まだ六ヶ所村では本稼動はしていないが、原発より放射能を自然に放出するものであり、イギリス、フランスでも放射能被害と思われる疾病が拡大している実態があります。
また、韓国の環境団体「エネルギー正義行動」からは、厳しい状況での韓国における原発問題の取り組みの実態、韓国政府の原発輸出の動きなどが報告されました。韓国の政権はアラブ首長国連邦との輸出契約の締結など、経済活性化を原発輸出で行おうする一方で、反原発の活動への弾圧を強めています。
韓国政府が日本政府の原発政策を模倣して原子力政策を進めていること、反面、隣国韓国の原発輸出契約に触発されたかのように日本政府も原発輸出に懸命に動いていることなどからみれば、反原発のたたかいの日韓連帯は重要であることが改めて確認されました。
分科会では、延べ13名の方から発言がありました。
民主党の原子力政策に対する懸念が多く出されました。温暖化対策法案は、先の国会の参議院で否決されまだ成立していませんが、原発容認の政策です。昨年の政権交代以降、エネルギー政策については自民党より悪いという意見も出されました。
何点かの要望も出されました。現在、原発では放射性廃棄物が満杯になりつつあるいわれています。このような事態を少しでも乗り切るために「中間貯蔵」の施設を作る動きもあります。第一には、原水禁の基調の中に「中間貯蔵反対」を加えてほしいという点です。電力資本や民間の宣伝と国の原子力推進政策を反論していく上でも、より取り組みの強化が必要であることが訴えたれました。第二には、学校における「原子力教材」活用に反対する取り組みについても提案が出されました。
握手を交わす講師の藤井石根さんとゲストのオ・ソンイさん
2010年08月08日
会場:長崎県勤労福祉会館
第5分科会は3人のパネリストから報告をいただき、それを受けて会場からの質疑・討論を行った。全体では46人が参加し、うち被爆者が6人、被爆2世が12人参加した。
長崎県被爆者手帳友の会・副会長の中村キクヨさんは、ご自身の息子さんが白血病という病で他界された際、「この病気はお母さんからもらったものだ」と言われたことがいつまでも心に残っているということをお話されていた。また、以来、自身の被爆者としての経験だけでなく、2世の問題についてもご発言をされているとのこと。同じように白血病で子どもを亡くした被爆者から莫大な医療費の問題について聞いて、これは個人の問題ではない、国に援護を求めることが重要だと訴えた。
長崎県被爆2世の会・会長の丸尾育朗さんは、「2世は大半の人は元気だが、病気で苦しんでいる人たちや、なくなった人もいる。それを私たちが訴えていく。影響が全員に出るわけではないが、出た場合は国に補償してほしい。また、2世の健康診断にがん健診を加えるべき」と政府の被爆2世問題への対応の不備を訴えた。
全国被爆2世団体連絡協議会・会長の山崎幸治さんは、「被爆2世の健診は1978年から国が予算をつけて行われているが、何の法的根拠もない。国は、2世、3世の問題を正式に認めているわけではない。このため、被爆2世の正確な数も分からない。平均年齢も50歳代ということで、がん世代になってくる。がん健診を加えることが必要」と現状を説明するとともに、今後の運動の方向性としては、「今までは2世の活動は労組の活動を通してやってきた。地域の2世団体との連絡・連携が課題になっている」と、2世がこれからの運動の先頭に立つことと、親の被爆体験の継承を挙げた。
お3方とも、親の被爆と2世の健康問題への影響が科学的に明らかになっていないため、2世が病気になったときに「親の被爆のせいではないのか」という気持ちを持ってしまうという点を指摘していた。今後の取り組みの方向性として、放影研の今後の継続調査で真に科学的結果が出されるために働きかけを進めることも挙げられていた。
会場からは、被爆2世の教員から、「2世健診があることを知らない2世の教員が多い。また、職場の健診があるから良い、と受けない人もいる。2世が健診を受けることで問題を継承していく必要があるのでは」という指摘があり、山崎幸治さんからは「2世健診でピーク時は19万人が受けていたが、微減が続き17万人台になっている。内容があまりに貧弱で、もう一度受けよう、と思える内容でないからではないか。私自身も、職場の健診があるなかで、2世健診には行かない年もある」と、健診内容の充実が課題であることが再度強調されていた。
このように、分科会では2世に関連する国の施策の充実を求めていくことが重要課題として出されていた。そのなかでも、親からの体験の継承や、3世、4世への継承の問題も出されていた。この部分は、来年以降の原水禁大会に向けた重要な課題となると思われる。
2010年08月08日
会場:長崎県教育文化会館2F大会議室
参加人数:84名(内、初参加約70名)
朝鮮人は、なぜ被爆しなければならなかったのか。現代の歴史上でほとんど語られることはないが、吉田松陰、福沢諭吉らは、アジア全域への明確な侵略思想をもっていた。この流れを受け、朝鮮半島への侵略により不当なかたちでの併合条約の締結が行われた。強制連行により、日本へ連れてこられた人々も当然ながら、土地を奪われた朝鮮人らは、やむなく広島や長崎へ渡り、低賃金で重労働を余儀なくされた。国を奪われ、土地を奪われ、名前を変えさせられ、朝鮮民族という誇りを奪われ、人格まで否定された当時の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたい。韓国併合100年を機に、「保護条約」も「韓国併合」も当初から不法・無効と宣言すべきである。これこそ今日本政府に求められている政治決断であると言える。
また、在外被爆者への援護などの面からも、日本政府の対応についての批判が出た。被爆者健康手帳の効力を、日本国内のみに限定した1974年7月の厚生省「402号通達」は、在外被爆者を排除する内容であることは明らかである。また、原爆症の認定に関しては、いまだに来日が必要であるという点も、今後争っていくべき課題である。いづれにしても、高齢化していく被爆者にとって、何事も時間をかけ裁判で争うしか方法がないということは、在外被爆者の辛さである。アメリカによる原爆投下への謝罪以前に、日本による朝鮮半島侵略・強制連行・従軍慰安婦問題などに対する謝罪が行われるべきである。
参加者からは、在外被爆者への医療費援護に対する具体的な質問が多く出された。日本の被爆者と在外被爆者の差別の実態はどうか。日本の被爆者は医療費の助成に上限が無いのに対し、在外被爆者は年間16万5千円に制限されている。また、被爆直後の在日朝鮮人に対する初期医療について、朝鮮人だと判ると手当をされない、強制労働により自分たちが掘った地下壕に入れてもらえなかったという証言が多数存在するという報告がされた。長崎市による軍艦島の観光資源化に関連し、島にまつわる強制連行の事実などがクローズアップされないとういう事に対する憤りが参加者から発言された。
韓国国内においても、被爆2世、3世の問題は大きい。この問題を解決するためには、日韓の連携や議論が必要であるが、在外被爆者に対する差別は現在の日本政府にも続いており、このような姿勢は恥ずかしい事である。「朝鮮人はなぜ被爆しなければならなかったのか」という所から、もう一度日本の犯した過ちについて考え直し、そこから我々の運動を構築することが必要である。
講師の高實康稔さん(岡まさはる記念館理事長・長崎大学名誉教授)
ゲストの郭貴勲(カク・キフン)さんは元韓国原爆被害者協会会長
2010年08月08日
会場:長崎市・NBC別館3Fビデオホール
参加者数:200名(うち、初参加者70名)
第3分科会では、講師3名の講演と1名の報告を受けた後に、参加者との質疑応答を行った。
初めに、フォトジャーナリストの豊崎博光さんから「世界のヒバクシャ“ニュークリアー・レイシズム”」と題して、世界各地でのウラン採掘や核廃棄物処理、核実験などによって先住民をはじめ、様々な人々がヒバクしている現状を、スライドを交えて明らかにした。また、原爆や原発事故だけからヒバクするのではなく、ウラン採掘などからもヒバクは起こりうることを自覚して、視野を広げて運動に取り組んでほしいと訴えた。
次に、海外ゲストで米国の先住民であるメニュエル・F・ピノさんが、出身地である米国南西部の「フォー・コーナーズ」周辺地域でのウラン採掘による、環境汚染やヒバクについて自らの体験をもとに講演した。また、昨年からは、日本の住友商事がカナダの会社と共同で、ニューメキシコ州グランツ鉱脈のロカ・ホンダで新たなウラン採掘プロジェクトを進めており、先週住友商事に直接出向き、プロジェクトの問題点を指摘するとともに撤退するように申し入れたことを報告した。
この報告を受けて振津かつみさんが、ピノさんの申し入れに対する賛同を訴えるとともに、劣化ウラン兵器の使用禁止に向けた自らの取り組みを紹介した。その中で日本政府は今、官が風土の汚染やヒバクなどのしわ寄せを受けていることを認識すべきだと強調した。また、参加者に対しても今日学習した事実を多くの人に広めるよう要請した。
最後に、全国被爆体験者協議会会長の小川博文さんが「被爆体験者」について報告しました。現在、国が「被爆体験者」を「被爆者」とは認めない差別政策を取り続けていることを解消するために、裁判闘争を展開していることを語り、署名活動への協力を要請しました。
その後、7名の参加者から講演に対する質問があったが、質問者の多くが初参加の若い人だったことが印象的であった。また、若い女性が英語を交え、海外ゲストに質問するなど、活発な討論が行われた。
2010年08月08日
会場:長崎市・長崎ブリックホール3F国際会議場
第2分科会は、『東アジアの非核化と日本の安全保障政策』ということで、冒頭、基本ル-ルと基調の提案を終え、始めに舟越耿一さんから提起を受けた。その内容は『NPTにおける新聞報道での被爆者の渡米に対する意見は米国紙の意見は様々だが反核のメッセ-ジが伝わっていないことを始め、核の威力は伝わっていても、その被害の実態が伝わっていないことや、被爆証言も米国からすれば逆に被害意識もあり拒否される中で「核兵器をなくすこと」だけでなく「戦争をなくすという視点での取り組みの重要性など触れられ、そういう中で戦争をなくすという事は、一国だけの意識では成立はしないし、日本や朝鮮・東アジアが平和でなければ日本の平和も成立しないこと」など述べられました。
左から前田哲男さん、舟越耿一さん
また、海外ゲストのスヨルさんからはプロジェクタによる説明も含め『天安艦事件を含む米国・韓国の対応と、その中で、どう天安艦事件を理解すべきかというとの背景をアンケ-ト調査を基に、韓国での地方選挙への利用や、反面、軍事衝突の危惧、イ・ミョンバク大統領の対応への支持にもつながっている中で、天安艦事件によって周辺国の軍事力増強につながっている事、こうした事から天安艦の沈没という結果のみにとらわれるのではなく、背景にある対立や敵対的政策など歴史的結果として捉え、支配階級の連携以上に、私たちの側の連携を強めていく事が課題』ということが述べられていました。
また、前田哲男さんからは、『普天間基地問題を始め、この1年の中での期待から失望へと変化している民主党政権の動きの中でも旧政権に戻さない取り組みの重要性や、この間の安全保障の歴史、そこから、私たち自身の安全保障を考える上で、地球ぐるみの安全の課題である環境やエネルギ-など、様々な分野の安全保障として地球規模での安全保障の必要性などにも触れられ、一方では「自由を守るために抑圧される」という現在の安全保障というジレンマの中で、我々が真に安心できる安全保障をどのように具体化をしていくのか、共通の安全保障の策定していく事がこれからの課題である』ことなど触れられてきました。
海外ゲストのスヨルさん(右)
<質疑>
□神奈川ではヘリ空母が造船されている。2番艦、3番艦では3万トンクラスのもの。なぜ、こんなものが作られる。必用なのか疑問を持つ。政権は変わり様々な追求をしても予算は減らない。
□多面的な安全保障の問題として、東アジアをどうしていくのか?東アジアで安全保障についていかに盛り上げていくのかが課題になっていると感じた。
□普天間基地問題は8月には「方向を出す」と言われている。今後どうなっていくのか。憲法を変えようと思えばいつでも変えられる。地元に帰った時に憲法を守らせる取り組みも大切だと感じた。署名などやりながら一軒一軒話を聞いたりもしている。マスコミから色々言われている中で説明をしていく。何を具体的にどんな事をやればろうかいいだろうか。
□侵略戦争・被爆者が何によって生み出されているのか考えさせられた。イラク戦争などでも労働者が失業となれば軍隊にはいらざるを得なくなる矛盾など、そこも含めて考えていかなければならない課題ではないか。
<答弁>
■特に中国からの留学生も多く、就職斡旋も多くなっている。少子高齢化など日本の将来に見て、そうした事もおきている。日中間での相互移住という中で英語ではなく、多言語でお互いに教えあっていた。その時とても交流が進んだ。多言語主義で平和の溝も超えられる。東アジアでも多言語主義というのはものすごく緊密な関係になれるものだと感じた。
■憲法9条など草の根運動として継続していくことが必要。もう一つは25条との関係で生存権があるのに、一方では派遣切り・失業が横行している。それを保障する権利もある。
■8月までに結論となっているが、そのまま実施計画になるという事ではない。技術的な問題も出てくるが、それ以降となる。普天間基地問題については「何をもって解決か」という事もあるが少なくとも沖縄に海兵隊は必要ないという意見は米国内でもある。
<各地報告>
神奈川より、核密約の問題が明るみに出る前は、核兵器積んでいるのか積んでないのかわからないまま、原子力空母ジョージワシントンの母港化がされた。見直しに向け取り組みを強めている。また、修理の問題もあり、修理・メンテナンスという事で放射性物質の移送など、危険な作業も発生している。また、神奈川では知事が安保50周年記念式典を神奈川へ誘致している。抗議・撤回を求めている。
<運営委員感想等>
最後に、各運営委員より感想として『核兵器だけでなく戦争そのものをなくすという視点に学んだ』『歴史を知り、謝罪し、戦争を起こさないために共同して取り組むことが必要』だと感じた『平和の取り組みについて東アジアを始め共同してやっていかなくてはならない事を感じた』など出され、川野浩一原水禁議長の感想として『心の中で様々な気持ちもある。それは核の問題でも職場の問題でも同様。今日は様々な事を学んだ』が出され、閉会挨拶となった。
2010年08月08日
会場:長崎ブリックホール3F国際会議場
講師:田巻一彦ピースデポ副代表、平岡秀夫民主党衆議院議員
海外ゲスト:ポール・マーティン米国・ピースアクション政策担当
●具体的な内容
田巻一彦さん
「日本から核兵器の廃絶を発信すること。そのための北東非核兵器地帯化を当面の重要な課題と位置付ける」。という内容の提起。
2万3000発の核兵器庫をゼロにすることを心に刻み、核兵器の悲惨さ、非人道性、国際法に照らして違法であるとの判断が、国際的には敗戦50年後だった。(1996年、核兵器の威嚇、または使用の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見)。
日本では、63年(55年提訴)の「下田裁判」東京地裁判決の中で、本訴は棄却されたものの、「…当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」との見解が示されている。残念ながら、核兵器そのものを禁止する条約はない。
核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、全会一致で「核保有国による核兵器廃絶の明確な約束」を盛り込んだ最終文書が採択されたことと、核兵器禁止条約の検討がなされることになったのは成果である。このことにかかわり、岡田克也外相は「核兵器保有の目的を核兵器抑止のみに限定すること。現在の核兵器保有国以外の保有を認めない」旨の書簡を出したこと。これは旧政権ではあり得なかったことであり、政権交代の成果である。
これらの状況やオバマ米大統領のプラハ演説など、世界的潮流の中で私たちの当面の課題を北東アジアの非核兵器地帯構想の具体化を進める必要がある。
核兵器のない世界に向かって、地域から新しい「非核兵器宣言」「再宣言」を実現する、「日本非核兵器宣言自治体協議会」や平和市長会議への加入促進、市民と議員の「非核平和委員会」をつくるなど提起された。
平岡秀夫さん
北東アジアの非核兵器地帯化の条約の成立のための活動を軍縮促進議員連盟として、開始しているとの報告があった。韓国の国会議員との連携を進めており、今年2月には共同声明を日本で発表した。NPT再検討会議における市民フォーラムでは、北朝鮮の非核化までは一致したが、北東アジアの非核兵器地帯化のための条約を結ぶべき、というところまでは至らなかった。
ポール・マーティンさん
「NPT再検討会議・米国の核戦略、朝鮮半島の非核化」をテーマとする提起がなされた。マーティンさんの大きな特徴は、「米国政府がこの国に不道徳な核爆弾を落としたことについて謝罪したい。ピースアクションの10万人の会員と、核兵器を廃絶すべきだと考える80%以上の米国人(NHKのアンケートでは、60%が核の傘はいらない、将来を含めると80%以上がいらないと答えている)を代表し、広島、長崎、そして日本の人々に対し、恐怖を与えたことを謝罪いたします」との立場をくり返し明確にしているところにある。
NPT再検討会議では、2012年の中東非核地帯構想会議を含む、64項目の行動計画を盛り込んだ最終文書が採択され、2015年の再検討会議では、「第6条の完全な実施のための次のステップを考慮」し、そして核保有国は、保有する核兵器を完全に廃絶をするという約束を無条件で実行することを確約している。またカットオフ条約の促進についても具体化されることになる。
これを受けて、米国の核戦略も新START条約が最終的に採択される可能性が高まっている。少なくとも、オバマ大統領は歴代大統領の中で、初めて私たちと同じ目標(核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する)を示している。
米国政府に圧力をかけるため、新START条約を批准すること、核兵器削減をさらに進めるため、ロシアと追加合意について交渉すること、核兵器開発施設への予算を削減し、核兵器廃棄のペースを進めること、CTBT条約を批准し、カットオフ条約に関する交渉の開始を追求していかなければならない。
朝鮮半島の非核化については、北朝鮮に対する「制裁ありき」の政策を転換し、北朝鮮との外交関係を樹立するため、北朝鮮の人々の人間性を回復し、人道援助を行うよう日本政府に働きかけてもらいたい。そして日本政府として米国、国連に対して、積極的に働きかけるべきである。
核兵器廃絶のためには、朝鮮半島の非核化が不可欠である。
フロアから、ロバート・グリーンさん(ニュージーランド軍縮安全センター共同所長)の発言について
「核抑止は、甚大な信用詐欺だ」(nuclear deterrence is a huge confidence trick)と結論づけている。
(1)核兵器は、究極的な恐怖の兵器である。
(2)核抑止は、国家が支援する核テロリズムである。
(3)核兵器ではテロを抑止できない。
(4)核抑止に信頼性はない。
(5)拡大核抑止は効果がないばかりか、逆効果である。
(6)核抑止は合法的ではない。
(7)核抑止は安全保障を蝕む。
日本政府は、米国の拡大核抑止(核の傘)を拒否し、代わりに北東アジア非核兵器地帯の創設に向けた、緊急の交渉を開始すべきであり、皆さんも働きかけてください。
2010年08月08日
8月8日、長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」の2日目が開かれ、「平和と核軍縮」「ヒバクシャ」「脱原子力」などの課題での分科会や、被爆者との交流、フィールドワークなどが行われました。その内容をビデオにまとめました。(8分30秒)。
2010年08月07日
核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会
一瞬にして、7万4千人余が息絶え、7万5千人余が傷ついた、原子爆弾が長崎に投下され今年で65年を迎える。かろうじて生き残った人々も、今もなお放射線障害に苦しんでいる。今日、核兵器は未だに世界に約2万1千発も存在し、人類は、核兵器の脅威にさらされ続けている。
こうした中、核拡散防止条約(NPT)の運用を見直すために5年に一度開催される再検討会議が、5月3日からニューヨークの国連本部で開催された。連合、原水禁、核禁会議の3団体も参加し、NGO平和集会・平和アピール行進・原爆写真パネル展の実施、「核兵器廃絶1000万署名」提出などの行動を展開した。
再検討会議では、日本政府が提案した「核兵器保有国が核軍縮につながる具体的進展状況を2014年の再検討会議準備委員会に報告する」旨の項目が取り入れられたことは、被爆国日本の果たした大きな成果である。また、北朝鮮の核実験実施への非難、中東地域の非核化に向けた国際会議の開催、さらに、核兵器保有国のインド、パキスタン、事実上の核兵器保有国であるイスラエルのNPT加盟促進など、画期的な項目を盛り込んだ「核兵器なき世界」に向けた最終文書を全会一致で採択した。合意文書を作成するには至らなかった2005年の再検討会議と比較し一歩前進したと評価できる。
日本政府は被爆国として、国是である非核三原則を堅持し、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)」(カットオフ条約)の交渉開始、平和市長会議が提唱する「2020ビジョン」の実現など核兵器廃絶の具体的進展に向けた積極的な役割を果たすべきである。
私たち3団体は、これからも国際労働組合総連合(ITUC)や「平和市長会議」、多くのNGOとも連携・連帯し、核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて、国内外世論の喚起に取り組んでいく。また、これまで要求してきた原爆症認定、在外被爆者、被爆2世・3世や被爆体験者などの被爆者施策の充実を強く求めていく。
「ノーモア・ヒロシマ!」「ノーモア・ナガサキ!」「ノーモア・ヒバクシャ!」
2010年08月07日
7日、長崎市油木町の県立体育館を会場に、連合、核禁会議、原水禁の三団体の主催で「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」が開催されました。会場には全国、海外から約4500人が参加。大会では、南雲弘行連合事務局長が、今年5月にニューヨークで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議に触れ、「合意文書を作成できなかった2005年の会議と比べ一歩前進」と述べ、出席した中村法道長崎県知事は、「バン・キムン国連事務総長が来県し、力強いメッセージを発信するなど、核なき世界に向けた機運は確実に高まっている」と期待感を示しました。
最後に、参加者全員で、「日本政府は非核三原則を堅持し、核廃絶の具体的な進展に向けた積極的な役割を果たすべきだ。三団体は多くのNGOと連携し、国内外世論の喚起に取り組む」とするアピールを確認しました。
あいさつに立つ南雲連合事務局長
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