ビデオ報告 被爆65周年原水爆禁止世界大会第4日(長崎大会1日目)
2010年08月07日
8月7日から長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会」の長崎大会が始まりました。初日は、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」などが行われました。その内容をビデオにまとめました。(9分50秒)。
2010年08月07日
8月7日から長崎市で「被爆65周年原水爆禁止世界大会」の長崎大会が始まりました。初日は、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2010平和ナガサキ大会」などが行われました。その内容をビデオにまとめました。(9分50秒)。
2010年08月06日
NPT非加盟国インドとの原子力協定締結を日本政府は放棄し、核拡散と核軍拡へつながる動きに断固反対せよ!
被爆65周年原水爆禁止世界大会広島大会特別決議
国際社会が「核のない世界」を求める様々な動きを進める一方で、南アジアでは核拡散と核軍拡の危機的状況が続いています。
2008年に改訂された、原子力供給国グループ(NSG)のガイドラインで例外扱いとなったNPT非加盟国インドへは、米国を始めフランス、ロシアなど各国が原子力協定を結びました。対抗して同じくNPT非加盟国のパキスタンへは、中国が2基の原子力発電所を提供する計画をすすめています。核拡散防止条約(NPT)の枠外で核兵器開発を続ける両国への原子力協力は、核不拡散体制を土台から揺るがすものです。
日本の原子力技術を必要する米・仏などの強力な圧力や原子力技術の輸出に期待する経済界の要請などから、6月28日、日本政府はインドとの原子力協定の締結に向けた交渉を開始しました。非核三原則を国是とし核廃絶を目指す被爆国日本は、核拡散と核軍拡につながる動きに断固として反対し、NPT体制強化の明確な外交政策をとるべきです。
インド・パキスタンが核実験を行った1998年、日本も共同提案国となり、全会一致で決議された、国連安保理決議1172では、インド及びパキスタンに対し、「核兵器開発計画の中止」、「核兵器用の核分裂性物質の生産中止」を求め、「すべての国に対し、インド及びパキスタンの核兵器計画に何らかの形で資する可能性のある設備、物質及び関連技術の輸出の禁止」を求めています。今年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書でも、「すべての加盟国に対して、核関連輸出が直接的にせよ間接的にせよ、核兵器のまたその他の核爆発装置の開発を支援してはならない」ことを確認しています。
インドは包括的核実験禁止条約(CTBT)にも署名していません。日本が促進するCTBTの発効要件国のうち未署名国は、インド、パキスタン、北朝鮮だけです。インドとの原子力協力は、少なくともCTBTへの署名・批准、インド国内の全ての核施設を査察の対象として、核兵器開発をやめさせることが前提となるべきです。日本自ら提案した国連決議に反して,核兵器計画に資する可能性のある原子力協定を結ぶことは許されません。民生用原子力施設を他国の協力で動かせば、インドは国産のウランを査察対象でない軍用施設で使用する事が出来、核兵器への転用につながることは明白です。
核廃絶へ向けて、被爆国日本の強力なイニシアチブを政府に要請し、NPT非加盟国のインドとの原子力協定の締結を放棄することを強く求めます。
2010年08月06日
国際交流も盛んな土地に、「坂本龍馬」人気も手伝って、賑わいを見せる長崎。
そこでは、真夏の暑さに負けないくらい「熱い」平和活動が行われています!!!
街頭で目に付くのは、独自に活動している「高校生一万人署名」の活動です。
彼女らが署名活動する姿は、真夏の炎天下も、なんのその!
暑い、熱い、長崎で行われた『子どものひろば2010』、『ピース・ブリッジ2010 inながさき』の報告です。
日時:
2010年8月8日(日)9:30~12:30
会場:
長崎県教育文化会館4F401(長崎市筑後町2-1/℡095-822-5195 定員70人)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」
内容:
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。
スケジュール:
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町へ、通りにそって被爆の状況を説明)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で献花、黙とう、感想発表
日時:
2010年8月8日(日)9:30~12:30
会場:
長崎県勤労福祉会館2F講堂(長崎市桜町9-6/℡095-821-1456 定員200人)
主催:
ピース・ブリッジ2010 inながさき実行委員会
内容:
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピースブリッジ」第7弾。各地で平和活動を進める高校生や韓国、フィリピンの高校生も参加して活動報告や交流を深めます。また、高校生が作った被爆者証言ビデオのDVDの上映もあります。
プログラム:
1.主催者メッセージ
2.被爆者証言ビデオDVD上映
3.韓国・フィリピンの高校生の紹介と活動報告
4.各地の活動報告・鹿児島、神奈川、福岡、熊本、長崎など。
5.みんなで歌おう
6.高校生平和宣言
2010年08月06日
「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」に国連の潘基文事務総長、ルース米駐日大使ら74ヵ国の代表が参加。秋葉忠利広島市長が平和宣言で核の傘からの離脱を訴える。菅直人首相は核抑止力が必要と記者会見で語る。潘事務総長はCTBTの2012年発効などを訴える。
2010年08月06日
被爆65周年原水爆禁止世界大会・広島大会
世界最初の原子爆弾が投下・炸裂したあの日から65年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり核廃絶の流れを大きく前進させるための第一歩を踏み出しました。
戦後、世界に7万個以上あった核兵器が今にも使用される危機に見舞われたときも、地域紛争に核兵器を用いることを主張する勢力に対しても、核兵器の使用を阻止できたのは、被爆者の告発と核実験抗議などの平和運動、そして世界の反核運動と粘り強く連帯したとりくみの力でした。
アメリカの単独行動主義によって5年前のNPT再検討会議は大失敗に終わり、核兵器廃絶のとりくみは後退局面を迎えました。しかし、平和市長会議の2020ビジョンの推進、NPT体制崩壊を危惧する人びとのたたかいは、オバマ大統領の「核兵器を使用した唯一の核保有国として、合衆国には行動する道義的責任がある。本日ははっきりと信念を持ってアメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求すると誓約する」としたプラハ演説と結びつき、核兵器廃絶への展望を開いてきました。
今年のNPT再検討会議では、核保有国と非保有国との意見の隔たりは大きく、核廃絶に向けた行程表の作成や期限の設定はできませんでした。そのなかでも会議に寄せられた多くの署名や参加した人びとの思いを受けて、核兵器廃絶の方向性が合意されるなど、ほとんど破綻に瀕していたNPT体制を再生に導くことができました。
私たちは広島大会で被爆国日本の果たすべき責務を改めて確認しました。日本政府は、長年被爆地の思いを裏切り続け、ヒロシマ・ナガサキの訴えに耳を傾けず、アメリカの核政策に追随してきました。日米安全保障条約によって、日本はアメリカの核兵器の傘の下にあるために、政府はアメリカの利益を忠実に擁護してきたといっても過言ではないでしょう。
被爆者をはじめとする私たち原水禁運動は、政府の態度に業を煮やして、再三にわたり非核三原則を法制化するよう要請してきました。最近では、沖縄返還交渉時の密約が暴露されたことをきっかけに、あろうことか非核三原則の見直しに言及していることなどは、被爆国の責務を放棄するものにほかなりません。
また、ミサイル防衛の推進や米軍再編は、東北アジアの平和と安全に大きな影を落としています。
世界的な核軍縮の高まりのなかで、安全保障のあり方の転換に向けて、国内外のNGOや市民が連携し、政府・政党へいっそう働きかけることが重要となっています。
そして、核軍縮を核廃絶への流れに強めていくために原水禁運動の原点に立ち行動を強めましょう。
広島の体験。それは人知を超えた破壊と残虐でした。人間が同じ人間に対して絶対にしてはならない破壊と残虐でした。そのことを二度と繰り返させないために、私たちは原爆投下の「あの日」の意味をしっかりと問う必要があります。「人の命は地球より重い」と言います。その貴重な命が容赦なく踏みにじられた極限状態、それがヒロシマなのです。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、核兵器の使用につながる戦争そのものをこの地上から一掃しなければならないことを教えています。
いかなる国のいかなる核兵器も認めない私たちの立場をより鮮明にし、次のことを強く訴えます。
○「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しましょう ○臨界前核実験などすべての核実験を完全になくしましょう。
○再生可能な自然エネルギーによる脱原発社会をめざしましょう。
○被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しましょう。
ヒロシマは、いかなる核被害も根絶し核のない世界を求めてとりくみます。暴力、殺戮を繰り返す社会を、対話と共存を基本に乗り越えなくてはなりません。65年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点にして、核も戦争もない21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア ヒバクシャ、ノー モア ウォー!
2010年08月06日
8月6日に広島市で開かれた「被爆65周年原水爆禁止世界大会」の第3日は、「まとめ集会」が行われ、広島大会の集約が行われ、長崎大会に引き継がれました。その集会の内容をビデオにまとめました。(約9分30秒)。なお、同日、広島市主催の「平和祈念式典」(別にビデオ報告)や、原水禁大会の特別企画として、ベストセラー「世界がもし100人の村だったら」の著者・池田香代子さんが「あなたもここに生きています」と題する講演会も行われました。
2010年08月05日
広島市・アークホテル広島を会場に「被爆65周年原水爆禁止世界大会・国際会議」が、海外からのゲストなど約90人の参加者を集めて開催されました。
会議では、米国・ピースアクション政策担当のポール・マーティンさんら、パネリストによって東北アジア非核兵器地帯などが議論されました。ピースデポ特別顧問の梅林宏道さんからは、「核軍縮を進める包括的アプローチ」として、核兵器禁止条約と非核地帯をとの指摘がなされ、それに対して、韓国・参与連帯協同事務局長のイ・テホさんは、その実現には日韓の国会議員の連携が欠かせないと述べました。
パネリストの議論に参加者は熱心に耳を傾けました