2011年07月31日
「福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていこう!」-「被爆66周年原水爆禁止世界大会」は、福島原発事故を受けて、7月31日に初めて福島市で開催されました。福島県内をはじめ、全国から850人が参加し、「フクシマ」をスタートに、脱原発を実現をめざすことを確認しました。(写真は超満員となった会場)。
主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁議長)は「私たちはこれまで『核と人類は共存できない』と、原発にも反対して長く運動をしてきたが、今日の事態を招いたのは、その力が及ばなかったからで、残念でならない」とし、「広島・長崎の被爆者は66年間闘ってきたが、それがこの福島でも始まる。ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、そして『フクシマ』の声をあげていこう」と呼びかけました。
地元の福島県実行委員長の竹中柳一さん(福島平和フォーラム代表)は、「原発から40㎞も離れた飯舘村では食べ物を生産できない大地が広がっている。これ以上、ヒバクのある世界を作ってはならない」と訴えました。また、大会の基調を藤本康成事務局長が行い、「今年の大会は福島を皮切りに、広島、長崎、そして沖縄大会へと続けていく。それは原発も基地も合意なき『国策』として地方に押しつけ、一人一人の命を軽んじてきたからだ。再びヒバクシャをつくらないという原点に立ち返って運動を広げよう」と提起しました。
福島現地の報告を、原発建設当時から反対してきた双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんが行い、「県民は病み苦しんでいる。学校の校庭では高い線量の放射能があり、子ども達に押しつけている。農業者などの自殺者も増加している」と、切実な実態が語られました。
ノンフィクション作家の鎌田慧さんが「原発体制を越えて、人類の未来へ」と題して講演を行い、「どうして福島に東京電力の原発が作られたのか。中央が東北へ押しつけたからだ。これまで原発が作られた所は、反対運動が負けてきた所だ。原発は巨大な利権でできている。しかし、その危険性と、何万年もかかる廃棄物処理を考えると、コストは膨大だ。もう世界は脱原発に転換している。私や大江健三郎さんなどが呼びかけている『さようなら原発1000万人アクション』の署名や9月19日の5万人集会に参加してほしい」と呼びかけました。
「ふたたびヒバクシャをつくるな!」とする連帯メッセージでは、長崎で原爆を被爆した奥村英二さん(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会事務局長)が「福島を含めて全てのヒバクシャの健康管理に国の責任を求めるべき」と述べ、1954年にビキニ環礁でヒバクした大石又七さん(元第五福竜丸乗組員)も「マーシャル諸島の島民はいまだに甲状腺ガンを発症している」と、内部被曝の危険性を指摘しました。また、ロシアから来日した、チェルノブイリ原発事故の被災者支援をするアントン・ブドビチェンコさんは「今も被害が続いているが、事故が風化しようとしており、語り継ぐための博物館を建てた。これからは福島の皆さんとも協力していきたい」と話しました。
最後に「豊かな自然とすこやかな『命』を守るために、ここ福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていきましょう」と、福島大会アピールを採択して終了しました。原水禁大会は4日から6日まで広島、7日から9日に長崎、11日に沖縄で大会が開かれます。
2011年07月31日
「『ノーモア・フクシマ』を合い言葉に脱原発に動きだそう!」-7月31日、福島市「街なか広場」を会場に、「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」が、福島県平和フォーラム主催で開催されました。時折、雨が降る中にも関わらず、会場一杯の1700人の参加者が全国から集まり、集会とデモ行進を行いました。
主催者あいさつに立った福島県平和フォーラムの竹中柳一代表は、「3月11日以来、福島の多くの人々は不安と苦しみの中に立たされている。私の住む南相馬市では今も3万人が故郷を離れている。原発がもたらす悲劇を身をもって証明してしまった。私たちの責任は原発のない福島を取り戻すことだ」と、力強く訴えました。連帯あいさつで、原水禁国民会議の川野浩一議長も「震災は天災だが、原発事故は人災だ」と、全国の原発反対を呼びかけました。
現状報告では、高濃度の放射性物質を検出し、計画的避難地域に指定された飯舘村の青年を代表し、佐藤健太さんが「村の女子高生が『将来、子どもが産めるのか』と悩んでいる。避難で村民がバラバラになってしまったが、『負まげねど飯舘!』を作って、放射能汚染の責任を問い、事故を風化させないように活動したい」と述べました。また、浪江町が警戒区域になって、南相馬市に避難している教員の吉田博正さんも、「通勤の負担は増え、妻は失業し、子どもは学校に通えない。原発事故の被害者は、私たちで終わりにしてほしい」と切実に訴えました。さらに母親の立場から、郡山市の松本徳子さんは「中学生の娘を東京の妹の所に預けている。しかし、避難できない子どもも多い。健康が心配でならない」と、涙ながらに報告しました。
今後の福島県での運動の提起を原利正・福島県平和フォーラム事務局長が行い、自治体での「脱原発」に向けた意見書・決議の採択、全国1000万署名とともに、独自に「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」運動を行い、さらに、来年の3月11日の1周年に大規模な取り組み企画を提起しました。
最後に「『ノーモア・フクシマ』を胸に刻み、私たちは新たな時代を福島の地で切り開きます。世界の先駆けとなる福島をつくります。そのために、みんなの力を結集しましょう」と集会アピールを確認しました。
集会後、参加者は福島駅前などを通るデモ行進を行い、「福島に原発はいらないぞ!」「子ども達を放射線から守れ!」「県民の生活と仕事を守れ!」などとシュプレヒコールや、手作りのプラカードを掲げてアピールしました。集会には、韓国、台湾、タイ、インドなど、アジア各国からも活動者が参加しました。
(写真左は集会会場、右はデモ行進の様子)
2011年07月31日
8月6日・広島、8月9日・長崎の原爆投下から66年。「被爆66周年原水爆禁止世界大会」が、今年は3月11日の福島第一原発事故を受けて、福島市でスタートし、辰巳屋ホテル・ホールを会場に開催されました。また、大会に先立って、市内「街なか広場」では県民集会が行われ、約1,700人の参加者を得て、「原発はいらない」「放射能のない未来を」と訴え、デモ行進を行いました。
9日までの大会期間中はその都度、ビデオや写真などの報告を掲載し、大会終了後にも詳細な報告をアップロードいたします。
●被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピールはこちら
2011年07月31日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会アピール
2011年3月11日、岩手、宮城、福島を中心とする東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。震災で犠牲になられたかたがたにあらためて哀悼の意を表します。
この震災によって太平洋岸に点在する原子力発電所も地震と津波によって多くの被害を受けました。特に福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を東日本全体にばらまきました。特に福島第一原発の地元である福島県民の生活環境や農畜産物などを広範囲に汚染しました。そしていまも事故は収束に至っていません。収束に向けた取り組みは長期にわたるものと推測され、その間さらに多くの甚大な被害が拡大されようとしています。私たちは一日も早い事態の収束を求め、東京電力・政府関係者のさらなる努力を強く要請します。
私たちは、これまで地震や津波の被害が常に予想される日本における原子力発電所の立地の危険性を強く訴えてきました。しかし日本の原子力発電所は安全であるとして、政府・東京電力は一顧だにしてきませんでした。経済成長政策万能の考え方から経済効率を優先し、安全性をないがしろにしてきた責任は重大です。脱原発の運動に取り組んできた私たちは、今回の事態をふせげなかったことに、強い責任と憤りを感じざるを得ません。
今必要なことは、放射能汚染の実態や事故原発の現状に関するきちんとした情報公開、避難を強いられている方々の生活保障、地表からの放射性物質の除去そしてヒバクを最小限に抑える施策などに私たちは全力を挙げて取り組んでいくことを誓います。
福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキから66年、チェルノブイリ原発事故から25年、私たちはこのフクシマから立ち上がらねばなりません。放射能被害の下で「健康」や「生活」への不安、差別と偏見を断ち切らねばなりません。これまで私たちは「核と人類は共存できない」として、核兵器廃絶とヒバクシャ支援、脱原発の運動を進めてきました。今、あらためてその運動の質が問われています。「フクシマ」の現実とどう向き合っていくのかが、私たちの大きな課題です。「フクシマ」をスタートとする運動の構築を模索していきます。
今年の被爆66周年原水爆禁止世界大会は、ここ福島大会を皮切りに、広島大会・長崎大会そして沖縄大会と続けていきます。原発も基地も戦争も、合意なき「国策」として、私たち一人ひとりの「命」を軽んじてきたのです。もうこれ以上「命」が粗末にされてはなりません。豊かな自然とすこやかな「命」を守るためにここ福島から声を上げ、大きな行動に結び付けていきましよう。 私たちは「核」に負けてはいけません。故森瀧市郎原水禁初代議長の「人類は生きねばなりません」の言葉をもう一度噛み締めましょう。
2011年7月31日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・福島大会
2011年07月31日
原水禁世界大会福島大会基調提起
原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成
今ここに立って、あの3月11日の東日本大震災の甚大な被害と家族を失った方々が悲しみを思うと胸がつまります。亡くなった方々のご冥福を祈ります。
また、津波のよる被害と、現在進行中の福島原発事故によって、避難生活を余儀なくされている方々のご苦労に、心からお見舞い申し上げます。
原水禁は、この未曾有の「福島原発事故」という事件に際して、原水爆禁止世界大会を、この地から始めることとしました。今日は、延期されていた選挙当日、また事故の収束が見えず放射性物質の汚染によって避難生活が続く中での開催、「フクシマ」のみなさんには本当に力を尽くしていただきました。心から感謝申し上げます。
この間のニュースで、プルサーマル計画の推進に際して、原子力の安全を守るはずの安全・保安院が、国主催のシンポジウムに「やらせ」を依頼していたことが明らかになりました。いかに推進と規制が癒着して、安全がないがしろにされてきたのか、この一つの事実で、十分理解できるものです。
「フクシマ」の事故は、明らかな人災であり事件です。東京電力は、想定外とされている津波だけではなく、想定の中にあった地震によっても甚大な被害があったことを隠し続けています。事実が明らかになれば多くの原発を止めざる得ないからです。
「フクシマ」の事故の収束が見えない中で、経済産業大臣は玄海原発の再稼働を要請しました。戦後一貫して日本社会を覆ってきた「経済優先」「成長優先」の考え方から抜け出せない政治のあり方が見えてきます。その考え方「経済優先」が、原発の安全性をないがしろにし「フクシマ」の事件を起こしたことを全く顧みるものではありません。
政府・東電は、今、すべての情報を明らかにすべきです。原発は現在どのような状況にあり、どのような危険が今後考えられるのか。放射性物質による汚染はどのくらいの規模でどこまで広がっているのか。きちんとした情報を提供することを基本にして、その上で放射能による被害を最小限に抑える努力に全力を挙げるべきです。
確かな情報の中で、福島県民が自分自身の判断でそれぞれが選択した生活ができるように、明確な支援を政府は行うべきです。
原水禁は、「フクシマ」のみなさんの意見をもとに、政府交渉を行うとともに「線量計を送ろうカンパ」などにもとりくんできました。政府・東電の責任を明確にし、今後も事態の収束に向けて「フクシマ」のみなさんとともにとりくんでいきます。
戦後の日本社会は、米国の支配の下、高度経済成長政策を続けてきました。原子力発電所は、その経済成長を支えるエネルギーとしての役割を演じてきました。しかし一方で、立地地域に交付金を投入する「電源三法」は、地域経済の成長バランスを崩し、原発依存から抜けきれない地方財政を形成してきました。「国策」としての原子力推進政策は、地方経済を抜き差しならぬ方向へ押し込んでいったのです。
昨年、プルサーマル計画に合意した佐藤雄平福島県知事は、脱原発の姿勢に転じています。「フクシマ」の多くのみなさんが声を上げています。行動しています。私たちは、この「フクシマ」の声を全国に広げ、安全な人に優しいエネルギー、「持続可能で平和な社会」をつくり出さなくてはなりません。
今日、お越しいただいた鎌田さんや大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんなど9人の方々が「さようなら原発」の声を上げています。9月19日の全国集会、そして1000万人署名を是非成功させて、「フクシマ」と全国を、そして世界につなげる大きな動きにしていきましょう。
日本社会は、何度も何度も一人ひとりの「命」と「生活の安全」を犠牲にしてきました。1931年から15年も続いた侵略戦争は「満蒙は日本の生命線」と一方的に主張し、「国策」として遂行され、アジアの多くの人々の命を奪い、最後に「ヒロシマ」「ナガサキ」の悲劇を生みました。
戦後も、日米安全保障条約の下、米軍駐留が「国策」としてすすめられ「オキナワ」県民に「命」の危険という大きな負担を押しつけられてきました。政府はここまで来ても、また米国の言いなりに最も危険な普天間基地に、最も危険なオスプレイを配備を強行しています。沖縄県民の声に耳を貸そうとはしません。
「フクシマ」の原発事故も、同じ「国策」の中で引き起こされてものです。
私たちは、もう我慢することやめましょう。「自己犠牲」を強いる「国策」に決別すべき時が来ています。「フクシマ」から「ヒロシマ」「ナガサキ」そして「オキナワ」へ、一人ひとりの「命」に寄り添って社会を変えていこうではありません。一人ひとりの「命」を基本に、私たちの生活を、社会を、政治を変えようではありませんか。
老人や子どもたちが、社会の弱者がしっかりと生きていける、私たちの「命」が脅かされることのない社会へ向けた議論をしっかりと続けていきましょう。
持続可能で平和な社会へ、「フクシマ」からとりくみを積み上げていきましょう。今年の原水禁大会が、そのことの契機になることを願い、基調の提起とさせていただきます。ともにがんばりましょう!
2011年07月31日
7月31日に福島市内で開かれた「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」とデモ行進をビデオにまとめました。(約10分)