2011年原水禁大会声明申し入れ被爆66周年原水禁世界大会

原水禁世界大会/福島大会・基調提起

2011年07月31日

原水禁世界大会福島大会基調提起

原水爆禁止日本国民会議
事務局長 藤本泰成

 今ここに立って、あの3月11日の東日本大震災の甚大な被害と家族を失った方々が悲しみを思うと胸がつまります。亡くなった方々のご冥福を祈ります。
 また、津波のよる被害と、現在進行中の福島原発事故によって、避難生活を余儀なくされている方々のご苦労に、心からお見舞い申し上げます。

 原水禁は、この未曾有の「福島原発事故」という事件に際して、原水爆禁止世界大会を、この地から始めることとしました。今日は、延期されていた選挙当日、また事故の収束が見えず放射性物質の汚染によって避難生活が続く中での開催、「フクシマ」のみなさんには本当に力を尽くしていただきました。心から感謝申し上げます。

 この間のニュースで、プルサーマル計画の推進に際して、原子力の安全を守るはずの安全・保安院が、国主催のシンポジウムに「やらせ」を依頼していたことが明らかになりました。いかに推進と規制が癒着して、安全がないがしろにされてきたのか、この一つの事実で、十分理解できるものです。

 「フクシマ」の事故は、明らかな人災であり事件です。東京電力は、想定外とされている津波だけではなく、想定の中にあった地震によっても甚大な被害があったことを隠し続けています。事実が明らかになれば多くの原発を止めざる得ないからです。

 「フクシマ」の事故の収束が見えない中で、経済産業大臣は玄海原発の再稼働を要請しました。戦後一貫して日本社会を覆ってきた「経済優先」「成長優先」の考え方から抜け出せない政治のあり方が見えてきます。その考え方「経済優先」が、原発の安全性をないがしろにし「フクシマ」の事件を起こしたことを全く顧みるものではありません。

 政府・東電は、今、すべての情報を明らかにすべきです。原発は現在どのような状況にあり、どのような危険が今後考えられるのか。放射性物質による汚染はどのくらいの規模でどこまで広がっているのか。きちんとした情報を提供することを基本にして、その上で放射能による被害を最小限に抑える努力に全力を挙げるべきです。
 確かな情報の中で、福島県民が自分自身の判断でそれぞれが選択した生活ができるように、明確な支援を政府は行うべきです。
 原水禁は、「フクシマ」のみなさんの意見をもとに、政府交渉を行うとともに「線量計を送ろうカンパ」などにもとりくんできました。政府・東電の責任を明確にし、今後も事態の収束に向けて「フクシマ」のみなさんとともにとりくんでいきます。

 戦後の日本社会は、米国の支配の下、高度経済成長政策を続けてきました。原子力発電所は、その経済成長を支えるエネルギーとしての役割を演じてきました。しかし一方で、立地地域に交付金を投入する「電源三法」は、地域経済の成長バランスを崩し、原発依存から抜けきれない地方財政を形成してきました。「国策」としての原子力推進政策は、地方経済を抜き差しならぬ方向へ押し込んでいったのです。

 昨年、プルサーマル計画に合意した佐藤雄平福島県知事は、脱原発の姿勢に転じています。「フクシマ」の多くのみなさんが声を上げています。行動しています。私たちは、この「フクシマ」の声を全国に広げ、安全な人に優しいエネルギー、「持続可能で平和な社会」をつくり出さなくてはなりません。

 今日、お越しいただいた鎌田さんや大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんなど9人の方々が「さようなら原発」の声を上げています。9月19日の全国集会、そして1000万人署名を是非成功させて、「フクシマ」と全国を、そして世界につなげる大きな動きにしていきましょう。

 日本社会は、何度も何度も一人ひとりの「命」と「生活の安全」を犠牲にしてきました。1931年から15年も続いた侵略戦争は「満蒙は日本の生命線」と一方的に主張し、「国策」として遂行され、アジアの多くの人々の命を奪い、最後に「ヒロシマ」「ナガサキ」の悲劇を生みました。
 戦後も、日米安全保障条約の下、米軍駐留が「国策」としてすすめられ「オキナワ」県民に「命」の危険という大きな負担を押しつけられてきました。政府はここまで来ても、また米国の言いなりに最も危険な普天間基地に、最も危険なオスプレイを配備を強行しています。沖縄県民の声に耳を貸そうとはしません。
 「フクシマ」の原発事故も、同じ「国策」の中で引き起こされてものです。

 私たちは、もう我慢することやめましょう。「自己犠牲」を強いる「国策」に決別すべき時が来ています。「フクシマ」から「ヒロシマ」「ナガサキ」そして「オキナワ」へ、一人ひとりの「命」に寄り添って社会を変えていこうではありません。一人ひとりの「命」を基本に、私たちの生活を、社会を、政治を変えようではありませんか。
 老人や子どもたちが、社会の弱者がしっかりと生きていける、私たちの「命」が脅かされることのない社会へ向けた議論をしっかりと続けていきましょう。

 持続可能で平和な社会へ、「フクシマ」からとりくみを積み上げていきましょう。今年の原水禁大会が、そのことの契機になることを願い、基調の提起とさせていただきます。ともにがんばりましょう!

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