2011年8月

広島市・長崎市/平和宣言2011

2011年08月09日

◆広島市平和宣言

◆長崎平和宣言

ビデオ報告 2011原水爆禁止世界大会・長崎大会第3日目

2011年08月09日

8月9日に長崎市で「被爆66周年原水爆禁止世界大会」長崎大会の第3日目が開かれ、長崎大会のまとめを確認しました。また、福島からの訴えなどもありました。最後に、全員で非核平和行進と爆心地公園での黙祷を行い、長崎大会の全日程を終えました。

長崎大会第3日目の模様をビデオにまとめました。(9分45秒)

被爆66周年原水爆禁止世界大会/大会宣言

2011年08月09日

大 会 宣 言

 66年前の8月6日と9日、アメリカは世界で初めて、人類の頭上に原子爆弾を投下しました。ヒロシマとナガサキのすべての人々、生きとし生けるものすべてに史上例のない悲惨で残酷な破壊をもたらしました。今もなお、放射線障害に多くの人たちが苦しんでいます。私たちは、毎年、両地に集い原水爆禁止世界大会を開催し、あの日のことを語り継ぎ、心に刻み、再びヒバクシャを生み出さないことを誓ってきました。

 しかし、私たちは、いま新たな重大局面と対峙しています。3月11日に襲った東日本大震災は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。とりわけ、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、核燃料のメルトダウン、水素爆発や汚染水海洋投棄などによって、大量の放射性物質を、福島県はもとより日本各地、さらには世界中に放出しました。しかも、事故はいまだに収束のめどが立っていません。放射能の汚染は、農産物や海産物などへ広範囲に広がっています。人々の命と健康、とりわけ次世代を育くむ子どもたちや若い人々、妊産婦などの健康被害は重大問題です。福島県民は、避難生活を強いられ故郷へ帰るあてのない生活が続いています。

 福島第一原発の事故は人災に他なりません。経済優先の中で原発政策を推進し、安全性をないがしろにしてきた東電などの電力会社、歴代政府、そしてそれを支えてきた研究者、報道関係者の責任は重大です。東電・政府などは、このことを真摯に反省し、事態収束と脱原発への道のりを明確にしなければなりません。また、現在の生活や将来の健康被害への補償そして不安解消に向けたあらゆる措置を可能な限り迅速に行い、将来にわたっての被害の拡大を全力で防がなくてはなりません。

 核の「軍事利用」で被害を受けたヒロシマ・ナガサキ、「商業利用」で放射線被害にあったフクシマという事態は、森瀧市郎さんが提起した「核と人類は共存できない」「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていない」という原点を改めて明らかにしました。

 脱原発を実現し、自然エネルギーを中心とした社会をめざすことが、将来に責任ある私たちに求められています。原発の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした既存の原発を廃炉にさせましょう。もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」および核燃料再処理工場を廃棄させましょう。省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を早急に始めさせましょう。そのため「さようなら原発1000万人アクション」を全力で成功させましょう。

 アメリカは、「核兵器なき世界」を表明したオバマ大統領プラハ演説と矛盾する臨界前核実験の継続や、早期発効が求められる包括的核実験禁止条約(CTBT)の未批准などの問題をかかえており、核兵器廃絶への動きは遅々としています。平和市長会議の「2020ビジョン」などと連携したとりくみをいっそうすすめましょう。被爆国である日本がアメリカの「核の傘」に依存するという矛盾した政策を脱却させ、「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、「東北アジア非核地帯」化に向けてとりくみを強化しましょう。沖縄県民に米軍基地の重圧を強いる施策を止めさせましょう。

 ヒバクシャをめぐる課題は、いまも、被爆体験者、被爆二世・三世、在外被爆者、原爆症認定など残されたままです。被爆者が高齢化するなかで根本的な解決は急務です。いまだに支援を求める多くの被爆者が残されたままです。国交のない在朝被爆者はまったく放置されています。被爆二世・三世や被爆体験者については、支援の充実とあわせて、被爆者援護法の対象とすること、日本の戦争責任と戦後補償の問題として国家補償を明記する改正を求めましょう。

 私たちは、核被害を根絶するため、フクシマの地で苦しむ人たちや、世界のヒバクシャと連帯し「核と人類は共存できない」ことを明らかにし、暴力と殺りくが繰り返される世界を変え、対話と共存・命の尊厳を基本にした「核も戦争もない21世紀」を実現し、子どもたちに贈るとりくみを全力ですすめます。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、さようなら原発!

    2011年8月9日
                               被爆66周年原水爆禁止世界大会

被爆66周年原水爆禁止世界大会・まとめ集会を開催(長崎大会)

2011年08月09日

110809n.jpg 被爆66周年原水禁世界大会・長崎大会のまとめ集会が、長崎県立総合体育館を会場に開催され、約2000人が参加しました。
 雨が降ったりやんだりを繰り返す中で集会終了後、参加者は爆心地公園までの平和行進に出発。小雨の降る公園で、原爆投下時刻である11時2分、黙とうを行い、長崎大会の日程を終了しました。
 

ビデオ報告 2011原水爆禁止世界大会・長崎大会第2日目

2011年08月08日

8月8日、長崎市内で「被爆66周年原水禁世界大会」長崎大会の第2日目が開催され、「脱原子力」「平和と核軍縮」「ヒバクシャ」をテーマとする分科会やフィールドワークなどが行われました。

大会2日目の模様をビデオにまとめました。(約7分)

【66大会・報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"-入門編-証言と映像による被爆の実相と平和運動交流-

2011年08月08日

 この分科会の参加者は180人、初参加者はほとんどの人、2回目11人、3回目以上10人、でした。
また、北海道B4人、東北B2人、関東B16人、東海・北陸B15人、近畿8人、中国・四国B12人、九州B50人でした。

ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか
 原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後66年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。

講演  山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会)
広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニュウム。
原爆は投下された。この“投下された”ことが重要です。

1.私のこどものころ
戦争になると世の中はどうなったか
写真などの資料を見る
①日本人ならぜいたくはできない筈だ=お前はそれでも日本人か?
②竹槍訓練中の女性たち
③鬼畜米英
④断崖から身を投げる女性=命が粗末に扱われた
⑤クニヲマモレ=強い体をつくれ
  教育が戦争につかわれた。

2.私の8月9日
防空壕の向きが重要だった。
①板壁に焼き付いた影(4km地点ではしごと兵隊、ベルト跡が残る。
②私が歩いた爆心地
③被爆前(8月7日)の爆心地
④被爆後(8月12日)の爆心地
⑤爆心地の被爆した人は骨だけか何も残らない
爆心地から1kmで被爆した人は内臓の水分も蒸発
爆心地から4kmでは爆風で家の中が散乱

3.被爆者の願いはなにか
2度と被爆者をつくらない=核兵器を「0」にする

4.願いは実現できるか
憲法は国に戦争をさせない。コスタリカ、スイス、スェーデンに学ぶことはないか?20数カ国は軍隊を持たない国がある。長崎の高校生は「私たちは、微力だけど無力ではない」が合言葉ですが、このことが重要です。

※質疑は横浜
  戦災と原災のちがいは?戦災は罹災証明書が発行されたが、原災は原災証明書が警察官から発行された。また、原災は被爆2世、3世・・・まで被害が続くと考えられる。

講演  西岡 由香さん(漫画家)
  「放射能ってなに?」をQ&Aで学んだ。内容がわかり易く且漫画がふんだんに使われていたので興味をひいた。基礎編としてこの分科会(初参加の人がほとんど)に合っていた。特に、放射性物質がチェルノブィリの7分の1、広島の114倍が放出されたことに驚いていた。

※フロアからの意見
長崎、北海道から平和の火リレーの継続や原子力潜水艦の危険性、子どもとつながる、子どもをつなぐことが大切という報告。

 最後に、今日、第8分科会に集まり学習したことを基礎編として、もっともっと深く掘り下げていくことで真実が見えてくることを確認し、終了しました。

IMGP3759_1.JPG

【66大会・報告】長崎第7分科会/ヒバクシャ3(交流・討論編)「被爆二世・三世問題の現状と課題」

2011年08月08日

参加者人数:31名

討論の要点と特徴
 はじめに、被爆2世組織の方から現状について報告があり、「被爆2世についての法的な定義が存在しない厳しい条件の中で組織化を図ってきた」ということが出されました。そして「被爆2世」が抱える問題として、「被爆2世の健康問題」「原爆放射能による遺伝的影響」「被爆者の子としての差別」などがありますが、この間、国は「遺伝的影響はない」という立場を貫いており、また「親としての責任」という観点から、被爆1世にも精神的負担が強いられている現状も明らかにされました。また、国に対して調査・責任追及を行っていく為には、個人ではなく「組織化」していく事の必要性も叫ばれました。 

 また、福島の原発事故においても、「残留放射能に対する影響」といった観点では原爆被害と同様であり、被害を認めない国の態度も変わらないことから、今後、福島の方と交流しながら運動を進めていく事の必要性も提起されました。

 また、講師からは遺伝学の立場からの検証として、生殖細胞が損傷を受けると「継世代に渡って影響を受けること」が既に動物実験において確認されており、実際にセラフィールドでは受胎6ヵ月前の父親の被曝線量と比例して子どもの白血病の相対的危険度増加が明らかにされ、こうした状況に対して、早急に対策を講じ被害の拡大を防ぐ事が必要だといった提起が行われました。
 また、福島原発事故においても、チェルノブイリでは移住しなければならないレベルの汚染地域に未だに多くの住民がおり、これからも食物を通して被曝量が増加する懸念がある一方で、政府は「ただちに影響はない」として急性障害以外は認めない方針を貫いており、健康追跡調査についても限定的で問題があるという事も言われました。
 
 また、被爆2世の参加者からは「組織化しようとしてもなかなか理解して貰えず、役員の担い手がいない」「被爆2世という事がバレルと不利益を受けるので活動したくない」といった問題点が出され、被爆者からも「子どもに対する影響を考えると事実を話せない」「経世代の影響を自分達の問題として考えなければならないと感じた」という意見が出されるなど、課題も浮き彫りとなりました。
 最後に、講師の方から「被ばくした事実は消せないが、今後のリスクを減らしていくことはできる。その為にも、加害者の責任を明確にし、被害者の立場にたった対策を早急に講じさせると同時に、福島をはじめとしたあらゆる核被害者と連帯しながら闘いを構築していかなければならない」といった提起も行われました。
 
 人口の流動化などによって被爆2世の把握そのものが難しくなり、被爆者の高齢化や、また福島事故後という事もあって参加者が少ない傾向にありましたが、「被爆2世」の問題を通して、核被害が「見えづらくなり複雑化してきている」ということが明らかになりました。そうした事を踏まえて、今後はそれぞれの立場で抱えている問題を継続して交流していく事の必要性が改めて問われた分科会となりました。

IMGP3746_1.JPG

【66大会・報告】長崎第6分科会/ヒバクシャ2 学習編「日本の戦争責任と在外被爆者問題を考える」

2011年08月08日

 第6分科会は約30人の参加でほぼ船員が初参加でした。そのうち7人が原水禁世界大会に参加自体が初めてでした。

 最初に在外被爆者のカク・キフンさんから報告がありました。カクさんは原水禁の分科会にこれまで何度も報告されていますが、今回は初めて日本に来た経緯をお話しました。カクさんは1944年、韓国(植民地下の)の師範学校に通っていましたが、突如、軍に招集されました。カクさんは日本語ができ成績も優秀だったため、幹部候補生となり従軍しました。そして、1945年8月6日、被爆しました。カクさんは「無我夢中で走り、防空壕に入ったら、背中が熱いことに気付いた。背中の服が燃えており、後頭部から背中が火傷していた。3日間意識がなく昏睡状態だったが、何とか生き延びることができた」と被爆体験を語りました。カクさんは「戦争が終わって祖国が戻ってきた。国、言葉を奪われた者の気持ちを想像できますか」と会場の人たちに問いかけました。「国がなければ人格も言葉も何もかも奪われる」と強調しました。日本の植民地政策、そして植民地がいかなるものか、会場全体にいた参加者の胸に突き刺さりました。

 次に、在外被爆者のチャン・テホンさんが報告しました。チャンさんは中学1年のときに長崎で被爆をしました。現在、釜山に住むチャンさんは「被爆の体験を伝えることは難しい。いくら説明してもわかってもらえないときがある。被爆をした悔しさや怒りは経験した者しかわからないのだろうか」と、被爆体験を伝えていくことの難しさを訴えました。

 高實康稔さん(長崎大名誉教授)からは、「日本の戦争責任と在外被爆者問題を考える」という演題で、1時間報告をしていただきました。高實さんは、在外被爆者問題を時間軸に分けて説明しました。最初は1971年、被爆者援護を求めて不法入国した孫振斗さんにより、在外被爆者に目が向けられるようになったことです。孫さんは裁判により、被爆者援護の「国家補償的配慮」を引き出しました。しかし、旧厚生省からいわゆる「402通達」が出され、日本から出国したから援護が受けられないことになりました。次に、それを打ち破ったのが、冒頭に報告したカク・キフンさんの裁判です。カクさんたちの裁判により、2003年、ついに「402号通達」が廃止され、「ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ」ということが国で認められました。手帳申請の「来日用件」も最近になり、ようやく撤廃され、海外からも申請ができるようになりました。しかし、いまだ朝鮮民主主義人民共和国には、約300人のヒバクシャがいると見られますが、国交がないという理由で日本からの補償を受けていません。高實さんは「日本人のヒバクシャと在外被爆者は分けて考えないといけない。在外被爆者は植民地政策の中で日本につれてこられた。日本の侵略がなければ、彼らは被爆することはなかった。日本政府は、優先して在外被爆者を補償しなければならない。それは日本の道義的責任だ」と厳しく日本政府の対応を批判しました。

 質疑応答では、広島原水禁の金子哲夫さんから、今年の7月、訪朝して在外被爆者のお話を聞いたこと、在外被爆者の医療費は被爆者援護法ではなく、別な予算で組まれており、差別的な扱いを受けていることが報告されました。在朝被爆者は特に、医療の援助を求めているということでした。
 在外被爆者は医療費に16万5千円の上限があること、手帳取得に依然として2人の証人が必要であり、ハードルが高いことなど、課題がたくさん残されています。特に在朝被爆者に関しては、なんら補償がされていません。これは「被爆者」だけではなく、「慰安婦」、「強制連行」も同様にあてはまります。朝鮮に関しては、被爆者だけではなく、戦後補償や国交正常化という枠組みで取り組んでいかなければならない問題も含まれています。残された時間が多くありません。引き続き、在外被爆者の援護拡大を求めていかなければなりません。

(有田純也・北信越B/新潟)

IMGP3749_1.JPG

【66大会・報告】長崎第4分科会/平和と核軍縮2(交流・討論編)~東北アジアの非核化と日本の安全保障政策

2011年08月08日

 「平和と核軍縮2(交流・討論編)~東北アジアの非核化と日本の安全保障政策」は長崎新聞文化ホール3階「珊瑚の間」において、参加者60人、内初参加者は15人で開催された。
この分科会では、3.11東日本大震災における、10万人以上の自衛隊員投入の背景や米軍“トモダチ作戦”について検証を行うとともに、「新防衛計画大綱」「米軍再編計画」と震災出動との関係について討論を行う場として設定された。

 二人の講師からは、北東アジア非核化に向けた世界の情勢や、震災をも糧にして深化する日米軍事同盟などについて提起が行われた。
また、特別報告として沖縄から普天間基地・辺野古新基地建設・高江ヘリパット基地建設計画・オスプレイ配備問題などについて報告を行うとともに、11日からの原水禁沖縄大会の開催や「有事の際に政府は国民を守らないことが、原発事故において改めて明らかになった。平和は黙っていても来ない。是非、日本全国から声を上げよう」と訴えた。

 核兵器が広島・長崎で多くの市民の命を奪い、街を壊滅させてから66年が経った現在でも、地球上には約二万発の核弾頭が存在し、その拡散と使用の危機が高まっている。核兵器廃絶は、貧困・地球温暖化などと並んで、人類が一致協力して取り組まねばならない喫緊の課題である。北東アジアにおいても不信・緊張の関係から対話・共存の関係を進める上において、非核化を進めることが重要であるとした。

 8月2日に発表された今年の防衛白書では、冒頭30ページにわたって、米軍“トモダチ作戦”と被災地への自衛隊投入が詳細にわたって述べられており、安保体制の重要さが説かれている。(詳細については、防衛省HPで公開されているので、是非ダウンロードしていただき一読していただきたい。)
 今回の“トモダチ作戦”は演習でなく作戦(オペレーション)であり、日米安保体制の中で初めて発動された作戦である。
 また、米軍は福島原発事故を“対核戦争”と位置づけ、被災地支援を行いながら常に福島を監視し、時には福島からの風向きなどを勘案して、行動展開してきたことが明らかになっている。

 今、日本は3.11を経て、軍隊の被災地支援感謝の声にかき消され、内閣総辞職するほど重要な問題であった「普天間基地」問題が本土では全く話題に上がらなくなった。被災地支援と基地問題は全く別の次元であり、改めて「沖縄に基地はいらない、日本に基地はいらない」ことを訴えていかなければならない。
 参加者からは、国民保護法と原発事故の関連性に関する質問や核抑止力と核の傘の問題などの提起やつくる会系教科書と基地問題、3.11以降の佐世保における米艦船を巡る報告などがあった。

 最後に、非核化・安保見直しに向けて、改めて各地での運動が重要であることを参加全員で確認し、閉会した。

禧久章蔵(全水道)

IMGP3750_1.JPG

TOPに戻る