ビデオ報告 2011原水禁世界大会「ノーモア・フクシマ長崎集会」
2011年08月07日
8月7日、長崎市「爆心地公園」で、原水禁世界大会の一環として、福島原発問題を追及する「さようなら原発1000万人アクション」として「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ長崎集会」が開催され、福島現地の報告などを受けながら、取り組みを強化することを確認しました。
その集会とデモ行進のビデオにまとめました。(8分)
2011年08月07日
8月7日、長崎市「爆心地公園」で、原水禁世界大会の一環として、福島原発問題を追及する「さようなら原発1000万人アクション」として「ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ長崎集会」が開催され、福島現地の報告などを受けながら、取り組みを強化することを確認しました。
その集会とデモ行進のビデオにまとめました。(8分)
2011年08月06日
3月11日、東日本を襲った大地震は、岩手・宮城・福島を中心に未曾有の被害を与えました。犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表します。
私たちは被爆地ヒロシマで、被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会を開き、あらためたて「核と人類は共存できない」ことを確認しました。核兵器の恐怖とその非人間性を学びました。ヒバクシャの苦しみは、66年経ったいまでも続いていることを知りました。そして、同じヒバクの苦しみが、いままた「フクシマ」ではじまろうとしています。再び核の被害が日本を襲い、世界に広がっています。
東日本大震災で東京電力福島第一原子力発電所は、全電源喪失の後に核燃料のメルトダウンを起こしました。水素爆発や汚染水の流失・海洋投棄などによって、福島県をはじめ広範囲に大量の放射性物質を放出しました。その結果、多くの住民が避難を余儀なくされました。事故から5ケ月近く経ったいまでも、福島第1原発付近は、10,000mSv/hの高い放射線量を示し、事態収束のめどは立っていません。福島県民は、避難生活を強いられ故郷へ帰るあてのない生活が続いています。
福島第一原発の事故は人災です。事故を引き起こした東京電力、歴代政府、そしてそれを支えてきた研究者たちなど「原子力村」と呼ばれるものの責任は重大です。東電・政府などは、原発政策を推進し原子力の「安全神話」を声高に喧伝してきたことを真筆に反省し、事態収束への努力と脱原発への道のりを明確にしなければなりません。
私たちは、今回の事故により拡散した放射性物質の影響を強く懸念するものです。避難地域はもちろんのこと、広範囲に放射性物質による汚染が広がっています。放出された放射性物質の長期間にわたる影響を余儀なくされる人々の、健康不安と精神的苦痛ははかりしれません。特に放射線の影響に敏感な子どもたちや次世代を育んでいく若い人々への健康被害は重大です。農産物や海産物への影響、就労や生活への不安なども生み出されています。東京電力・政府は、現在の生活や将来の健康被害への補償そして不安解消に向けたあらゆる措置を可能な限り迅速に行い、被害の拡大を防ぐことに全力を注がなくてはなりません。特に子どもたちや妊産婦などへの放射線による被害は、最小限にとどめなくてはなりません。
私たちは、福島の取り組みと連携し、子どもたちの「命」を守る運動を展開します。故郷を奪われた被災者が、一日も早く安心した生活を取り戻すことのできるよう全力で取り組みます。この被害をもたらした「核」そのものの廃絶にむけた取り組みを強化していきます。
今ここに、全国から集う私たちは、核の「軍事利用」で放射線被害にあった「ヒロシマ」「ナガサキ」と、核の「商業利用」で同じく放射線被害にあった「フクシマ」を結んで、あらためて「核と人類は共存できない」ことを強く訴えます。
ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・フクシマ、ノー・モア・ヒバクシャ!
2011年8月6日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
2011年08月06日
世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から66年のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。
3月11日、東日本一帯を襲った巨大地震は、多くの命と生活基盤を根こそぎ奪い取る未曾有の被害をもたらしました。この震災によって、とくに福島第一原発の事故は、電源喪失、メルトダウン、水素爆発などを通して莫大な放射性物質を世界中にばらまきました。事故はいまも収束に至っていません。脱原発の運動に取り組んできた私たちは、今回の事態をふせげなかったことに、強い責任と憤りを感じざるをえません。
福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と並ぶ原発史上最大級の事故となりました。ヒロシマ・ナガサキから66年、チェルノブイリ原発事故から25年、いま改めて被爆30周年(1975年)の原水禁大会の森瀧市郎さんの基調演説を思い起こさなければなりません。
「私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーの利用をも否定しなければならぬ核時代に突入したのであります。しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、とことわらざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。
共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。
人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆30周年のこの大会で、全世界に訴えます。
人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります。」
森瀧市郎さんの訴えは、福島原発事故の発生により、先見性が示されました。それは、私たちの運動の原点となるものです。
米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らねばなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続ける中で、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。
私たちは、66年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
○再生可能なエネルギーによる脱原発社会をめざそう
○「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しよう
○臨界前核実験などすべての核実験を完全になくそう
○被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しよう
ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ
2011年8月6日
被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
2011年08月06日
広島に原子爆弾が投下されて66年を迎えた8月6日、広島市の中国新聞ホールを会場に、4日から続いた原水禁広島大会を締めくくるまとめ集会が開催されて、約760人が参加しました。
大会実行委員長である川野浩一原水禁議長のあいさつに続いて、5日に開催された子どもたちのイベント「メッセージfromヒロシマ」の報告がありました。米国の団体「ピースアクション」からニューヨーク州事務局長のアリシア・ゴッズバーグさんら海外ゲストが紹介された後、山口県平和運動フォーラム議長の岡本博之さんから、上関原発建設計画中止にむけた署名提出など、この間の動きが報告され、福島県平和フォーラム事務局長の原利正さんからは、福島第一原発の状況と現地の状況についての報告がありました。藤本泰成大会事務局長(原水禁事務局長)からのまとめと特別決議に引き続いて、広島県実行委員会から「ヒロシマ・アピール」が提案され、参加者の拍手を以って承認されました。
最後は参加者全員による「原爆を許すまじ」を合唱。「脱原発」「非核三原則の法制化」への運動をより強くしていくことを確認して、広島大会は閉会となりました。
●フクシマに連帯する特別決議/被爆66周年原水爆禁止世界大会・広島大会
発言する原福島県平和フォーラム事務局長
2011年08月06日
長崎といえば、『坂本龍馬』。
『坂本龍馬』といえば、『日本の夜明け』。
『日本の夜明け』といえば、『反核・非核の平和な未来』がすぐそこに・・・
というわけで、長崎の地では、真夏の暑さに負けないくらい「熱い」平和活動が行われています!!!
街頭では、独自に平和活動をしている「高校生一万人署名」の皆さんの姿は見られます。
彼ら・彼女らが署名活動する姿は、真夏の炎天下も、なんのその!
日焼けした姿もまぶしく、麦綿帽子も似合っています!
それでは、暑い、熱い、長崎で行われた『子どものひろば2011』、『ピース・ブリッジ2011 inながさき』の報告です。
子ども平和のひろば
日時:2011年8月8日(月)9:30~12:30
会場:
長崎県教育文化会館4F401(長崎市筑後町2-1/℡095-822-5195 定員70人)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」
内容:
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。
スケジュール:
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映(ナガサキのこうま)
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町へ、通りにそって被爆の状況を説明)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で説明、献花、黙とう、感想発表
運営・進行:長崎県教組長西総支部
日時:
2011年8月8日(月)9:30~12:30
会場:
長崎県勤労福祉会館2F講堂(長崎市桜町9-6/℡095-821-1456 定員200人)
主催:
ピース・ブリッジ2011 inながさき実行委員会
内容:
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピースブリッジ」第8弾。各地で平和活動を進める高校生や韓国、フィリピンの高校生も参加して活動報告や交流を深めます。また、高校生が作った被爆者証言ビデオのDVDの上映もあります。
プログラム:
1.主催者メッセージ
2.被爆者証言ビデオDVD上映 「今 伝えたい~あの日からのメッセージ~」ダイジェスト版
3.特別報告:東日本大震災・被災地からの報告 ―岩手県立高田高校選出・高校生平和大使より
4.各地の活動報告(神奈川、福岡、熊本、大分など)
5.韓国・フィリピンの高校生の紹介と活動報告
6.みんなで歌おう平和の歌
7.高校生平和宣言
≪高校生・意見交換会≫
テーマ:『核兵器のない平和な世界の実現に向けて』
(1) 核兵器の廃絶はできるだろうか
(2) 世界の平和の実現のために必要なこと
(3) わたしたちは何をなすべきだろうか
2011年08月05日
広島市のYMCA国際文化ホールを会場に、被爆66周年原水爆禁止世界大会・国際会議が開催され、国内、海外から約160人が参加しました。
「脱原子力にむけた構想力」と題した会議では、ドイツの連邦議会議員で、緑の党会派副代表のベーベル・ヘーンさんら、日本や米国、欧州などの専門家が参加して、3.11東日本大震災・フクシマ第一原発事故以降の世界における、エネルギー問題・脱原発の必要性など、活発な議論が交わされました。
2011年08月05日
夕暮れの広島市・ハノーバー庭園で、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ ヒロシマの集い」の行動が行われました。
これは「さようなら原発1000万人アクション」と連携する取り組みで、蛍光ライトを手に、「人間の鎖」が原爆ドームを取り囲み、参加者は「さようなら原発」を被爆地・広島から訴えました。
2011年08月05日
被爆体験について講演する平井昭三さん
第6分科会は、DVD上映及び、被爆証言を通じて、被爆地ヒロシマの実相に触れるとともに、若い世代へ運動をつなぐための分科会(入門編)として行われた。会場は約350人、3分の2が初参加者であり、なおかつ、若い人たちで占められ、そのほとんどは女性であり、次の世代への平和運動の継承という点からもふさわしい会場となった。
開会あいさつの後、分科会進行内容の説明を運営委員が行い、その後、DVD「君たちはゲンバクを見たか―ヒロシマ・ナガサキからの伝言」を上映した。内容は、ヒロシマ・ナガサキの被災状況から、ビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸、スリーマイル島及び、チェルノブイリ原発事故など23分にわたるものであった。被爆の状況や被爆者の写真、被爆者の証言や被爆二世の思い、韓国・中国・アメリカなど、海外の被爆者についても盛り込まれていた。また、アメリカが原爆投下の正当性をアピールしていることにも触れていた。
被爆者の証言の中で「つらいのは人の情けがないこと」という言葉や、「正しい戦争は絶対にない」「後に続く人たちに被爆者の心を引き継ぐことが使命」だという言葉が印象的だった。
その後、平井昭三さんを講師に迎え、「被爆証言」の講演を聴いた。平井さんは当時16歳で、友人宅にいて被爆した。父親と弟を原爆で亡くし、母親も被爆し、負傷したとのことだった。
被爆当時の状況、広島市街地が炎上する様子、被爆した人々が北方面に避難する状況を克明に証言された。父親の遺体発見、弟の遺体や遺品が全くないことがつらいということ、防火水槽や河川が遺体で埋めつくされた様子など、生々しく語られた。初めて被爆証言を聴いたという参加者には、原爆の悲惨さや惨状がよく伝わったと思う。
その他、アメリカで2ヵ月ホームステイし、ヒロシマの被爆証言をしたこと。ピースボートに参加し、様々な被爆(被曝)者との交流、また、ドイツに行って、アウシュビッツ収容所や、ドイツでの被曝証言や参加者との交流についてもお話があった。その中で、東日本大震災での福島原発事故にも触れて、「すぐには解決できないが、人類と原爆・原発は共存できない」と語った。最後に、「正しい戦争は絶対にない。どんな理由があっても絶対に戦争をしてはいけない」と強調した。
入門編にふさわしく、ていねいで、初参加者にもわかりやすく、なおかつ詳しく話されたので、説得力のあるだった。