2011年8月
2011年08月05日
「ヒバクシャを生まない世界に2(交流・討論編)~原爆訴訟・在外被爆者と被爆者援護法」はワークピア広島3階「楓」において、参加者59人、内初参加者は32人で開催された。
この分科会は、広島・長崎の原爆被害者は、高齢化し原爆後障害で苦しみ続けている人々今なお多くいるが、被爆体験者・在外被爆者・被爆二世・三世などの残された課題への理解と解決に向けた取り組みに対する運動・連帯につなげる目的で開催された。
二人の講師からは、1.原爆被害者の現状、2.原爆症認定制度と原爆認定訴訟について、3.認定に係る被爆地認定の是正、4、在外被爆者問題の現状と課題、5、被爆二世・三世問題などについて、自身の体験を交えて講演が行われた。
被爆者援護についてはこれまで国策としての「核の平和利用=原発推進」の観点から、原爆被害が過小評価された。そのことによって放射能被害の重大さを抑制する観点から、被爆者認定数を少なくする政策がとられてきた。具体的には、原爆体験者が爆心地からの距離のみで、医療費補助について一定の措置が取られた。
しかし、多くの「原爆症集団訴訟」を経て、一定の拡大が図られてきたが、今なお認定を受けられない多くの人々が存在しており、司法の解決の前に政治的な解決が求められている。また、福島原発事故により状況が変わろうとしている。今回の事故により内部被ばく問題は、国としても見過ごせない課題となった。今も様々な健康被害を被ってきた被爆体験者が、認定を求めて提訴を行ってきているが、このことは将来福島原発事故による健康被害に通じるものがあることが報告された。
つづいて、在外被爆者についてであるが、在外は外国人という意味ではない、戦後南米などに移住された方も含むということを忘れてはならない。「被爆者はどこにいても被爆者」であり、実効性のある被爆者援護法が必要である。また、国交のない国に住む在外被爆者に対する救済についても求められる。
参加者からは、福島原発事故における被曝者救済に向けた対策や二世・三世問題に対して質問などが出されたが、時間上の都合から議論が深まるまでは論議できなかった。しかし、参加者の想いは「新しい被爆者を生まない、被爆された方への手厚い援助が必要である」。また、すべての被爆者と連帯していくことが必要であることを確認し閉会した。
2011年08月05日
参加者80名。講師にフォトジャーナリストの豊崎博光さん。
豊崎さんは、核兵器、核燃料製造の流れについて説明があり、核燃料サイクルというのはウソであり、最後にはゴミを生むだけで、ウラン採掘から運ぶ人、製造する人、多くの人が被害を受けるということ、それゆえに、ウラン採掘に対しても反対をしなければならないこと。採掘を止めれば原発も核兵器も無くなるとして、われわれは自身や津波を止めることはできないが、原発は止めることができると訴えました。
また、核実験が及ぼす被害は世界に広がっていること、また、チェルノブイリでもヨーロッパ全体、そして日本のお茶にも影響があったこと。同じように福島の事故も世界中に被害を与えていることの説明がありました。そして、福島で考えなければならないのが、長期間放射能を浴びることからくる健康被害。そして、どのような影響があるかわからないことからくる、心の被害が大きいこと、そして差別問題であると指摘がありました。続いて、私たちは核を使わないようにしていくこと、被曝者をどうやって救済していくかが重要であるとの話がありました。
海外ゲストのアントン・ブドビチェンコさんからは、自身が9歳のときに起きたチェルノブイリ事故の状況について話がありました。時が経つにつれて、国は事故のことを忘れさせるために、救済のプログラムがオリンピック等のイベント費用捻出に切り替えられていったことを語り、そのため、自分たちで何かをやろうと、ドイツのNGOの援助を受け、「チェルノブイリの子どもたちのために」というNGOを結成したことを説明しました。その活動は、障がいを持つ子どもたちのためのリハビリセンターや学校をつくること、汚染地域から離れるためのサマーキャンプや、健康調査も行い、これまで約1万人の検査を行ったといいます。そのうちの約7割の子どもが何らかの健康障害を受けているそうで、福島についても、チェルノブイリの経験を生かした対応が重要ではないか。自分も未来の子どもたちのためにがんばりたいという話がありました。
9歳のときに体験したチェルノブイリ事故について語ったアントン・ブドビチェンコさん(左)
福島からの報告(福島県平和フォーラム・国分俊樹さん)
国分さんからは涙をかみしめながら、自分の住む郡山について話していただきました。特に、家族のためにどうしたらいいのか、苦しい胸のうちと、自分自身のストレス障害について話がありました。
また、原子力に携わった人たちへ「核利用には軍事利用も平和利用もない」と怒りを表明しました。
それから2つの提起があり、1つは木造家屋は放射線が強く、子どものいる家庭はすべて除洗するべきであること。2つめは学校給食では地産地消として、地元の作物が使われているが、食物を通した内部被曝が
心配であり、安全なものを使わせてほしいというものでした。
その後、参加者との意見交換に入り、チェルノブイリの取り組みの具体的な点や福島へのアドバイスを求める意見、学校給食では、いま何が問題であり、対応できないのか。チェルノブイリで行われている健康調査の結果や、その後の対応についてなどのやり取りがありました。
最後に豊崎さんから、これまでこういった事故が起きたらどうなるか、ということで訴えてきたが、現実になってしまい、非常にくやしくてつらいという想いが語られました。
2011年08月05日
参加者 85人 初参加者15人
講演者 前田哲男さん(軍事評論家)
大きくは二つの提起があった。 一点目は、 3・11では、国民が求めるイメージ(国防白書では30年間国民の意見のトップの)「災害派遣」で、自衛隊は活躍した。 当初防衛省は2万人の派遣であったが、菅総理が10万人の派遣を決め、実際には10万6千人が出動した。 自衛隊は、福島原発事故には対応できなかったが、一方遺体収容や物資輸送、避難民の後方支援では活躍した。
今回は、自衛隊の出動ではなく派遣。出動は任務だが、派遣はサービス。 軍事的な訓練や災害対応の訓練は行っているが、今回のような大規模災害への訓練は行っていないし装備もない。
もちろん原発事故に対する訓練も装備もない。 15万の陸自のうち7万五千が動員された。これは、一方的軍縮 でもあるが、誰も攻め込んでくる国はなかった。
こうした現状を踏まえ 「(自衛隊が意見かどうかの論議は、別に行うとしても)自衛隊を国民が求める、災害救助隊へ任務変えを行わせる」運動を行ってはどうか? の提起がされた。
運営委員会としては、提起は分科会として受け止めるが、分科会で論議を尽くせる内容ではなく、分科会で決定できる内容ではない。、とした。
二点目は、 3・11以降、福島は全国民の注目になっているが、普天間で行われていることが隠されている。
小泉政権のころから、日米安保が日米同盟に変わってきた。米軍再編の中で沖縄の基地が強化されてきた。
日米同盟は、共通の戦略、役割と能力を分担しているのであり、自衛隊は自衛のためではなく軍隊になっている。 「東北」に目を奪われて「南西」を忘れてはならない。 という提起だった。
運営委員会としては、原発問題も沖縄の基地問題も、言葉は悪いが地域の差別化の問題である。
原発事故も沖縄の基地問題も、特定地域の問題としてしまわないことが必要。
具体的被害の事実から運動にしていこう、とした。
沖縄の報告
*自衛隊の、軍事力が強化されている。
*普天間は危険だから、辺古へ移転して返還するというように、基地を縮小する気がない。
*日米安保の7割が、沖縄へ押し付けられている。
*高江のへりパットも、一部返還の変わりに倍以上の敷地を確保しようとしている。
*国が住民を通行妨害で訴え裁判を起こしている。
*アメリカでは、言葉は悪いが「未亡人製造機」と言われる、オスプレイも配備されようとしている。
*これは、構造的、差別ではないのか?
質問
大阪 前田さんは、自衛隊が役に立たないといったが「自衛隊員の友達はだいぶがんばった」
前田 個人的にがんばったがんばらなかったということではなく、組織として、72時間以内への対応や原発への対応の
組織ではないため、この件に対して約に立たなかったということであり、そうした面でも役立つ組織にしたほうがいいという
こと。
神奈川 自衛隊が米軍の友軍として、強化されているのでは?
前田 ソマリアの海賊退治など、海外活動が常態化しており、米軍と一体となった戦力になっている。
神奈川 厚木の爆音訴訟をしているが、原子力艦船が横須賀にいるので厚木に艦載機がある。
原子力艦船の入港も原水禁として反対してはどうか?
運営委員 この間原水禁として、核兵器・原発だけではなく、原子力艦船の入港も反対してきた。
あらためて、この分科会としてそうした運動の強化も確認したい。
広島 中国との関係を運動としてどう考えるのか?
前田 中国が強行的になったと評価されているが、「日本が空母を持つなど軍事力を強化していることに対する対抗
措置」だといえる。
日本が、日米同盟を強化していけば行くほど、中国は威嚇・対抗・対立の姿勢を強めるのであり、軍事的防衛がい
いのか、平和的な友好関係で守るのかを考えてほしい。
感想
*「東北」と「南西」などとわけることにより、「原発事故問題」と「沖縄基地問題」が対立するかの印象がもたれたので
は?
*何が共通するかという観点での提起が必要と感じた。
*共通するのは、経済的な観点で原発や基地問題が捉えられてるということ。大勢の人権のためには、少数の人
権、特別の地域の人権が犠牲にされているということ。
*これは、護憲大会へ引き継いでほしい。
(菅原晃悦/東北ブロック・宮城)
2011年08月05日
参加者は全体で100人、初参加者は30人程度だった。
湯浅一郎さんからの講演では、現在も米ロで2千発の核弾頭が警報即発射の状態に置かれていること、冷戦が終わったらこれはゼロにすべきものだという指摘があった。しかし、核兵器保有国はいずれも核兵器保有の目的として「他国の脅威を抑止するため」という理由を挙げている。オバマ政権も、プラハ演説で核兵器廃絶を言いつつ、昨年の核態勢見直し(NPR)では「核兵器による脅威が存在する限り、核兵器による抑止力を維持する」という矛盾を抱えた核兵器政策をとっている。
東アジアで言えば、「核兵器に依存しつつ核兵器をなくそう」という矛盾を解消するためには、東北アジア非核地帯の取り組みを進めて行くことが重要。NPTは矛盾を抱えた条約だが、経済難のなかで軍事費削減を求める米世論や、中堅国家構想を進めるスイスの市民の取り組みなど新たな動きもある。市民社会の力こそが原動力となる。市民と自治体の共同が重要という提起があった。
これを受けた交流では、大阪の仲間から「核と人類は共存できないという言葉は1975年の世界大会で提起された言葉。非核自治体宣言運動が活発だった。これからは脱原発自治体宣言を広範に取り組むべきでは」「原爆の被害に対して国家補償を求めてきた。これは福島についても明確化させて、国の責任を問うべき」「いかなる核実験にも反対すべきだが、それを基調がはっきり伝えていない」という意見が出された。
また、三重の仲間からは湯浅さんからの提起のあった自治体との連携に関して、「県で非核平和行進を取り組み、各自治体に非核自治体協議会や平和市長会議への加盟を求めてきた。ただ、県の姿勢は協議会に入らなくても充分に情報が取れるというもの。また、8月に子どもたちをヒロシマ・ナガサキに送るのに助成を求めている」といった取り組みが報告された。
放射能の被害について、湯浅さんからは、放射能をつくるという意味では原発も原爆も同じであり、福島を通じて核兵器の問題も見えてくるという指摘があった。一方、会場からは福島の問題について交流する重要性の一方、「福島」と「福島以外」のギャップがあることも指摘された。今後の運動の課題として、このギャップを埋めることの重要性を確認し、分科会を終えた。
2011年08月05日
まず初めに、原子力資料情報室・共同代表で原水禁副議長の西尾漠さんより、「福島原発事故と脱原発社会の選択」ということで、3月11日に発生した「東日本大震災」に伴う福島第一原発事故の現状や今後の危険性、そして原発を止めていくための提起がされました。
チェルノブイリ事故から25年が経過している今年。事故が起こってから4ヵ月。いまだに被害が拡大している状況がある一方、国際評価でもチェルノブイリと並ぶ、それ以上ともいえる史上最悪の
事故であることが述べられました。
「人災」とも言えるこの事故は、「大きい事故は起きていない」思い込みから、今回の「想定外」につながったことであるとともに、福島原発のように、既存の施設に複数もの原発が集中する中で、今回はそれぞれの異なる危険性が相互に影響しており、外部電源喪失から始まり津波による拡大、メルトダウンに至る中で止めることはできたものの、「冷やす、閉じ込める」ことのすべてにおいて、失敗している現状。自身と原発による「原発震災」となっている中で、放射能汚染がより一層、事故収束の弊害にもなっています。
また、3回、4回とロードマップが示されましたが、事故の実情はわからないままです。その障害となっているものは、自らが放出している放射能をはじめ、原発労働者についても、防げたはずの被曝が防げなかった現状につながっています。
こうした中で、今後議論すべき課題について、いくつか出されており、空、海、大地、地下へと広がる放射能汚染の中で、自身が判断を下し、がまんするしかないことと、国に対して主張していくことが重要であり、二度とこうした事故を起こしてはならないし、原発は止めていかなければならないということが述べられました。
そのためにも現在、国内に54基ある原発が16基しか稼動していないことを考えれば、その分の確保は節電等によって可能であり、節電から効率性向上による低エネルギー消費への移行など、自然エネルギーをうまく利用していくことも述べられました。
質問や意見
1.マスコミ報道された牛肉を政府・東京電力の食堂で出すべき。
2.報道の姿勢について疑問がある。
3.国や東電の責任の取り方が不明確。また、送発電の分離について教えてほしい。
4.「止める」までは行われたが、「冷やす、閉じ込める」はそもそも可能か。
5.フランスと米国の製品を使用しているが、つなぎの不良を含めて大丈夫か。
6.どうしたら子どもたちを福島へ帰せるか。
7.再稼動をどう止めるべきか。被爆国として、何が必要か。
答弁
1.「東京電力」と一括りに言っても、経営側と一般社員は異なると思う。
2.政府は東電を生かそうとしており、出資者の責任は問われていない。むしろ、政府に移すなどの考え方もあるはずで、そこは問題だと考えている。
(鈴木郁夫)
2011年08月05日
「メッセージfromヒロシマ2011」の様子を写真にてご紹介いたします。
少しでも、迫力、熱気を感じてもらえれば!との思いから、写真を厳選してみました。
なんと、これらの写真は、すべて、実行委員として参加してくれた高校生の撮影したものです。
「さすが!写真部!」といった作品ばかりです。
朝鮮舞踊部による華麗な舞でイベントのスタート!
赤いスカートが高級部、青いスカートが中級部。鮮やかですなっ!
総合司会は真柴さん(左)と、下岡さん(右)。
二人とも発声が素晴らしい!
放送部に、演劇部とくれば、もう怖いものはありません!
司会は、小川さん(左)と、三田くん(右)です。
総合司会者をしっかりフォローしました。
「マル・マル・モリ・モリ!」を踊って緊張をほぐします。
恥ずかしいと思っているのは、最初だけ・・・。
やっぱり、踊るのって楽しいのです。
ほらっ、この笑顔が、楽しさの証拠でしょう!
第2セクションの「考えよう、表現しよう、平和の思い!」では、
真剣そのもの。
司会者が会場をまわって、進行状況をリポートしています。
メッセージが書けたものは、シートに張り込んでいきます。
「ここで目立つかな・・・」
と言いながら貼り付け(ているかどうかは分かりませんけど…)。
第3セクション「世界のお友だちと平和を語ろう」では、
海外ゲストがメッセージをくれました。
韓国からは、代表してチェ・テホさん(左)がメッセージ発表です。
フィリピンのゲストはマイテ・イバルダローザさん。
13歳とは思えない落ち着きぶり!
こちらのセクシー娘三人組は、
可部高校ダンス部の小泉さん(左)福本さん(中)、枡田さん(右)。
出たっ!マイケル!と思いきや、こちらは、中学生ながら、
実行委員に参加してくれた日上くん。
表現力ではダンスに負けず劣らず!
可部高校の三人による紙芝居は情緒たっぷり。
総合司会のお2人に加えて、田代さん(右)。
エンディングでは、このイベントのメインである「平和のメッセージ」の発表です。
実行委員を代表して発表してくれたのは、
三谷くん(左)、日上くん(中)、佐々木さん(右)。
第2セクションで書いたメッセージシートは鳩の形になって登場。
実は、こういう貼り付け作業も実行委員が頑張っているのでした。
さぁ、テンションはMAX!
ダンス指導をしてくれたダンス部に混じって、
司会者もステージ上で踊ります。
おや?ケロロ軍曹もおどってますね・・・。
一日、お疲れ様でした。
ケロロに、スティッチ、司会者の三者で満足げな笑顔です。
終了後には、イベント恒例の集合写真です。
実は、別の場所に行ってしまって、集合写真に間に合わなかった実行委員も・・・。
来年は、是非、センターで写って下さい!
参加者、実行委員、関係者、皆様のおかげで、
2011年も成功を収めることが出来ました。
ありがとうございました!
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