イランがホルムズ海峡でミサイル発射実験。
2011年12月31日
2011年12月28日
●有数の原発立地県で反対の声を上げ続ける
原子力発電に反対する福井県民会議 事務局長 小木曽 美和子さんに聞く
●低調だった第66回国連総会における軍縮議論 問われる日本政府の姿勢
NPO法人ピースデポ 代表 湯浅 一郎
●さようなら原発1000万人アクションのこれから 政治や世論に強く訴える運動をめざそう
●激動の2012年、流動化する世界 米ロ、米中対立の狭間で日本は?
●電力の無駄遣いに議論の余地なし リニアのための原発再稼働を許さない
リニア・市民ネット 懸樋 哲夫
原子力発電に反対する福井県民会議 事務局長 小木曽 美和子さんに聞くく
【プロフィール】
岐阜県生まれ。福井新聞社への就職を機に福井県へ。新聞社時代には、「報道の自由」の問題などで、労働争議を経験。解雇撤回を勝ち取り退職。その後、女性運動や地元の選挙にかかわる。1976年に「原子力発電に反対する福井県民会議」を結成。高速増殖炉もんじゅがあって、また、敦賀、高浜、美浜、大飯原発を抱える、日本有数の原発立地県にあって、長年反対運動の先頭に立ち続ける。
――原発問題にかかわることになったきっかけと福井での運動の経過について教えてください。
あるとき、地元企業のPCB汚染問題が発生し、旧・社会党の国会調査団が現地調査に入りました。そのとき同時に、原発についても調査を行ったのですが、その調査に私も同行したことがきっかけで、原発問題にかかわるようになったのです。
福井は最初に商業原発を誘致して建設したところで、敦賀、美浜が70年に運転開始されています。しかし元々保守的な地域だったこともあって、原発推進派の一方的な宣伝ばかりで、危険性についての情報はまったく入ってきませんでした。電力会社、通産省(当時)、そしてそれを権威づける専門家による情報を信じるしかなかったのです。原子力はクリーンエネルギー、そして電力があれば産業もやってくるということで、当時は誘致合戦になりました。
中には漁民の反対を受け止め、市民の思いを大切にする中で原発をつくらなかった小浜市のような例もありますが、多くの場合、漁業の規模は小さく、反対運動が起きにくい過疎の集落などを狙い撃ちにして、建設計画が進められました。
しかし現実に運転が始まると、原発に批判的な研究者グループから、コバルトが検出されたという調査報告が出てきました。また運転開始された福島でも海底の汚染が報告され、完全に閉じ込めておくはずの放射性物質が現に環境に飛び出している事実を隠し通せなくなり、新増設が難しくなったために、電源三法が出来たのです。
原発建設でお金がつくということで、福井には計9機の原発が建設され、そして高速増殖炉「もんじゅ」の新設計画が浮上しました。そういった中で、このままどんどん原発をつくっていいのか、そして「もんじゅ」とは何なのかという疑問が湧き上がってきたのです。そこで私たちは情報をかき集めて、今までの軽水炉とはまったく違う、プルトニウムを使う、世界でもまだ成功していない恐ろしいものであるということがわかりました。
そうやって原発の実態が少し見えてきて、調査を進めるうちに、原水禁が原発問題で学者を中心に学習会を行っていることを知り、福井でも是非ということで最初にお呼びしたのが故・久米三四郎先生でした。行動する科学者の姿に感動して大きな影響を受けました。このままでは福井はだめだ、どうしたら運動がつくれるかということで先生の研究室を訪ねたりしました。
それまでは各地域に小さな反対グループはあってもつながりはなく、大きな運動になっていませんでしたが、この「もんじゅ」への反対運動であれば広く組織化できるのではないかということで、全県に党派を超えたかたちで呼びかけました。そうして1976年に「原子力発電に反対する福井県民会議」が結成されました。
――しかし反対の声を押し切って「もんじゅ」は建設され、95年にはナトリウム漏えい火災の重大事故が起こってしまいました。
「もんじゅ」については、私たちは当初からナトリウム火災事故の危険性を指摘してきましたから、事故が起こったときは、やはり、という思いでした。しかしさらに問題だったのは旧・動燃がビデオ隠しなど事実を改ざんして事故を隠ぺいしたことです。
事故翌日に私たちは徹底的に情報を明らかにしてほしいと申し入れをして、福井県は抜き打ちの緊急立ち入り権を行使し、独自調査しました。その結果、動燃の公開資料と事実のあまりの違いが明らかになったのです。それがなかったら今でも事実は隠ぺいされたままだったでしょう。やはり情報の公開というのは安全を考える上で大切な問題です。
しかし、運転しているかいないかにかかわらず、「もんじゅ」の存在自体が危険なものです。もんじゅの地盤には直下1kmに「白木~丹生断層」、直下5kmには「C断層」と2つの活断層があります。美浜原発にも、そして敦賀原発に至っては炉心から250メートルの敷地内に活断層があります。敦賀半島全体が地盤に問題があるのです。深刻な問題ですが、ちゃんと審査されてこなかったのです。
だから、「もんじゅ」は動かしたらさらに危険なのです。地震で配管が壊れたらナトリウムが漏れ出て、空気と反応して爆発してしまう。コンクリートからも水分を奪って反応し、それが影響して最終的には炉心崩壊に至りうるということはもんじゅの高裁判決でも認定されたことです。
――事故が起こった後でも電力会社は原発運転再開に躍起になっています。
関西電力の原発依存率は約54%と高い数字です。だから出力の小さい老朽原発を見捨ててでも、出力が大きく比較的新しい大飯3、4号機の再稼動を優先させようという事情が今回のストレステストをいち早く進めている動きの背景にあります。
しかし、福井で原発事故が発生したときを考えると、関西最大の「水がめ」である琵琶湖がどうなってしまうのかが大きな問題です。また、例えば京都府は高浜原発から最も近いところで4kmしかありません。周辺自治体は一斉に関電に対して、立地県並みの内容を持った安全協定を求めています。今までは福井県と立地する小さな自治体に対応すればよかったのが、そうはいかなくなってしまうので、関電は締結を渋っていますが、このことは関西でも自治体の側が事故のことを深刻に受け止めつつあることを示しています。
私たちは80年代、1万個以上の風船を飛ばして風向きを調査しましたが、風向きによっては関西を直撃しますし、あるいは名古屋、長野をかすめながら、最終的には千葉あたりまでたどり着いています。
――原発立地県で反対の声を上げていくことには並々ならぬご苦労があるかと思いますが。
敦賀など原発立地の自治体には、なんと言っても原発に生活を預けている、それで成り立っている人たちが多いわけですから、原発が止まったままでは困る、そういう意味で、早く再開してほしいという住民の声があることも事実ですが、それが圧倒的かというとそうでもないのです。
敦賀3、4号機の増設問題のとき、県民署名を行ったところ、約21万人分集まりました。県内有権者の3人に1人以上が署名したことになりますので、県知事もびっくりして、長い間増設ができなかったのです。
福井県内でも小浜市は大飯原発の隣接自治体ですが、若狭の伝統文化を中心とした観光の街としての生き方を選んでいます。地方の経済の落ち込み、格差の拡大の中で、決して豊かとまでは言えませんが、原発なしではやっていけないというわけではないのです。
そして、つくってきた以上は国の責任で、脱原発に向けた道順を指し示していく必要があると思います。
――原水禁へ一言お願いします。
原水爆禁止運動は一人の主婦から始まり、広がったものです。生命を育む立場にある人の思いで運動が成り立ってきた、その原点を忘れてはいけないと思います。その原点を忘れない限りは、目標達成に向けて、いつまでも力強く続けられるものだと思います。
原水禁は核兵器と原発は区別できない問題としてとりくんできましたが、今回の事故であらためてその正しさを再認識しています。原発を含めた核の廃絶までがんばらなくてはいけません。
しかし労働運動の中でそのことがなかなかとりくめずにいることを、一般の人たちは疑問に思うでしょう。その克服は緊急の課題です。9.19の集会の成功をさらに発展させていくことが、核のない平和な世界に近づけることになると思いますので、原水禁がその先頭に立つことを期待しています。
〈インタビューを終えて〉
「女だでら」という言葉は、極めてジェンダーな言葉だろう。しかし、小木曽さんの来し方にはよく似合う言葉かもしれない。女性の社会進出がまだまだ閉ざされている時代、新聞記者として、そして争議も経験して、差別の時代をまさに「女だてら」に生きてきたように思える。だからこそ、「県民会議」をまとめて、ずっと引っ張ってこられたのだろう。高速増殖炉「もんじゅ」、この知恵の菩薩は、極めて危険だ。小木曽さんは、計画の段階から一貫して「もんじゅを廃炉に」と闘ってきた。もう少し、ほんの先に「廃炉」が見えてきているのかもしれない。「原発は命の問題」。そう小木曽さんの顔に書いてあった。
(藤本 泰成)
低調だった第66回国連総会における軍縮議論
問われる日本政府の姿勢
NPO法人ピースデポ 代表 湯浅 一郎
米国など核保有国に弱い日本決議案
12月2日、第66回国連総会が閉幕しました。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議から1年半が経ち、来年春から次のサイクルである2015年の再検討会議に向けた準備委員会が始まる前の、重要な会議だったのですが、核兵器廃絶に向け目ぼしい動きはありませんでした。そうした中、日本の市民が知っておきたいことを2点、紹介したいと思います。
第1は、日本が中心となって提出している決議案「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」についてです。同決議は、12月2日、賛成169、反対1(北朝鮮)、棄権11(中国、インド、パキスタン、イスラエル、イランなど)の賛成多数で採択されました。日本政府による核軍縮決議は1994年以降、18回提出されており、現在のタイトルでは2年目です。中国を除く4核兵器国は賛成し、米国は今回も共同提案国となりました。
日本決議では、2010年NPT最終文書の成果である「核兵器禁止条約」に関する言及はなく、焦点化している中東決議についても、95年NPT再検討・延長会議の決議を「想起」するだけで、その完全履行への措置を明確に要求もしていないなどの問題があります。
日本決議は、総じて米国など核兵器国への具体的要求が弱いということが特徴です。これは、新アジェンダ連合(NAC)提出決議「核兵器のない世界へ;核軍縮の誓約の履行を促進させる」と比較するとよくわかります。NAC決議は今年、核兵器国による核軍縮誓約を列挙した、10年NPT最終文書の行動5をはじめ、過去の合意の履行の加速を徹底的に求めるという姿勢をいっそう明確にしました。核兵器国の削減努力やパリ会議開催を手放しで評価するのみの日本決議に対し、NAC決議は12年5月の第1回準備委員会を「履行状況を監視する基礎作業の第一歩」と位置付け、核兵器国に誓約の実質的進捗を求めています。ちなみに同決議は、賛成168、反対6(北朝鮮、インド、イスラエル、仏、英、米)、棄権6で採択されました。
重要な一石を投じたオーストリア決議案
第2は、ジュネーブ軍縮会議(CD)の停滞を打破しようとする決議をめぐる動きです。国連総会第1委員会にはCDの現状打開に関係する決議案が3件提案され、「軍縮機関」というテーマで集中討論されました。その一つに、オーストリア、メキシコ、ノルウェーが提出した「多国間軍縮交渉の前進」なる決議案があります。CDの停滞を打開するため、総会のイニシアティブで複数の作業部会を設立し、そこで懸案の核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)、消極的安全保証(NSA)を含む核軍縮全般の交渉を前進させようという革新的な決議案です。
これに対し、非同盟運動(NAM)諸国の多くは、全会一致ルールを重視し、CDの行き詰まりの原因は、FMCTを重視して核兵器禁止条約などを軽視するアンバランスにあり、それを乗り越えようとする政治的意志を示すことがCD打開への道だとの主張を繰り返し、オーストリアなどの案には一様に否定的でした。修正努力の末、オーストリアは「決議案の一体性と強さを保持するため」、今次の委員会では採決を求めないと表明しました。残念な結果とはいえ、同決議案は疑いなく国際的核軍縮議論において、問題の本質に触れる重要な一石を投じました。同じ狙いをもった決議案が今後再び提出される可能性に期待したいと思います。
市民の力で政府の姿勢を変えさせよう
ここで重要なことは、同決議案はNGOの提言が発端になっていることです。7月27日から29日にかけ、CDの現状打開のための国連ハイレベル会議が開催されました。その会議に向け、「リーチング・クリティカル・ウィル」(RCW)と「核政策法律家委員会」(LCNP)の2つのNGOは「多国間軍縮交渉の再活性化:一つの代案」なる共同提言を提出しました。オーストリアなど3ヵ国の「決議案」は、その提言が下敷きとなって生まれたという経緯があります。
総じて低調に終わった国連総会でありましたが、オーストリア案により、核軍縮への道筋をどう作るのかの論議が熱く行われたことは意義深いし、今後もそれが追求される可能性はあります。さらに、私たち日本の市民には、核兵器国に対して筋道を立てた要求をしない日本政府の姿勢を変えさせるという課題が、依然として目の前にあることを忘れてはなりません。
さようなら原発1000万人アクションのこれから
政治や世論に強く訴える運動をめざそう
原発の再稼動を許すな
3月11日の福島第一原発事故から、もうすぐ10ヵ月を迎えようとしています。事故によりいまも多くの人々が故郷を追われ、目に見えない放射能の恐怖にさらされています。事態の収束には多くの時間を要し、故郷への帰還も厳しい現状が続いています。広範囲にわたってばらまかれた放射能は、農水産物を汚染しただけではなく、人々の身体と暮らし、そして心にまで大きな影響を与え続けています。除染や補償も大きな問題となっています。フクシマの直面する問題に私たちも正面から受け止めければなりません。
福島原発事故は、核文明・核社会の歴史的転換点となる事故です。核社会・核文明に私たちはピリオドを打たなければなりません。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、JCO、そして今回の「フクシマ」。日本人は5度に渡る核被害を受けてきました。これ以上、核の惨禍を繰り返さないためにも、いまここで私たち脱原発の声を大きく上げなくてはなりません。9月19日の「さようなら原発5万人集会」では予想を超える6万人が集まり、大きく運動が盛り上がりました。しかし、政策転換へはまだまだ道半ばです。野田政権は「減原発」を打ち出していますが、その実態は、原子力政策の延命でしかありません。
来春には全ての原発が停止し、その後は再稼働問題が、原発立地地域を中心に攻防が予想されます。その闘いを地域の課題に押しとどめるのではなく全国の課題としてとりくみ、原発推進の動きに歯止めをかけていかなければなりません。さらに再稼働を容易にさせるために福島原発事故を「津波」による天災とし、耐震問題は「問題がなかった」かのような東京電力の事故調査報告が出されています。東電の責任逃れと新たな原子力安全神話を許さない闘いが求められています。
3月11日は全国から福島に集まろう
脱原発に向けた私たちのとりくみは、まさにこれからが正念場です。福島原発事故1周年を機に、もっと私たちは大きな声を上げなければなりません。原発震災1周年に当たる2012年3月11日に福島県郡山市の開成山球場で、地元を中心に福島原発事故1周年の県民集会が開催されます。地元では、超党派の「オール福島」での参加を求めていく予定です。この集会を「さようなら原発1000万人アクション」として全国で支えるとりくみとして呼びかけます。全国から現地への大結集と、各地での連帯を訴えます。
それに先立って、2月11日を中心に全国各地で「さようなら原発集会」を開催するよう呼びかけています。東京では、代々木公園において集会とパレードを予定しています。大電力消費地である東京で、福島原発事故や脱原発をアピールします。各地でも原発立地地域を中心に連鎖的に様々なとりくみが行われる予定です。すでに北海道や新潟、茨城、愛知、愛媛、島根、佐賀などで集会が予定されています。
1000万人署名を達成しよう
また、現在進められている「1000万人署名」も、目標に向けて追い込みをかけなければなりません。2011年12月10日に東京・日比谷野外音楽堂で開催された「がんばろう!1000万人署名」集会では、200万筆を超える署名が集約されていることの報告がありました。目標までには、さらに多くの努力が必要となっています。毎日、事務所には100通を超える署名が、全国から送られてきます。これまでの署名運動にはない反響に、私たちも驚いています。それだけ、今回の事故が多くの人々に影響を与えていることがわかります。だからこそ何としても1000万筆を達成し、政治や世論に強く訴えなければなりません。
3月24日には、東京・日比谷野外音楽堂で署名集約集会を行い、その後、政府へ提出、要請行動を行い、政策議論に弾みをつけたいと思っています。引き続き各地・各団体でのとりくみ強化をお願いします。脱原発への思いは確実に広がっています。これをかたちにしていくことが必要です。私たちの本当の力量が試されています。がんばりましょう。
激動の2012年、流動化する世界
米ロ、米中対立の狭間で日本は?
欧州MD推進にロシアが強く反発
オバマ米大統領は2011年11月、アジア・太平洋地域に対して積極的な米国の関与を表明し、直後に初参加したインドネシア・バリ島での東アジアサミットで、南シナ海問題で中国と対立したことは、よく知られています。しかし、米国はヨーロッパにおいても、欧州ミサイル防衛(MD)計画でロシアとの対立を深めています。欧州MD計画は北大西洋条約機構(NATO)によるものですが、ポーランドとルーマニアに地上発射型のSM3ミサイルを配備し、トルコに探知レーダーの配備をするというものです。米国はさらに10月、スペインのロタ海軍基地をイージス艦配備基地として使用することで合意しています。
ポーランドに配備の欧州MD基地については、新START条約のロシアとの交渉に大きな障害となっていたことから、オバマ大統領が09年9月に撤回を表明しましたが、10年に再び米国はポーランドとMD配備協定を締結し、11年9月15日に協定は発効しました。
しかしポーランド、ルーマニアへのMD配備で、イランのミサイルから米国を防衛するというのは無理な話で、ロシアが自国への脅威と考えるのは当然といえます。ロシアはこのまま計画が進めば、11年に発効した新START条約からの脱退も選択肢に入ると反発を強めています。
ただ、配備予定の迎撃ミサイル(SM3ブロック2A)は、元々海上発射型として日米が共同開発しているのですが、開発はかなり遅れ、日本でも2020年イージス艦配備の予定が大幅に遅れる見通しとなっています。したがってルーマニア、ポーランドへの配備もかなり先になります。
2011年3月にロシアのポポフキン国務次官は、新型ミサイルを搭載した原潜8隻、核弾頭10個搭載可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発、戦略爆撃機ツボレフ95の拡充、新型短距離ミサイル「イスカンダル」の配備など、総額19兆ルーブル(約53兆円)の大軍拡計画を発表しました。ロシアは、来年大統領への返り咲きが確実視されるプーチン首相によるユーラシア経済連合など、経済面でも存在感を見せようとしています。軍事費削減が避けられない米国と、経済不況を脱しつつあるロシアとの軍事的な対立は、ともに大統領選を迎えて予断を許さないといえます。
米アフガン対策の混迷と中東政策のゆくえ
2011年12月5日、ドイツで「アフガン復興支援国際会議」が開催され、国際治安支援部隊(ISAF)が撤退する14年以降も国際支援を続けていくとの議長声明が採択されました。この会議には60ヵ国以上が参加しましたが、パキスタンは参加しませんでした。
その直前の11月26日未明、ISAFのヘリコプターがパキスタン側に2.5km入ったパキスタン軍の検問所を空爆し、パキスタン軍兵士27人が殺害され、11人が負傷しました。パキスタン軍は何度も攻撃を止めるようISAF側に連絡したにも関わらず攻撃は2時間も続きました。パキスタン側は、この検問所はISAFの地図にも記載されており、誤爆はあり得ないと激怒。パキスタンからアフガニスタンへの物資輸送路(カイバル峠)2本の閉鎖と、バルチスタン州のシャムシ空軍基地(米軍の無人攻撃機基地)からの米軍の退去を求めました。
すでに26日、ISAFのトラック50台がカイバル峠から引き返し、シャムシ基地からも12月4日から米軍の撤退が始まりました。パキスタンからの物資輸送は、全体の40%を占めていて、パキスタンルート以外はロシアからの輸送だけになります。しかし、先に述べたように欧州MD計画に強く反対するロシアが、アフガンへの輸送ルートを閉じる可能性も強いといえます。
ロシアルートが不安定になった場合、財政難の中にあるISAF各国と米国とも、2014年を待たずに撤退する可能性も現実味を帯びてきたといえます。一方パキスタンは、軍事支援を含めてさまざまな援助を中国から受けてきましたが、11年も4回目となる対テロ合同軍事演習を10月26日に行っています。パキスタンはアフガニスタンの動向に関係なく、米国から離れ、中国との友好関係を強めていくでしょう。
2012年、日本の外交はどう展開されるか
2011年チュニジア革命で幕を開けた、中東・アラブ変革の波はエジプト、リビアへと拡大し、2012年も変革の波は広がるでしょう。こうした中、10年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書に「中東非核地帯化の会議を2012年に開催する」と盛り込まれた、その年を迎えます。イスラエルと米国はどう対応するでしょうか。パレスチナ自治政府の存在感が増す中で、イスラエルは孤立を深めています。
激動の2012年が幕を開けましたが、日本はどのような外交を展開していくのでしょうか。このままでは米国の中国包囲網に組み込まれてしまいます。今年もさまざまな課題について、斬り込んで解説していきます。
電力の無駄遣いに議論の余地なし
リニアのための原発再稼働を許さない
リニア・市民ネット 懸樋 哲夫
膨大な電力を浪費するリニア
JR東海のリニア中央新幹線計画について、2011年5月に国土交通省からゴーサインが出され、いよいよ本格的な工事が開始されようとしています。リニア計画に関しては電磁波問題、トンネルなどの環境破壊、財政、どれをとっても実現不可能な諸問題がある中で、東日本大震災・福島第一原発事故の後は、特に「膨大な電力が浪費される乗り物だ」とする批判が高まってきました。
しかしJR東海も、管轄する国交省も、リニアの膨大な電力消費について、あいまいな答えしかしていません。国交省の中央新幹線の小委員会で、電力問題が議論された形跡もありません。この委員会は、最終報告の段階である5月になって、ようやく電力消費量を公表しました。しかし、それはたったの2行でした。
東京―名古屋 27万kw ピーク時:5本/時間 所要時間:40分
東京―大 阪 74万kw ピーク時:8本/時間 所要時間:67分
これが、リニアの電力エネルギー使用量に関するすべての情報です。しかし、「ピーク時」とは書いてあるものの、肝心の1編成が発進する際の、瞬間最大電力の情報がなく、結局どれほどの電力設備容量が必要なのかという、基礎データさえ一言の説明もありません。それで「原発5基分」が必要という説や、「1基分以内」とする説も出て、議論が巻き起こる事態を招いています。JR東海は説明会で、「東京電力、中部電力の全発電量の0.4%」という回答も出していますが、これも分母も分子の数値もありません。あくまでも、あいまいにしておいて、そのまま建設工事を開始してしまおうという姿勢なのです。
この問題では、山梨実験線の建設が開始される頃に当たる、20年以上前から議論がありました。「新幹線の40倍の電力」と元・国鉄技師が批判する一方でリニア推進派は、「新幹線の3倍だ」と反論していました。この食い違いも、瞬間最大電力なのか、平均なのかの違いだったのです。いずれにしても、膨大な電力を使う乗り物であることについて、議論の余地はありません。
「原発リスクを覚悟せよ」と語るJR東海会長
東日本大震災・福島第一原発事故から2ヵ月後の5月、リニアを推進するJR東海の葛西敬之会長は産経新聞の紙面で、「原子力を利用する以上、リスクを承知し国民的な覚悟が必要。原発をすべて政府の責任で稼動させるべきだ」と主張しています。
これに対して、私たちリニア市民ネットでは、10月23日に静岡で開催したシンポジウム「『NO!浜岡・NO!リニア』集会参加者一同」の名で抗議声明を採択し、11月11日には葛西会長に宛てて送りました。
鉄道事業で乗客の命を預かる総責任者の方が、このような人命軽視の理念で経営をしているのであれば、安心してJR東海の電車に乗ることはできないでしょう。まして、リニアのような超高速鉄道に「リスクを承知して」乗ることなどできません。リニア中央新幹線計画が膨大な電力を必要とし、原発の電気を使うという目的のもとに「原発推進」を唱えるのであれば、今こそリニア計画は白紙に戻すことが求められなければなりません。
それらを踏まえて抗議声明には、①ただちに「原発推進」の自説を撤回すること。②「リスクを覚悟せよ」発言について福島県民を初めとする被災者に向け真摯に謝罪すること。③リニア計画を白紙撤回することの3点を折り込みました。
「夢の乗り物」を白紙撤回させよう
東京電力・柏崎刈羽原発から、山梨県の大月変電所まで100万ボルト送電線が出来ているのですが、東電は「リニアにも使われる電力」と原発推進のPRに使っていました。「夢の乗り物」にも使われる、というイメージ作りにリニアが利用されてきたのです。そのためにJR東海が現在停止中の中部電力・浜岡原発の再稼動を求めるなど、許されることではありません。
いま、沿線でリニアの問題に目覚めた住民たちが声を上げ始めました。各地で開かれた説明会でも反対の声が沸き起こっています。地下トンネルを掘り始める前に白紙撤回させるよう、力を合わせていきたいと思います。
■リニア年表
1962年 国鉄がリニア開発の研究をスタート
1972年 磁気浮上に成功
1977年 宮崎実験センター開設
1978年 500km/h 達成
1990年 山梨実験線に着手
1991年 宮崎実験線で車輌炎上事故
1997年 山梨実験線で走行試験開始
2003年 581km/hを達成(世界最高)
2005年 「実用化の基盤技術が確立」と評価
2007年 JR東海が2025年開業を表明
※「リニア・市民ネットパンフレット」より
2011年12月28日
ムリ、ムダ、キケンなプルトニウム利用
六ヶ所再処理工場の試験再開に異議あり
2012年1月、試験再開?
これまで青森県は、東京電力福島第一原発事故を受け、県内の原子力事業者に対して緊急安全対策を求めていました。12月26日、三村申吾青森県知事は記者会見を開き、緊急安全対策を了承し、これまで3年間中断していた六ヶ所再処理工場の試験再開が、早ければ来月には再開されようとしています。
再処理をめぐる状況は変化した
しかし、停止している3年の間に、原子力をめぐる情勢は大きく変わりました。今年3月11日の東日本大地震を受けて、福島第一原発は、水素爆発や大量の放射能を放出するなど、日本の原発事故史上の最悪の事故を引き起こしました。さらに地震により女川原発、東海原発、六ヶ所再処理工場なども緊急停止や電源喪失など「あわや」という事態を招いていました。各地の原発も津波や耐震の見直し、避難区域の拡大など、これまでにない情勢の変化がありました。
さらに核燃料サイクルを巡っては、もんじゅの研究開発の見通しがさらに悪化し、頼みのプルサーマル計画も「2015年までに16基~18基の原発で実施」という計画が、もはや絶望的な状態となっています。プルトニウム利用計画そのものが破たんしています。その現実をしっかり認識する必要があります。
六ヶ所再処理工場を動かすことによって、これ以上プルトニウムを生産し続けることに何の意味があるのでしょうか。国際公約として余剰プルトニウムを持たないというこれまでの立場と矛盾が拡大するばかりです。使うあてのないプルトニウムを作り続ける大義が失われたいま、六ヶ所再処理工場の試験再開にどのような意味があるのでしょうか。国民に納得できる説明もないまま見切り発車することは、ますます日本の原子力政策に対する不信を高めるものです。そのことを認めた三村青森県知事も同じです。原子力推進派の傲慢さを表しています。
さらに六ヶ所再処理工場を支えている最大のスポンサーは、福島第一原発事故を起こした東京電力です。全体の4割とも云われています。その最大スポンサーは、いま福島第一原発事故の賠償さえままならない状態で、「東電解体」までいわれています。今後も安定して六ヶ所再処理工場を支えていけるかどうかはまったくもって不透明です。不安定な状況を抱えて六ヶ所再処理工場が今後も「商業工場」としてやっていけるのか、答えは明らかです。
無謀な再開はやめろ!
六ヶ所再処理工場をめぐる状況の変化を見れば、再処理再開の大義などありません。むしろ国民的合意なき再処理政策の推進に、傲慢さと無謀さを感じます。これ以上ムリ、ムダ、キケンな再処理工場の建設に、貴重な私たちの電力料金をつぎ込むことに断固抗議します。あらためて私たちは、六ヶ所再処理工場の建設中止を強く求めるものです。
福島原発事故の「収束宣言」に抗議する!
「収束」なんかしていない!政府は福島の真実を語れ!
12月16日、政府は原子力災害対策本部を開き、東京電力福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」になったとして、「事故そのものは収束に至った」と宣言しました。今後は除染、健康管理、賠償に全力を挙げる考えを示しましたが、本当に事故は「収束」したのでしょうか。
事故発生から9ヵ月あまり、今回の宣言は、冷温停止(状態)=事故収束とし、事故の矮小化を狙ったあまりにも幼稚な政治的なパフォーマンスです。事故の被害者を馬鹿にするもので、国内外の多くの専門家や地元福島の住民からも強く批判されています。これほどいいかげんな収束宣言は、かえって国民の不安を高め、政府への不信を強めるものです。私たちは、今回の「収束宣言」に強く抗議するものです。
そもそも「冷温停止」と言う言葉は、正常にコントロールされている原子炉であってはじめて使うものであり、今回のように完全にコントロールを喪失し、放射性物質を閉じ込めることもできない状態の中にあって、冷温状態が継続していることをもって収束とすること自体に問題があります。現在も福島第一原発では、破壊された原子炉内部の状況がまったく把握できていません。溶融した核燃料がどこにあるのか、どのような状態にあるのかさえもわかっていません。内部の放射能が高く、いまでも容易に近づくことできない中で、何が収束なのか。誰も事故が収束したなどと思っていません。事故の本当の収束はこれからも長期に渡り、より困難な状況が待ち受けています。溶けた核燃料を取り出すまでに30年とも40年ともいわれていますが、それさえも希望的な「願望」であり、努力目標以上の意味を持ち得ていません。まさに本当の収束までこれから何年かかるのかだれも責任がもてません。それでも事故を過小に見せようとする原子力推進派の人々は収束と言い続けようとしていますが、それで現実が変わるわけではありません。事故の過少評価で、原発推進の復活を少しでも狙っているのでしょうか。
放射性物質の放出も当初に比べ減ったとはいえ、いまだ放出は止まらず「通常」の状態ではありません。汚染水の海への流出も度々起こり、地下水が大量流入する中でその増加が懸念され、保管場所も来春には満杯になるといわれ、その対策の見通しが立たないのが現状です。原子炉冷却の循環注水冷却システムも度々故障し、その不安定性が危惧される中、廃炉まで長期間にわたって冷却し続ける必要があります。また、溶融した燃料を取り出すには、その技術開発も必要とされています。まだまだ際どい状況が続く中にあるのが福島第一原発の現実です。収束宣言はそのような状況を覆い隠すもので、国民に誤解をあたえるものでしかありません。今後予想される最大余震への対策も十分とは言えません。科学的根拠を示すことなく、あいまいな定義を持ち出し、国民を安心させようとするのは、あらたな「安全神話」をつくり出すことにつながります。
私たちは、事故の本質を見失わせるこのような安易な事故の収束宣言に対して、強く抗議するとともに、あらためて、福島第一原発の現状に関する正確な情報公開を求めます。さらに、安易な収束宣言を発することなく、廃炉に向けた収束作業にさらなる努力を傾注するように関係機関に対し強く要請するものです。