英国際戦略研究所(IISS)が世界の軍情勢年次報告書(ミリタリーバランス2012)を発表。
2012年03月07日
中国、インドなどアジアの国防費が欧州を12年にも上回る可能性を指摘。
2012年03月05日
日本原電敦賀原発1、2号機の敷地を通る活断層「浦底~柳ケ瀬山断層帯『浦底断層』」が全長35キロあり、マグネチュード7.4程度と従来想定の2倍以上の自身の可能性と、産業技術研究所の調査で明らかに。
2012年03月02日
3月2日、静岡県、中部電力、原発立地周辺市町要請行動が行われました。静岡県庁では、川野浩一原水禁議長が、川勝平太知事宛てに「さようなら原発1000万人署名」呼びかけ人による要請書を、対応した県危機管理部 原子力安全対策課の藤原和夫課長に手渡しました。その後、意見交換が行われ、藤原課長は津波対策が出来れば運転再開かと言われるが、そうではないとして、まず福島の事故の全容が解明されることが必要であると話しました。
その後、中部電力では「浜岡原発の再稼働の中止と廃炉を求める要請」を提出しました。「社長に渡します」と言って早々に切り上げようとする職員を引き留め、意見交換を行いましたが、安心・安全に務めるとばかり強調する姿勢は、東京電力・福島第一原発事故が起こる以前と何ら変わりなく、議論は平行線に終わりました。
県と中電の他、焼津市、藤枝市、島田市、吉田町、御前崎市、牧之原市、菊川市、掛川市、袋井市、森町、磐田市でも申し入れを行われました。
2012年03月02日
2012年3月2日
中部電力株式会社
代表取締役社長 水野 明久 様
浜岡原発の再稼動の中止と廃炉を求める要請
日々の電力事業における貴社の活動に敬意を表します。
さて、福島第一原発事故を機に昨年5月6日に菅直人首相の要請により、同月14日には貴社の浜岡原子力発電所が全基停止しました。その際貴社は、津波対策完了まで停止するとしています。
現在、再稼動に向けて浜岡原発は、防波堤工事などの津波対策を中心とする防災対策を実施しています。しかしそのことの契機となった福島第一原発の事故原因は究明されてはいません。事故の収束さえできずにいる中で、現場の検証すらまともにできていない状況です。地震や津波による事故原因の究明が徹底的になされてはじめて教訓や対策が講じられるのだろうと思います。原因究明も道半ばの中で、今後予想される東海地震へ対応しようとしても不十分であることは明らかです。何をもって現在の対策で、住民の安心・安全につながっていくのか、私たちにとってまったく理解に苦しむものです。
さらに今回の福島原発事故で、浜岡原発をめぐる世論の状況が大きく変わったことは明らかです。牧之原市議会をはじめ多くの県内の自治体で「永久停止」決議や再稼動に反対や慎重な発言が出てきていることは、これまでになかったことです。県民の不安は拡がるばかりです。さらに自治体にとって、今回の事故によって防災計画の範囲が拡がろうとしています。今後30㌔圏、50㌔圏の自治体でそれぞれ防災対策や避難対策など計画や訓練がなされなければならなくなります。その体制も整っていないのも現状です。震災対策でさえ大変な中で、放射能対策も加わることは自治体側も住民も想定外といえるでしょう。そのような状況がある中で、再稼動の県民合意をどのようにとろうとするのでしょうか。
東海地震の想定震源域の真ん中にある浜岡原発は、巨大地震による災害と放射能災害が同時に起こり、巨大災害=原発震災の危険性が、多くの専門家からも指摘されています。第二、第三のフクシマ原発事故を繰り返してはなりません。そうなれば明らかに人災です。
さらに、仮に原発が動いたとしても、現在の核燃料サイクル路線が破綻している現状があります。使用済み核燃料の行き場とともに最終的に核のゴミがどこに処分されるのかも明らかではありません。「トイレなきマンション」と言われる状態はいまだ解消できていないし、今後もその見通しが立っているわけではありません。見通しがない中で、原発再稼動によって大量に核のゴミをこれ以上生み出す正当性はないはずです。場当たり的な事業によって住民の命をこれ以上危険に晒すことは許されません。
私たちは、原子力の展望がない中で、東海地震の危険性がますます危惧される状況の中で、浜岡原発を再稼動させる理由はないと考えます。県民の安心・安全に対して貴社の責任は大きく、重いものがあります。県民の声をよく聴き、浜岡原発の再稼動を断念し、廃炉への舵を切ることを要請します。
2012年3月2日
原水爆禁止日本国民会議
議 長 川野 浩一 印略
原水禁東海ブロック連絡会議
議 長 櫻井 靖雄 印略
原水爆禁止静岡県民会議
代表委員 宮下 智亘 印略
代表委員 櫻井 規順 印略
2012年03月01日
3月1日、静岡市「静岡県産業経済会館」を会場に、原水禁、東海ブロック原水禁連絡会、原水禁静岡県民会議で構成する実行委員会の主催で、「被災58周年3.1ビキニ・デー全国集会が開催されました。集会には、県内外から約190人が参加しました。
はじめに、主催者を代表して川野浩一原水禁議長が、福島第一原発事故からもうすぐ一年が経過することに触れて、「日本を沈没させないために、皆さんの力で原発を無くしましょう」と訴えました。
あいさつする川野浩一原水禁議長
地元歓迎のあいさつは静岡県平和・国民運動センター議長の須藤達美さん
講演と提起では、フォトジャーナリストの豊田直巳さんを迎えて、「福島原発震災のまちから考える」と題して、スライド写真や映像を見ながらの講演がありました。3.11の震災以来、被災地で取材を続けてきた豊田さんは講演の中で、ガレキの処理問題について、「汚染されていないからといって、被災地のガレキを大量の燃料を使って(他県に)持ち込むことが何のお手伝いになるのか」と、疑問を投げかけました。
豊田直巳さんの生々しい福島での報告に参加者は熱心に聞き入った
特別報告では、福島県平和フォーラムから、永山信義さんが発言し、「3.11県民大集会を成功させて、全国、全世界に脱原発を発信したい」と訴えました。また、「浜岡原発の現状と県民投票」として、前静岡県磐田市長の鈴木望さんによる特別報告では、「私も原発神話に侵されていたという反省がある。(3.11が起こって)地域が良くなるよう努力してきたこれまでは何だったのだろうと思った」という思いが語られ、自らが実行委員を務める静岡での原発県民投票の成功を呼びかけました。
永山信義さんは福島県平和フォーラムで事務局次長を務める
鈴木望・前磐田市長の特別報告
続いて、静岡から高校生平和大使を送り出すことが決まったことに関連して、第11代高校生平和大使で大学生の大神櫻子さんが発言。長崎で小学生時代を過ごし、6年生のときに福岡へ転校した体験について語られ、「被爆地とそうでない地域で、核廃絶などの問題への取り組みに差があっていいのかと疑問を持った」と、高校生平和大使になった動機を披露されました。
大神櫻子さんの懸命な訴えには大きな拍手が起こった
最後に集会アピールが読み上げられ、拍手の中で2時間の集会を終えました。
集会の前には焼津市の弘徳院で久保山愛吉さんの墓前祭があり、約30人が参加して、第5福竜丸乗組員として被災し、亡くなった久保山さんの墓前に線香や花束を手向けました。
■集会アピール
■静岡県焼津市長からのメッセージ(PDF)
■静岡県牧之原市長からのメッセージ
久保山愛吉さんの墓前祭
2012年03月01日
被災58周年3.1ビキニ・デー アピール
第五福竜丸がヒバクした1954年3月1日、ビキニ環礁での核実験から58年。あの衝撃から半世紀を超えたビキニ事件は、けっして過去のことではありません。
これまでヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、JCO臨界事故と核被害の歴史は続き、昨年3月11日の福島第一原発の大事故が起きてしまいました。福島第一原発事故は、いまだ収束の見通しが立たず、大量に放出された放射能は、いまも海、空、大地を激しく汚染し、多くの住民がいまも放射能の脅威の中に置かれています。
私たちは、原水禁運動の中で「核と人類は共存できない」として反核、脱原発、ヒバクシャ連帯を訴えてきました。核の「軍事利用」はもとより「商業利用」についても問題とし、原子力施設の建設・運転に反対してきました。しかし、福島第一原発では、私たちの力及ばず、事故が引き起こされる結果となってしまいました。痛恨の極みです。もうこれ以上の核被害を繰り返してはなりません。核兵器や原発のある核社会からの決別が強く求められています。
一方で核兵器や原子力に固執する勢力もまだ大きな力を持っています。核兵器保有は、米ロ英仏中の5つの核保有国の他、インドやパキスタン、イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国などへ拡がり、いまだその廃絶の道は厳しいものがあります。2万発を超える核兵器の存在は人類の存亡に関わる問題で、廃絶は喫緊の課題です。
また、福島原発事故の現状を見れば、「脱原発」は当然のことです。54基ある原発のうち現在稼働しているのは、柏崎刈羽原発6号機と泊原発3号機のみとなりました。この春には全ての原発が停止することになります。推進側は、原子力産業の生き残りをかけて、原発の再稼働に向けて総力を挙げて動き出していますが、これを許してはなりません。第五福竜丸の母港であったこの地、静岡では、東海地震の想定震源域の真ん中にある浜岡原発の存在によって、第五福竜丸に続き、再びヒバクシャを生み出す危険性をはらんでいます。巨大地震による災害と放射能災害が同時に起こりうることが、多くの専門家から指摘されています。
私たちは、広島、長崎、そしてビキニ事件を契機に原水爆の禁止を訴えて運動を進めてきました。その中には、「ヒバクシャを再びつくらない」という広島・長崎やビキニのヒバクシャの強い願いがありました。残念ながらビキニ事件以降も、相次ぐ核実験や原子力の「平和利用」という美名の下で、多くのヒバクシャを生み出してきました。私たちは、あらためて核の歴史に終止符を打つとともに、ヒバクの歴史にも終止符を打たねばなりません。
私たちは、ビキニのヒバクシャをはじめ世界中のあらゆるヒバクシャや平和を求める人々と連帯し、あらゆる国の、あらゆる核実験・核兵器、そして原発に反対し、ヒバクシャを生み出す全ての核開発を止めていくことをあらためてここに決意するものです。
2012年3月1日
被災58周年3.1ビキニ・デー全国集会参加者一同