2012年8月

ビデオ報告 原水爆禁止世界大会・長崎大会1日目

2012年08月07日

被爆67周年原水禁世界大会は8月7日から長崎大会が開かれました。最初に「脱原発!脱基地!ナガサキ集会」とデモ行進を行った後、連合・原水禁・核禁会議主催の「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」が開かれました。その模様をダイジェストにビデオにまとめました(9分55秒)

シリアのヒジャブ首相が「残虐なテロリスト政権への荷担を拒絶する」との声明を出し、反体制派の「革命」参加を明らかに。

2012年08月06日

東京電力が福島第一原発事故後の社内テレビ会議の一部を公開。

2012年08月06日

報告 原水禁世界大会・広島大会の最終日 脱原発の実現を確認

2012年08月06日

 3日目まとめ集会1.JPG3日目集会2.JPG 

 広島上空で原子爆弾が炸裂したあの日から67年目の8月6日、原水爆禁止世界大会・広島大会は「まとめ集会」を行い、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させようと誓いを新たにしました。
 黙とうに続いて、あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、「福島原発事故では広島原爆の168発分の放射能が放出された。広島・長崎の経験を生かし、被害を最小限にとどめなければならない。早急に脱原発社会の実現をめざそう」と決意を述べました(写真左)。
 高校生などから「子どものひろば・メッセージfromヒロシマ」の報告(写真右)が行われた後、海外代表として、アメリカのポール・マーティンさん(ピースアクション)は、原爆を投下したことを謝罪したうえで、「オスプレイの沖縄配備は安全性と騒音問題からも絶対に止めるべき」と訴えました。特別報告でも、山口県平和運動フォーラムの岡本博之議長が「岩国にオスプレイが搬入されたが、国内での訓練をさせず、沖縄に持って行かせない運動を起こそう」と呼びかけました。
 このほか特別報告では、福島原発事故の現状について、福島地方平和フォーラムの小磯義雄議長が「いま16万人が避難をし、戻れないという思いを強くしている。福島から脱原発の運動を拡大する」と決意を語りました。さらに、「さようなら原発1000万人市民アクション」呼びかけ人の鎌田慧さん(ルポライター)は「原爆と原発は密接につながっており、絶対に認められない悪だ。広島・長崎・福島から平和のアピールを起こそう」と強調し、当面、1000万人署名の達成や政府のエネルギー政策転換を求めることを訴えました。
 広島大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長(原水禁事務局長)が行い「原発や公害に代表されるような、人々の犠牲の上に立った経済や政治から転換しなければならない時代だ。脱原発と再生可能エネルギーの拡大、核廃絶、ヒバクシャの権利拡大など、私たちの運動の正しさに自信を持って、新しい社会をめざそう」と呼びかけました。
 「67年前のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、核も戦争もない平和な21世紀を子ども達に贈ろう」とのヒロシマアピールを採択して、広島大会を終了しました。引き続いて、7日から9日まで長崎で原水禁世界大会・長崎大会が開かれます。

 

子ども関連企画2012

2012年08月06日

『子どものひろば』

日時
8月8日(水)9:30~12:30

会場
長崎県教育文化会館4F401会議室
(長崎市筑後町2-1/TEL095-822-5195/定員70人)
(電車移動)⇒原爆資料館⇒爆心地公園「原爆中心碑」

内容
平和の歌や被爆体験の証言、原爆資料館や被爆遺構の見学を通して被爆の実相や核の恐ろしさを肌で感じてもらう原水禁版「平和教育」。

日程
9:30~10:00 歌と交流・ビデオ上映(ナガサキのこうま)
10:00~10:45 被爆体験の講話
10:50~11:00 徒歩で移動(教育文化会館→長崎駅前・電停へ)
11:00~11:15 貸切電車で移動(長崎駅前→浜口町)
11:15~11:25 徒歩で移動(浜口町電停→原爆資料館へ)
11:25~12:05 原爆資料館の見学・説明
12:05~12:30 原爆中心碑前で献花、黙とう、感想発表

『ピース・ブリッジ2012inながさき』

日時
8月8日(水)9:30~12:30

会場
長崎県勤労福祉会館2F講堂
(長崎市桜町9-6/TEL095-821-1456/定員200人)

主催
ピース・ブリッジ実行委員会/高校生1万人署名活動実行委員会

内容
高校生や大学生でつくる実行委員会が企画し、長崎から「平和の架け橋」を世界につなぐ「ピース・ブリッジ」第9弾。

日程
9:30~ 9:35 主催者メッセージ
9:35~10:00 DVD「今 伝えたい~あの日からのメッセージ~」ダイジェスト版上映
10:00~10:30 東日本大震災・被災地からの報告(岩手県、福島県)
10:30~11:20 活動報告:神奈川県、静岡県、東京都、広島県、福岡県、熊本県、大分県、佐賀県、佐世保市
11:20~12:10 フィリピン・韓国・ブラジルよりのメッセージ
12:10~12:20 みんなで歌おう平和の歌
12:20~12:30 平和宣言

被爆67周年原水爆禁止世界大会/ヒロシマアピール

2012年08月06日

ヒロシマアピール

 世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から67年目のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり「核と人類は共存できない」ことを改めて確信し、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにし、行動を提起しました。
 2011年3月11日に発生した、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故による放射能被害は1年5ヵ月近くを経過した今なお、収束の目途は立っていません。広島・長崎の悲劇を二度と繰り返さず、原子力・放射能による被害を出さないことを運動の柱にとりくんできた私たちは、福島第一原発の事故を防げなかったことに、強い反省と憤りを感じざるをえません。
 日本全体で脱原発への動きが強まっていくなかで、野田首相は2011年12月16日に福島第一原発事故の収束宣言を出し、2012年7月1日、18日には福島第一原発の事故以来停止させていた大飯原発3・4号機を再稼動したことは、国民の脱原発への思いを踏みにじる行為であり、強い怒りを感じざるをえません。
2012年7月16日に、東京・代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」には、全国から17万人が結集し脱原発を訴えました。誰も核との共存を望んでいないことは明らかです。
 1975年、原水禁国民会議初代議長の森瀧市郎さんは、米国などの核保有国の戦略展開地域、核実験場になっている太平洋地域を非核化することが目的で開催された「非核太平洋会議」に出席し、その年の原水禁世界大会で「核絶対否定」の理念を明確に打ち出しました。この理念は私たちの運動の原点となるものです。
米国をはじめとする核兵器保有国の政策を注視し、核軍縮に向けた動きを確実なものにする運動を作らなければなりません。具体的な核兵器廃絶への動きや核保有国の核軍縮状況を検証し、今後の私たちの運動を展望することが必要です。日本政府は、核兵器廃絶を主張する一方で、米国の核の傘に依存するという矛盾した政策を継続してきました。核の抑止力に依存し続けるなかで、世界に向けて核廃絶を訴えることは、説得力を欠くものです。被爆国の政府として、このような曖昧な姿勢しか持てないことは問題です。
 私たちは、広島、長崎の原爆投下にはじまった核時代に生きています。ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。そして、今こそ、「核と人類は共存できない」ことを強く訴えなければなりません。

 私たちは、67年前のあの暑い夏のヒロシマの経験を原点に、さらにフクシマを胸に刻み、次のことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。

○くり返すな原発震災! めざそう脱原発社会!
○許すな再稼動! 止めよう再処理!
○安心して暮らせる福島を取り戻そう! 子どもたちを放射能から守ろう!
○エネルギー政策転換! 持続可能なエネルギー利用を増やそう!
○武力で平和はつくれない! いかせ!憲法9条
○非核三原則の法制化を! 東北アジアに平和と非核地帯を!
○ストップ!米軍再編 沖縄に米軍基地を押しつけるな!
○核兵器廃絶へ! 核兵器禁止条約をつくろう!
○すべてのヒバクシャの権利拡大! 被爆者、二世・三世に国家補償を!

ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノー モア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ

2012年8月6日
被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会

ビデオ報告 被爆67周年原水禁世界大会・広島大会3日目(まとめ集会)

2012年08月06日

2012年8月6日に開かれた「被爆67周年原水禁世界大会・広島大会」の3日目のまとめ集会の内容をダイジェストにビデオにまとめました(9分50秒)。

メッセージfromヒロシマ2012写真報告

2012年08月05日

【67大会・報告】広島第7分科会/「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」―入門編

2012年08月05日

会場 広島市西区民文化センターホール
講師 平野貞男さん(被爆者)

 第7分科会は参加者のほとんどが原水禁大会への参加が初めてということで、青年層や親子づれの参加者の姿が目立ちました。

 最初に原水禁が作成した23分のDVD「君たちは原爆を見たか」を全体で鑑賞しました。被爆者のみなさんの証言をやスリーマイル、チェルノブイリ、東海村のJCO事故の影響を通じ、「核と人類は共存できない」ことを再確認しました。その上で、被爆者の平野貞男さんのお話を伺いました。平野さんはアメリカが原爆投下に至るまでの経過と、自身の被爆体験をお話されました。

 当時12歳だった平野さんは、学校の校庭で被爆し、生き残ったものの、思いやけどを負って、戦後はケロイドで苦しみながら生きてきたことをお話されていました。「被爆者には、モノも言わず、じーっと耐えて暮らしてきた人もいる。私も戦争をずっと引きずっている。寝ている間だけが極楽だ」とおっしゃっていました。「運命じゃけえ、しょうがない」とおっしゃっていましたが、そのなかで強く生きようとする平野さんの姿勢が参加者に感銘を与えていました。

 会場からは「私たちがどのように平和運動に取り組めば良いか」という質問が平野さんに出されました。平野さんからは、「小さなことでも人を思いやる、痛みを少しでも分かち合うことが大事。私もみんなのおかげで生きさせてもらっている」「なかなか大きな力には抗し難いが、みんなでギャフンと言うわけにはいかない。こうやって原水禁大会にみなさんが参加し、少しでも世界を動かそうとすることに頭が下がる思い。そうやって、一瞬、一瞬を大事に生きていくことが平和につながる」というお答えがありました。

 DVDでは、被爆者から「人の情けがないことが一番辛かった」という証言が出されていました。平野さんの証言とあわせて、私たちの言葉で言い直せば、連帯が問われていると思います。また、運営委員からの分科会の進め方の案内の際に、分科会参加者から、分科会の進め方を前方のスクリーンに表示できるようにしてほしい、という意見が出されていました。

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