2012年8月

【67大会・報告】広島第5分科会/ヒバクシャを生まない世界に1―学習編「世界のヒバクシャの現状と連帯のために」

2012年08月05日

会場 広島市「ホテルチューリッヒ 東方2001」
講師 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)
海外ゲスト アントン・ブドビチェンコ(ロシア/NGO「チェルノブイリの子どもたちのために」)

 はじめに座長の木原省治さんから、第5分科会は学習編であるので、率直な質問を出してほしい、とあいさつがあり、前段の司会を担当した。後段のアントン・ブドビジェンコさんの報告の後は梅尾泰文さんが座長を務めた。

 運営委員の禧久章蔵さんから運営のあり方について説明があった後、フォトジャーナリストの豊崎博光さんからスライドを使いながら、世界に広がる核被害者の現状について講演された。スリーマイルではバラの花の異常や頭が2つある牛の写真などが紹介され、生態系が破壊されるだけでなく、精神的、社会的被害についても、ふれられ、会場から多くの質問が寄せられた。

 続いてロシアからNGO「チェルノブイリの子どもたちのために」のアントンさんから、今もチェルノブイリに住む者として、その実態を報告した。事故が起こってから、汚染地域であることを知らされたのは3週間後であり、住み慣れた街を離れ、でも結局仕事がなく、元の街に戻らざるを得なかった人たちが、今も住んでいる。経済的にも社会的にも困難な状況で職を失い、酒におぼれ、子どもたちも酒やタバコに手を出すような荒廃を生んでいると話した。

 ソ連解体後は解決に動いたが、今は政府はチェルノブイリを忘れたい、そして補助を打ち切りたいと動いている、情報を隠したがっていると話した。

 会場からは、ソ連での風評被害はあったのか、ソ連の原発政策は変わったか、子どもたちのサマーキャンプはどのように行われているかなどの質問が出された。

 豊崎さんは、東京電力の被害算定に何で加害者が被害者の話も聞かずに、勝手に決めるのかと怒りをあらわにし、アントンさんは、原水禁と交流ができたことを大変評価し、これからも交流したいことを強調した。
石川県の中村運営委員から「信頼は専制の親である」というトーマス・ジェファーソンの言葉を紹介し、政府に物を言い、反核・反原発を成し遂げねばならないとまとめて、終了した。

【67大会・報告】広島第4分科会/平和と核軍縮―学習・交流編「アメリカの核戦略と東北アジアの非核化

2012年08月05日

会場 広島市「ワークピア広島」
講師 湯浅一郎さん(ピースデポ代表)
海外ゲスト ポール・マーティンさん(米国/ピースアクション組織化・政策担当ディレクター)

討論の要点

ピースデポ 湯浅一郎さんの講演を受けて
・北東アジアの非核化に向けて、日本の使用済み燃料の再処理政策をやめさせる運動を
・原子力基本法への「日本の安全保障に資する」文言挿入には抗議を。
・原子力発電所輸出をやめさせる運動を。

・大阪維新の会、東京都知事の尖閣諸島購入など、日本はどんな方向に向かっているのか。
・オスプレイ配備は反対である。

ポール・マーティンさんの発言を受けて
・北朝鮮の非核化への一つとして、韓国にかかる再処理も止める運動を。
・オスプレイは能力が高いヘリコプターのため、米国政府も配備を止めないと思われる。米兵から自らオスプレイは危険なんだと言ってもらえないか。
・日米安保を廃棄して、日米友好条約を。
・原子力空母ジョージワシントンはトラブルが多く、一時廃艦の動きも言われていたが、現在どうなっているのか。
・2010年のNPT再検討会議で、2012年に中東のNPT再検討会議が決議されたと思うがどうなっているのか。

横須賀報告を受けて
・空母と厚木基地はセットである。10日間ルールなどがある。爆音問題などがある。

【67大会・報告】広島第3分科会/脱原子力3―学習編「脱原発に向けたエネルギー政策の展開」

2012年08月05日

会場 広島市「YMCA国際文化ホール」
講師:藤井石根明治大学名誉教授
海外ゲスト:ベーベル・ヘーンさん(ドイツ・緑の党)

1.ベーベル・ヘーンさんについて、質疑応答
Q:原子力産業に依存した雇用について、脱原発への道を歩めば、雇用の心配がある。

A:そうした状況は、ドイツにもあった。しかし、日本のような政治的な背景はなかった。
原子力発電所での雇用者数よりも、再生可能エネルギーに関わる雇用者数の方が、圧倒的に多い。原子力発電には、多額の投資が必要であるが、雇用者数は少ない。その一方、再生可能エネルギー関連は、個人宅へのソーラーパネルなど小規模設備を数多く設置することから、少ない投資額で多くの製造業者や施工業者その他、多くの雇用が確保される。

2.藤井石根さんの講演について、質疑応答
Q:文科省の放射線副読本(2011.10)の撤回を求めている。子どもたちへの風評被害払拭を口実に放射能は危険ではない旨の内容である。

A:放射能は、人間にとって有害、無害の議論は論外。数値基準の設定自体も疑問がある。

Q:原子力規制委員会は、「原子力を推進する委員会(規制を含む)」としている。マスコミ等は、正確に報道すべき。従前の不測の事態を今後は、想定することなども盛り込まれている。

A:原発の存続のための組織といえる。今後は、「いかにして廃炉にしていくか」、「使用済み核燃料を安全に格納する方法」についての議論が必要である。存続のための議論は必用ない。

Q:講演で、憲法25条にふれながら講演いただいた。国の責務として、国民の豊かな生活を確保していくことが重要であるが、政治に対して不信感が高まっている。

A:今の政治状況を見ていると、なかなか変わらない状況にあると感じている。解散総選挙があるとしても、誰に投票したらいいのか・・・。脱原発に向けて市民一人ひとりが、意識を高めていくことが重要。

※座長より、福島からの参加者に発言を求めた。

Q:福島からの転出・転居者が多い。自身は、福島で暮らしていきたいが、不安が大きい。農家の人たちは、風評被害により大打撃を受けている。放射線量測定器により安全を伝えていきたい。政治がしっかりしてほしい。

A:風評被害は、事実を隠すなどのことから大きくなる。政府が放射線量を測定することが、不信感となっている面もあるか・・・、いずれにしても自分自身が対応することも必要。

※座長より、脱原発に向けた各地の取り組み報告を求めたが、初参加の人が多く、報告発言なし。

まとめ
 ほとんどの原発が停止している今日、また8月の猛暑の中でも電力は供給されていることを皆さんとともに認識したい。私たち自身が、脱原発に向けた要求を組み立て、その実現に向けて一人ひとりの意識を高め、そして多くの人が結集し大きなうねりとなりアクションをおこしていくことを誓い合いたい。

【67大会・報告】広島第2分科会/脱原子力2―学習交流編「地震と原発そして再稼働問題」

2012年08月05日

会場:広島市「ワークピア広島」
講師:長澤啓行大阪府立大学名誉教授

 まず最初にに講師から、地震や津波は地球が生きている限り発生する現象であり、決して避けられない自然現象であることが地震のメカニズムから理論的に説明され、特に内陸地殻内地震(活断層)のときに発生する短周期地震動は固有周期が一致する原子力発電所にとって非常に危険な地震動であり、安全性を考えれば活断層上にある原発は決して動かすべきでないことが、いろいろなデータを示すことで説明されました。

 続いて現地報告として石川から志賀原発の再稼働に向けた動きと阻止のとりくみと決意表明、新潟からは柏崎・刈場原発の07年中越沖地震以降の行政の動向や再稼働に向けた動き、それを阻止するためのとりくみと決意表明、島根からは島根原発30キロ圏内の住民アンケートの結果報告と再稼働に向けた動き、それを阻止するためのとりくみと決意表明、北海道からは泊原発の再稼働問題と幌延の深地層研究所計画に関する報告、さようなら原発1000万人アクション北海道のとりくみ報告、最後に茨城からJCO事故報告、東海第2原発ハイロアクションのとりくみ報告の5か所からの報告がありました。

 その後の質疑・討論では、脱原発後の炉内燃料や使用済み核燃料プールはどうするのかという質問があり、今の技術でプルトニウムを安全に保存する技術はなく、地下に埋めたとしても1000年後には容器もとけ、地中に漏れ出すため、後世につけを残すだけとなる。結局監視できる場所で監視を続けるしかない。従ってこれ以上生み出さないこと、すなわち、脱原発しかないとの回答がありました。

 また脱原発を考えたときに廃炉後の対応や最終処分方法を思うと、脱原発運動に踏み切れないといった意見や、原発を抱える地元では、脱原発後の原子力発電関連従事者の生活の問題を考えると一概に脱原発とは言えないといった前向きな悩みがだされました。

 今回この場で、これが正解といったものは出せないかもしれませんが、こうした率直な現地の声が出たのはいいことだと感じました。これまでは建前の発言がほとんどで、議論が進んでいなかったのではと思いました。

 ただ、そのことを議論していては進展しないので、まずは、脱原発かこのまま推進かを決め、それから、具体的な問題点について解決策を議論すればいいのではないでしょうか。原発がある限り、原発関連従事者の労働者被曝は続くことは忘れないでほしいと思います。脱原発後は国策として脱原発に踏み切ったドイツが参考になるのではないでしょうか。

 最後に地元では様々な悩みもあると思うけれど、まず脱原発。それから地元の悩みについてみんなで議論をしていくことを確認して分科会を終了しました。

【67大会・報告】広島第1分科会/脱原子力1―交流・討論編「福島原発事故と脱原発社会の選択」

2012年08月05日

講師:西尾漠さん(原子力資料情報室共同代表)
     鎌田慧さん(ルポライター)
海外ゲスト:パク・ヘリョンさん(韓国・反原発活動家、慶尚北道緑の党運営委員長)

討論の要点及び特徴
 西尾漠さんから、「福島第一原発の事故は終わっていない。原子炉の状態が全く分からない状況。今後、配管の腐食等による破断や燃料プールが余震他で危険な状況に陥る可能性がある」と指摘があった。
 福島では放射線量の高い地域に生活をせざるを得ない状況の中で、必要な情報がないまま個人が避難や生活や仕事などの選択をせざるを得なくなっている。
 原発ゼロはへ向けて電気需要のピークや節電の組み合わせ、エネルギーの損失分(温排水他)を活用すれば可能との話があった。

 鎌田慧さん(ルポライター)からは、「『さようなら原発集会』や国会包囲デモは今までになかった運動が広がってきている。1ヵ所で効率よく大量に発電することは力の信仰。電力会社も原発を巨大化させてきた。これは人間の横暴で政府の責任は大きく、政府が政策で原発を止めれば止まる。原発の再稼働をさせない政治的解決が必要。だから運動の意義がある。今私たちの方が押している。政府の『エネルギー・環境に関する選択肢』へのパブコメや1000万人署名の取り組みが重要」との話があった。

 会場からは「子どもの内部被ばくについて、政府・東電・原子力ムラの人たちが避難を言うべき」、「原発はエネルギー問題だけでなく人権問題としても捉える。今後、内部被ばく被害が出た場合、補償を求めるたたかいになるが、自民党の憲法改正案では11条の基本的人権を『現在及び将来の国民に与へられる』、憲法97条の基本的人権の本質が丸々削除されている。これは子どもたちの健康被害を先読みしているのではないか」との危惧する発言があった。
 また、福島の避難者をサポートしている参加者からは「震災から1年を過ぎてようやく酷い実例を聞くことができた。この事を聞き取り記録し残すことが必要」、栃木からは「国のエネ政策変更に向けて県議会、市町村議会へ陳情し、国へ意見書を出すよう取り組んでいる」との意見・報告があった。

 海外ゲストのパク・ヘリヨンさんからは韓国の原発推進状況は日本と変わらない状況にあること。福島の事故は原発が根本的に安全でなく、平和的ではありえない。原発は根本的に暴力的であり、生命に反するという意味では核兵器と異なるところがない。原発事故は被害の状況・範囲は一つの国による対応や対策では克服できないと問題点の指摘があった。

各地からの報告
 福島より「住民は表面的には落ち着いている様に見えるが仕事、家族の分断、避難すべきか否かという葛藤を抱え将来が見えない生活を送っている。たからこそ第2の原発事故を起こさせないことが大事。福島を忘れないで欲しい」。

 宮城からは「仙台で金曜デモ行っている。第一次産業が復興しないと東北は潰れてしまう。健康被害を心配している人たちへ生産者も被害者だと言うことを分かって欲しい」との報告があった。

 青森からは4.9集会の歴史的経過の説明と運動の風化への懸念、しかし六ヶ所で事故が起これば東北全体に放射能広がる。地道に運動を続けたいとの決意が表明された。

 新潟からは柏崎刈羽原発の再稼動について、新潟方式として原発の安全に関する技術委員会に再稼動の慎重な学者を入れる取り組みの報告がされた。

 愛媛からは想定される東南海地震で伊方原発の危険性と伊方原発差し止め訴訟で松山地裁に提訴しており、合わせて署名を活動を行っている報告があった。

 また会場の福島からの参加者より「原発を止めるには政治を変えるしかない。政治が経済界と結びついている。マスコミは原発是非についての政治家の考えをを報道すべき」との意見があつた。
 大阪の参加者からは子どもたちに配られる「放射能に関する副読本の100mSvの記述は問題であり、撤回運動や冊子の作成などに取り組んでいる」との報告があった。
 

メッセージfromヒロシマ2012報告

2012年08月05日

会場に集まってくれた参加者は、20都道府県、北海道から九州まで、全国各地から集まりました。「楽しさを通して、平和を学ぶ」というテーマのイベントではありますが、子どもたちはアピールしたいことがあって参加してくれています。その強い気持ちを表現するのが第三セクション「全国・世界のお友だちと平和を語ろう」です。

12:50 オープニング
広島初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊

13:04 第(1)セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
実行委員の紹介
被爆地から―平和のメッセージを届けよう―」
踊りと歌を覚えよう ! 「つけまつける」レッスン

13:21 第(2)セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
平和のメッセージを書こう ! 表現しよう !

13:50 第(3)セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
全国のお友だちからの一言メッセージ
海外のお友だちより(フィリピン、 韓国のお友だちからのメッセージ)

14:14 第(4)セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
広島のお友だちの平和への取り組みを紹介~
「被爆樹木を訪ねて」、 「チロヌップのきつね」、 「ヒロシマからフクシマへ」
全国のお友だちと「つけまつける」を歌って踊ろう!

14:35 エンディング 平和はみんなの心から ―2012夏休み―
みんなで書いた平和のメッセージが???になって、 登場するぜぇ~ ! ワイルドだろ~ !
世界への平和メッセージを発信 !

「メッセージfromヒロシマ」とは

 戦後も67年となり、被爆体験を聞くことも、原爆が落とされたことに対して考えることも、そもそも平和とはなんなのかを考える機会自体が、日常では少なくなってきたのではないでしょうか。「メッセージfromヒロシマ」は、ただ過ぎてしまう日常の中で、「平和とはなんなのか」について、考えてもらうきっかけとなるものです。
 1人で考えると難しくてわからないことでも、メッセージfromヒロシマに参加することを通して、みんなといること、楽しい空間を共有できることで、そのすべてを享受できるのは、「平和だから」ということに気がつくはずです。
 今年の実行委員数は、例年以上となりました。広島の高校生が中心となって実行委員会が構成されていますが、今年は三重県の高校生が8人、広島県の尾道地区からは中学生が5人、東京からは大学生が3人、参加してくれました。さらに、今年から新設された静岡県の平和大使も実行委員を務めてくれました。もちろん、昨年実行委員として参加してくれたOB、OGの参加もあり、リハーサルの時点からとても良い雰囲気となり、笑いの絶えない練習となりました。

「メッセージfromヒロシマ2012」スタート!

イベントのスタートは、「朝鮮初中高級学校舞踊部」による朝鮮舞踊です。「民族の誇り」を表わす華麗なダンスに、鮮やかな衣装。誰もが目を奪われる光景に、実行委員たちさえも、例外なく魅了されていました。初参加の子どもたちにとっては、ステージで踊る舞姫たちの姿に、ただただ心奪われたのではないでしょうか。舞踊部を代表してリュウ・ミクさんが、「差別に負けず、民族の伝統と誇りを持ってしっかりと生きていきます」と強い思いのメッセージを届けてくれました。

スタート前は会場を駆け回りはしゃいでいた子や、午前中のフィールドワークで疲れていた子も、オープニングで心地よい緊張感に包まれ、そこで、総合司会の登場となりました。イベント進行途中、暑い中でも着ぐるみを着るなど、体を張って全力で努めてくれたのは、白髪美咲さんと山道真子さんです。二人とも、初参加ながら、総合司会という大役を最後までしっかり努めてくれました。続けて登場したのは、志が高く、平和への確固とした思いを持っている司会担当の田中美穂さんです。そして昨年、マイケル・ジャクソンのダンスで会場を熱狂させた中学生の日上温大くんも、高校生に負けじと司会を務めてくれました。また、会場には、早朝から屋外で様々な平和行事に参加しているものの、まだまだ元気の有り余っている小学生、中学生を中心とした400人の子どもたちが集まってくれました。

第一セクション

ここでは、実行委員の紹介から始まります。実行委員全体を代表して、高校2、3年生がステージに上がって、一言ずつ挨拶をしていきました。その中でも、実行委員長で広島県の高校生、宮武茉里佳さんからは「今日はたくさん来てくれてありがとうございます。一日よろしくお願いします」、三重県の高校生、三谷葉二郎くんからは「みなさんと一緒に楽しく平和について考えていければと思っています」とメッセージの発表がありました。また、当日のビデオ撮影、パソコン操作、写真撮影までもを、実行委員が行っており、「自分たちが主体で作り上げる」というイベント開始当初のスタイルを今も踏襲しています。

実行委員の紹介が終わったところで、ダンスの練習となります。曲はきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」です。選曲理由は、CMで使われていて知名度があることや、ノリの良いリズムであることなどです。ダンスの振り付けも、すぐに覚えられるように、原曲の振り付けを簡単にしています。実は、前日の練習時にも変更を加え、子どもたちが覚えきってしまっても飽きずに踊れるように、工夫しました。ダンスの振り付けは、毎年とても頭を悩ませる問題で、難しすぎれば覚えきれない、簡単すぎても踊り飽きてしまうという問題があります。また、これまでは踊りの指導担当の実行委員がいましたが、今年は、総合司会者、司会者が中心になり、舞台上で見本を見せるように練習が行われました。その甲斐あってか、進行もスムーズにいきました。さすが、子どもたちは覚えが早いというべきか、すぐに踊れるようになりました。もちろん振り付けの中には、手をつなぐ部分もあり、恥ずかしがって中々手をつなげない子もいましたが、曲に合わせて体を動かすことで、緊張も解け、笑顔で踊るようになっていました。

第二セクション

リラックスした後は、平和の思いを表現する時間です。花形シートに平和のメッセージを書き、そのシートを張り合わせて、大きなモニュメントを作っていくという恒例のコーナーです。毎年、書き始めてからは早いものの、取りかかるまでに時間のかかる子を見かけます。心の中に平和への思いを漠然と抱いていても、言葉に表したり、文字に表わそうとするとなかなか難しいものです。そこで、実行委員から先に、子どもたちへ、ヒントとなるような言葉を届けました。発表してくれたのは、広島県の村上愛さん、吉野可奈さん、三重県の濱中ひかるさん、西村祐里那さんです。実行委員が原爆資料館に行って感じたこと、身の回りの人権問題、東日本大震災のことなど、「相手を思いやるこころ」を持てば、世界は良い方向にまわるはずだというメッセージです。メッセージを聞いて、子どもたちは、書きたいことが頭の中で膨らんでいったのではないかと思います。そこで、東京から参加してくれた実行委員の、五味彩耶さん、加藤あゆみさん、上野絵里香さんが花の形をしたシートへのメッセージの書き込み方の説明をしてくれました。司会の合図で、子どもたちは思い思いに作業に入りました。一枚目を書き終わった子は、二枚目へと書きすすめていきます。
同じグループのお友だちが、次に取りかかれば、負けじと他の子も新しいシートをほしがります。文字をひたすら書き込んでいったもの、イラストで表現されたもの、色を多用して表現したものなど、多種多様のメッセージシートが実行委員が掲げる大きなシートに張り込まれていきました。なんと、子どもたちが作業をしている間も、司会者はビデオ撮影担当の実行委員とともに、会場内を巡り、逐一子どもたちの様子をステージ横の巨大スクリーンを通して、伝えてくれました。インタビューの内容は多岐にわたり、将来の夢を語り合う場面もありました。こうしていると、たっぷり取った作業時間もあっという間に過ぎてしまいます。張り込んだシートは、ここでいったん舞台裏に運び、巨大モニュメントを作るべく結束作業に入ります。しかし、そのことはまだ、子どもたちには秘密にしてあります。

第三セクション

トップバッターは北海道代表、NSさん。「みなさんと交流し、帰ったら、仲間に平和について伝えたいと思います」と、堂々とした発表でした。

東北ブロックからは、山形県を代表してSCさん、AMさん。「核兵器は私たちが平和な時代を生きていく中で、最もいらないものだと思います。この核兵器、戦争のない時代が来ることを、私たちの未来のために願います」と、声をそろえての発表でした。



関東ブロックからは、まず神奈川県代表のUEさん。「いまでも原爆のもたらした放射能により、病気になり、多くの人たちが苦しんでいることが判りました」と発表するとともに、福島原発事故の影響で苦しんでいる人たちを心配する内容のメッセージでした。

続いて、神奈川生活クラブ生協のIRさん。「原爆は何万人も殺す大変な核兵器です。だから、僕は怖いと思っています。戦争もしたくありません」と授業中に知ったという原爆に対する素直な気持ちを表現しています。

原爆ドームを見学した東京三多摩代表のMMさん。「世界中の一人ひとりが、人の気持ちを理解し、そして原爆の恐ろしさを伝えていくべきだと思います」原爆ドームは見た者に、戦争の恐ろしさを感じさせ、平和のために努力することを決意させます。

埼玉県を代表して、YKさんは、福島原発事故と67年前の戦争を重ねて考えるようになり、今回、広島へ来たそうです。「広島で何が起きたのか、この目で見てみたいと思った。被爆者の思いをつないでいかなくてはならない」と強く宣言しました。

横断幕を用意してくれた群馬県からは、TSさんが代表としてのアピール。「平和祈念資料館や原爆ドームを見て、核兵器の恐ろしさを改めて知ることが出来ました」とは、まさに百聞は一見に如かず。フィールドワークの効果がしっかり表れています。。

北信越ブロックから長野県代表、OTさん。「核兵器を世界からなくすために、僕たちにも出来ることがあるはずです。核のない平和な世の中にするために力を合わせて頑張っていきましょう」と会場への強い呼びかけ。

近畿・東海ブロックからは三重県を代表して、TFさん。「私が平和にするために出来ることは、武力による解決をしないということです。そして、それを伝えることです」身近な人に伝えることから始めることは、確かな一歩へとつながります。

四国・九州ブロックからは長崎県高校生一万人署名のYHさん。「被爆者の方は高齢化していて、私たちが生の声を聞ける最後の世代と言われています。私たち若い世代が平和の大切さを伝えていくことが大切だと思っています」炎天下での署名活動に負けない力強さを感じさせるパフォーマンスでした。

最後を締めてくれたのは、広島県のYSくん、TKくんです。「僕たちは戦争しないことを選びたい。原子力発電所を使わないことを選びたい。誰かにやってもらうのではなく、大人に決めてもらうのではなく、僕たち子どもが自分たちで考え行動したいです」そして、会場にいる子どもたちに一緒に行動することを呼びかけました。今回もアピールメッセージはどれも熱いものばかりでした。

続いて海外のお友だちからのメッセージです。フィリピンからは、ロマーノ・クリス・G・ベーラーくん、韓国からは、ジュ・ソンミンくん、イ・ユンジさん、ベ・ゴンヒくんの登場です。
まずはロマーノくんが、「弁護士になって、困っている人たちを助けるのが僕の夢です。日本にいる間、多くのことを経験したい」と将来に向けて頑張っていくと宣言。なんと、通訳は、長崎県高校生一万人署名の参加者です。

続いて、韓国からのトップバッター、ジュ・ソンミンくんが流暢な日本語で挨拶。「今、日本への留学準備をしていて、日本に関心があります。今ここで、この活動をしながらたくさん学び、感じたいと思います。」続いて、イ・ユンジさんは「私の祖父は日本人です。日本の歴史と文化についてたくさん教えてくれました。その影響で、日本の文化などに興味を持っていました」ということで、日韓交流にも積極的だということがわかりました。最後に、ベ・ゴンヒくんが「こんなに意味のあるところに参加できてうれしいです」と締めてくれました。会場の参加者は、国が違っても、暮らしが違っても平和への思いは同じだと、改めて感じたのではないでしょうか。

~海外のお友だち紹介~

《韓国からのお友だち》
ジュ・ソンミンくん(高校3年生)
イ・ユンジさん(高校3年生)
ベ・ゴンヒくん(高校1年生)

《フィリピンからのお友だち》
ロマーノ・クリス・G・ベーラーくん(15歳)

メッセージ from ヒロシマ 2012

「私が原爆資料館に行ったのは、小学校4年生のときでした。そこで目にした、皮膚が垂れ下がった被爆者の人形を忘れることができません。幼い私は、怖くなり逃げ出しそうになりましたが、ガイドの人に『ちゃんと見なさい』と言われ見ました。これが原爆が引き起こした悲劇だと実感しました。」
67年前ヒロシマとナガサキに落とされた、たった二発の原子爆弾は、一瞬にして数十万人の大人や子どもの命を奪い、今なお苦しめ続けています。

「私のおじいちゃんは沖縄戦で戦死をし、おばあちゃんはたいへんな思いで生きてきました。そんな苦労を知らない私たちは、多くの命を奪った戦争を、二度と繰り返さないために、平和についてもっと多くのことを学んでいくべきだと思います。」 沖縄戦では約5カ月間戦闘が続き、住民の多くが戦闘に巻き込まれ、20万人以上の命が奪われました。
広島、長崎、沖縄だけではありません。東京、名古屋、大阪をはじめ、日本各地でも空襲によってたくさんの命が犠牲となりました。また、日本は戦争によって大きな被害を受けただけではなく、日本はアジアの国々に大きな被害を与えたことも、同時に学ばなければなりません。

原爆は人間だけではなく、すべての動物や植物も、爆風と熱線、そして放射能によって焼きつくしました。「75年間は草木も生えないだろう」と言われていた広島。しかし、黒く焼け焦げた樹木は、ボロボロの姿から再び新しい芽を出したのです。その傷つきながらも力強く生きる姿は、被爆者を励まし勇気づけました。広島市内の小学校や中学校にはたくさんの被爆樹木があり、子どもたちに原爆の悲惨さを今も伝えています。

昨年の3月11日、「東日本大震災」をきっかけに福島第一原子力発電所でたいへんな事故が起こりました。たくさんの放射能がまき散らされ、今も多くの人が避難生活を送っています。日本は原爆によって被災した国として、原爆がどれほど恐いものかはよく知っていたはずなのに、電気をつくるために必要だからと言って、たくさんの原子力発電所をつくりました。私たちは「核と人類は共存できない」という被爆者のことばをもう一度しっかり考えなければなりません。

戦争の恐ろしさが、時間とともに忘れられてきています。いつの時代も、どこで暮らしていても、平和を望む気持ちは同じです。それなのに、どうして戦争が起きるのか、平和な世界をつくるためにはどうしたらいいのか。被爆者の体験した苦しみや悲しみ、戦争や核兵器の悲惨さを学び伝えていきましょう。
自分にできることから行動していくことで、少しずつでも戦争や核兵器を減らしていくことができるはずです。戦争を知る努力をしましょう。いじめや差別をなくしましょう。みんなが笑顔でくらせる社会をつくりましょう。
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」

2012年8月5日

子どものひろば 「メッセージ from ヒロシマ 2012」 参加者一同

※ このメッセージは、イベントのエンディングにおいて、首相官邸や核保有国の代表宛にメールにて送信しています。

子どもの広場全体のスケジュール 2012年8月5日(日)

8:00~8:30 子どもの慰霊祭
8:40~10:20 フィールドワーク
10:25~10:40 ダイイン
10:40~11:40 被爆電車
10:40~11:40 被爆のお話を聞こう
12:50~14:50 『メッセ-ジ from ヒロシマ2011』
15:00~16:00 15:00~16:00 マイ灯ろう作り

報告 原水禁世界大会・広島大会第2日目 分科会や国際会議開く 

2012年08月05日

第3分科会.JPG第5分科会.JPG 

 8月5日に広島市内で開かれた「被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第2日目は、課題別の分科会やフィールドワークなどのほか、国際会議、子どものひろば&メッセージfromヒロシマが行われました。
 分科会では、昨年の福島原発事故を契機とした、「脱原子力」に向けた課題やエネルギー政策のあり方を中心に、平和と核軍縮、世界のヒバクシャとの連帯や被爆者援護の問題などについて、学習や討議で認識を深めました。
 また、連合・原水禁・核禁会議の主催による「平和シンポジウムin広島」では、2015年のNPT(核不拡散条約)再検討会議に向けた取り組みについて討論を行いました。

国際会議.JPG子ども.JPG
  一方、原水禁大会の国際会議は「脱原子力に向けた構想力 フクシマ以降の原子力」とテーマに、ドイツ、韓国、日本の専門家が、各国の脱原発への状況や再生可能エネルギーの拡大の課題などについて意見を交わしました。(写真左)
 若者や高校生が企画運営するメッセージfromヒロシマでは、全国や韓国、フィリピンからの参加者を含め、一緒に遊びながら平和を考え、メッセージを世界の核保有国に送信しました。(写真右)
 広島大会は、6日にまとめ集会が行われます。 

ビデオ報告 被爆67周年原水禁世界大会・広島大会2日目(分科会・国際会議など)

2012年08月05日

8月5日に広島市内で開かれた「被爆67周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の第2日目は分科会や国際会議での討議や、子どもたちによるメッセージfromヒロシマ、また、沖縄のオスプレイ配備反対集会が行われ、それらをビデオにまとめました(6分40秒)

 

報告 被爆67周年原水禁世界大会・広島大会が始まる(第1日目)

2012年08月04日

 

開会集会全体.JPG折鶴行進.JPG 

 

 「被爆67周年原水爆禁止世界大会」は7月28日の福島大会に続き、8月4日から広島大会が始まりました。今年の大会も、昨年の3月11日の東京電力福島原発事故を教訓に、脱原発、そして「核社会からの離脱」が大きなテーマになっています。
 最初に広島国際会議場で開かれた開会集会では、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は「67年が経ってもヒバクシャは多くの問題を抱えている。さらに福島原発事故は深刻さを増している。核廃絶のためにも原発をなくすことが必要だ」と訴えました。(写真左)
 大会の基調報告で藤本泰成・大会事務局長(原水禁事務局長)も「事故は明らかに人災だ。しかし、政府や電力会社は傲慢にも再稼働を進めている。核社会からの離脱をめざそう」と呼びかけました。
 被災地の福島からの訴えを、福島県平和フォーラムの五十嵐史郎代表が行い「事故は収束していない。16万人の県民が故郷を追われた。県民の命は守られないし、誰も責任をとらない」と怒りを露わにし、「原発事故がいかに過酷で無残なものかを知ってほしいし、忘れないでほしい」と語りました。
 集会では、1998年から毎年、国連欧州本部に高校生が出向き、平和と核廃絶を訴える「高校生平和大使」の今年の代表となった広島の女子高生2人の決意表明があり、最後に「原爆を許すまじ」を420人の参加者全員で合唱して集会を終えました。
 集会後、平和公園から折鶴平和行進が行われ、約2000人の参加者は「核兵器をなくそう」「ヒバクシャの権利を」などとともに「原発震災をくりかえすな!」「再稼働を許すな!」などと、シュプレヒコールや横断幕でアピールしました(写真右)。

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 夕方からは県立総合体育館で、原水禁・連合・核禁会議の主催による「核兵器廃絶2012平和ヒロシマ大会」が開かれ、6500人が参加しました。(写真)
 主催者あいさつで連合の古賀伸明会長は核兵器の廃絶に向けた取り組みとともに、原発問題について「連合は最終的には原子力エネルギーに依存しない社会をめざす」と述べました。来賓として、中下善昭広島県副知事、松井一實広島市長、スティーブン・ベネディクトITUC局長があいさつしました。
 被爆者からの訴えでは、広島県原爆被害者団体協議会の箕牧智之事務局長が、3歳で被爆した経験を語った後、「福島原発事故で新たなヒバクシャを作ってしまった。将来、もし子ども達に障害があれば、その責任を問おう」と強調しました。
 平和アピールを採択した後、閉会あいさつに経った川野浩一原水禁議長は「原発事故を契機にエネルギー政策のあり方を考え直してほしい」を呼びかけて、大会を終了しました。 広島大会は6日まで開かれ、5日は分科会などが行われ、6日にまとめ集会が開催されます。

 

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