2013年3月
2013年03月28日
川内原発30キロ圏内自治体に、防災に関する要請行動実施
≪県への要請行動≫
2012年10月31日、原子力規制委員会は、国、地方公共団体、事業者などが原子力災害の際、実施すべき行動を定めた「原子力災害対策指針」を公表し、翌年2013年2月27日に「指針」の改訂案を公表。この指針にそって内閣府と消防庁は、「マニュアル」を策定し、原発から概ね5キロ以下(PAZ)、概ね30キロ以下(UPZ)圏内の関係各自治体に「原子力地域防災計画」の策定を3月18日までに策定するよう求めました。
川内原発30キロ圏内の9自治体(7市2町)に申入れ
そこで川内原発増設反対鹿児島県共闘会議(荒川譲議長)と社民党県連は、各自治体が計画策定前に、詳細な項目に従い要請行動を実施しました。
まず、2月25日(月)13時30分から鹿児島県知事に要請行動をし、その後、3月7日(木)川内原発立地市の薩摩川内市を皮切りに、長島町・阿久根市、同月11日(月)いちき串木野市・さつま町・出水市、同月18日(月)鹿児島市・姶良市、同月21日(木)日置市の9自治体(7市2町)に申入れ行動を実施しました。
防災計画について、約17項目申入れ
申入れ項目は①原子力地域防災計画策定について(13項目)、②原子力安全協定について、③川内原発3号機増設計画白紙撤回及び川内原発1・2号機の計画的廃炉について(3項目)の約17項目について申し入れました。
要請を受けた各自治体は策定期限の3月18日までに計画策定は難しい。県の具体的な計画が出されないと出来ない。「避難経路」は、県を通じて調整してもらわないと出来ない。など、5月頃まで遅れる可能性があることが出されました。今後も脱原発に向けた要請行動を強化していきます。
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県庁包囲行動を成功させよう!と き:2013年6月2日(日)
集合場所:鹿児島市「真砂本町公園」【旧】南国交通車庫横 13時~15時
川内原発1・2号機再稼働反対! 県庁を人間の手で包囲しよう!
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3.11東日本大震災・福島第一原発事故から2年、
被災者支援と「原発ゼロ」を目指そう!
脱原発を求め、2,500人が結集!
3.11東日本大震災から2年を迎えようとする2013年3月10日、「3.10さよなら原発!鹿児島パレード」がJR鹿児島中央駅前『ひろば』で2,500人を集めて開催されました。午前の集まりに引き続き、14時から市民と諸団体を含む『さよなら原発集会』が行われ、終了後の15時から『No Nukes Parade』と題し、市民の脱原発への思いをこめたパレードが中央駅から天文館を経て朝日通りまでの約4㎞を往復して行われました。
安倍政権の原発再稼働を許すな!
14時の集会では最初に、集会代表の橋爪健郎さんから「このような催しを継続して開催し、私たちの脱原発への思いをつなげていきましょう」と挨拶があり、続いて共同代表の川内原発反対連絡協議会の鳥原良子さんから「安倍政権になって、再び原発が推進されようとしています。先日知人から「友人のご主人は川内原発で働いているが、もう川内原発は再稼働の準備をすすめている、と連絡がありました。みなさんの脱原発の意志を近くの人に伝え続けてください」と挨拶、続いて保育園の園児と先生から脱原発への思いを込めた歌が披露されました。
原発なくそう!九州川内訴訟団の森雅美団長からは「鹿児島の原告はまだまだ数が足りません、ぜひ原告のお一人になって下さい」と参加のお願いがあり、九州川内訴訟原告団の森永明子さんからは「原告募集中です、ともにがんばりましょう」とアピールがありました。熊本と宮崎から連帯のエールの紹介、有機農業を営まれる橋口創也さんからは「鹿児島市の川上町で農業を営んでいます。妻は一週間後に出産を控えています。知り合いの方が言うには、世界を買える種、というのは日々蒔かれ、僕らの日常の生活でも蒔かれているということです。日々の生活が世界を変え、原発のない社会を作れるんだよと。今日の行動をその種にしたいと思って参加しています」と農業にたとえて語られました。また、地元の高校生からは「これまで電気がどうやって作られているか考えたこともありませんでしたが、3.11の事故以降、原発の恐ろしさを知りました。わたしたちと原発は共存できません」と力強く主張、続けて、高レベル放射性廃棄物処理場の問題を抱えた、「南大隅の自然を守る会」の小岩さんからは「放射能汚染土の問題で県議会に請願書を提出したところ、採択されました。しかし今の町長が水面下で工作をしているようで、このままではなにも変わらないと思い、会長の肥後たかしさんが南大隅町長選挙に立候補することになりました。皆様のご支援をお願いします」と町長選挙に向けての決意が語られました。
福島から鹿児島に避難の西さんが支援を訴えた!
避難者支援団体の井上まきさんが避難者への募金を呼びかけたあと、最後に福島県から鹿児島に避難された西さんから「原発がどれくらい 『おっかない』か、なんて全然知りませんでした。今は霧島に住んでいますが川内は『おっかない』から住みたくないというのが本音です。避難をしても支援のない方もいます。いまは「原発ゼロ」を訴えるしかないと思います」と脱原発と被災者支援を訴えました。
集会終了後の『ノーニュークス・パレード』は中央駅から天文館・朝日通までを往復しました。信号で足止めされ、意外に長い道のりでしたが、市民の参加者、トラクターやヤギ、サウンドパレードなどでにぎやかに鹿児島市民へ「原発ゼロ」を訴えました。
2013年03月27日
核燃料サイクル路線は破たんしている
プルトニウム利用計画描けず
電気事業連合会(電事連)は、六ヶ所再処理工場で2013年度に取り出す核分裂性プルトニウム約0.6トンの使い道を示す「プルトニウム利用計画」の作成を断念したと報道されました。核兵器の材料になるプルトニウムの透明性を確保するために、日本政府はこれまで国際公約として「余剰プルトニウムを持たない」としてきました。そのため、2003年8月に原子力委員会が、プルトニウムを取り出す前に、「プルトニウムの所有者、所有量及び利用目的」(利用量、利用場所、利用開始時期、利用期間など)の予定を毎年度、電力会社に明らかにするよう求めているものです。その上で、原子力規制委員会がその妥当性について確認することになっています。
しかし、福島原発事故以降、原子力政策そのものの破たんがいっそう明らかになる中で、これまでのプルトニウム利用計画も破たんした状況にあります。だからこそ、計画そのものを描くこともできない状況に追いつめられたといえます。電事連が2013年度のプルトニウム利用計画の作成を断念したことは、当然、六ヶ所再処理工場の運転や、存在理由そのものにも影響を与えます。
これまで日本原燃は、六ヶ所再処理工場の竣工を今年10月と発表し、1月31日には2013年度下期には運転を始めるとして「再処理施設の使用計画」を原子力規制委員会に提出しました。現在、それに合わせて試験や工事を進めています。
私たちはこれまで、プルトニウム利用計画は破たんしており、提出した計画は「絵に描いた餅」でしかないと指摘してきましたが、いよいよその通りの状況になってきました。10月の竣工にこぎつけたとしても、つくり出されたプルトニウムをどのように使うのか、明らかにできないことが、今回の電事連の計画断念ではっきりしました。
さらに、原子力規制委員会が、核燃料サイクル関連施設の新安全基準を発表するのが12月だといわれています。竣工しても新基準のチェックがあり、まともに動かすことすらできないはずです。基準づくりが遅れれば、さらに中途半端な状態に置かれることになります。
さらに計画が立てられない状況は、MOX加工工場の建設にも影響します。これも利用計画の見通しが立たない中で、このまま強引に建設を進めれば、早晩行き詰まることは明らかです。作られたMOX燃料も、海外から返還されるMOX燃料の使用が優先され、国内のMOX燃料が、いつ、どの原発で使用できるのかも示されていません。むしろできないといったほうが正確で、使うあてのないMOX燃料をつくり続ける状況になりそうです。
フランスからMOX燃料が日本へ
その海外からのMOX燃料が、フランスからこの4月に日本へ向けて輸送されようとしています。時期は明確にされていませんが、4月上旬から中旬にかけて日本へ向けて送り出されると言われ、輸送ルートも明らかにされていません。おそらく喜望峰回りで、インド洋から太平洋に出て、フィリピンや韓国沖を走るのではないかと言われています。通過ルートの沿岸諸国にとっては、ハタ迷惑な輸送でしかありません。ルートも日時も公表されず、事故の危険性だけが押しつけられ、沿岸諸国からも抗議の声が上がっています。
輸送されるMOX燃料の輸送先は、関西電力の高浜原発3号機とも言われています。関電は、新安全基準にしたがって3号機の再稼働をめざすとしていますが、その際、MOX燃料の装荷については「現時点では判断していない」としています。原発の再稼働そのものが、地元や周辺自治体で大きな問題となっている中で、さらに原発の危険性を高めるMOX燃料の使用は、原発推進の側から見てさえ、再稼働の「ハードルを高める」だけです。使うあてのないMOX燃料輸送が再開され、ますます原子力政策を混乱させるだけです。
混乱する核燃料サイクル政策に終止符を
これまでも繰り返し訴えているように、核燃料サイクル路線は破たんしています。すみやかに幕引きが必要です。ムダな資金を、六ヶ所再処理工場やMOX燃料加工工場、その他付随する施設に投入するべきではありません。大切な電力料金や税金を完成するあてのない核燃料サイクルに期待し、投入する愚行はこれ以上やめて、政策の破たんを認めて、撤退すべきです。今からでも遅くはありません。
2013年03月23日
集 会 宣 言
歴史的な地震・津波・原発事故の大災害から、早や2年の月日が流れました。地震と津波による2万に近い犠牲者の御霊(みたま)に、あらためて哀悼の意をささげます。
一方、世界史に残る原発事故が引き起こした大規模な被害は、福島県にとどまらず東日本の広い範囲に及んだことが明らかになっています。そして計り知れない犠牲と損失を生んでいるこの災害は、今もなお進行中であり、いつ終息するとも知れない深刻な状況が続いています。
原発事故がまだ終わっていないということは、私たち福島県民にとっては疑いようのない現実です。けれども国民一般の意識の中で、福島原発災害はすでに過去の出来事になりつつあるのではないがとの懸念を、私たちは抱かざるを得ません。
「放射能では誰も死んでいない」というのは、正しくありません。避難の途中で、あるいは避難生活の中で命を落とした人は、自殺した人を含め、きわめて多数にのぼっています。福島県の「震災関連死」の数が突出して多く、1,300人にも及んでいるのは、紛れもなく、放射能による避難やストレスが原因です。
県民の多くは依然として低線量放射線被ばくへの不安から解放されていません。政府の指示によって避難を余儀なくされた人、および自主的に避難した人の数は県内外に合計16万人。この数字はなかなか減る気配がありません。2年に及ぶ避難生活は、肉体的にも精神的にも多くの人々を追いつめています。帰還の見通しが立たず移住という選択をせざるをえない人、あるいは故郷に帰る希望をもちつつも、それがいつになるか分からない状態の中で悩み、苦しんでいる人が何万人もいます。賠償金に依存した生活が長引くことによる弊害も出始めています。避難者と、避難先の住民の間で生まれている心理的な摩擦も無視できません。
現在、膨大な国家予算を投入して復興に向けた事業が行われています。しかしこの2年間で、福島県は復興の足元を固め、再生の道を確実に歩み始めたかといえば、必ずしもそうは言えません。放射能汚染という現実が、どうしても復興の前途に立ちはだかります。生活の安全と産業再生のためには放射能の除染が必須ですが、その除染作業への信頼が揺らいでいます。除染廃棄物の中間貯蔵施設の立地選定も緒についたばかりです。
しかしながら、前代未聞の諸困難に直面しつつも、福島県内の多くの個人、組織、団体は、懸命になって事態打開のために努力しています。被災した町村はそれぞれの復興計画を練り上げています。福島県と農協はコメの全量全袋検査を実施するなど、県内産農産物の信頼回復に全力を挙げています。至難と言われる森林の除染、そして林業の再生のため、森林組合は懸命な努力を重ねています。県内の漁業はいまだに操業自粛が続いていますが、試験操業をしながら再開の道を探っています。風評被害に苦しんでいる観光業もNHK大河ドラマを機に起死回生を図っています。生協は「子ども保養プロジェクト」で放射線被ばくからのストレスを軽減するため活動しています。また被災し避難している住民自身やボランティアも頑張っています。ばらばらになった住民が相互に支えあい、仕事を起こし、コミュニティの絆を維持する活動が各地で立ち上がっています。
福島県内のこうした困難な現状、そして県民の苦闘に対し、国の行政は、果たして真剣に目を向けていると言えるでしょうか。東京電力は賠償請求に真摯に対応し、加害責任者としての義務を果たしていると言えるでしょうか。また国の政治は、このような災害を招いた原子力事故を二度と起こさないという、使命感と決意に燃えていると言えるでしょうか。
いま目の前にある生活上の苦境をどう乗り越えるがということもさることながら、いまここにある原発をどうするが、これこそ、私たち県民が考えずにおれない重大問題です。事故を起こし破壊に至った4基の原子炉は、今後起こりうる大地震に果たして耐えうるのか、いつ本当に安全な状態に落ち着くのか、それさえまだ分かっていません。事故現場ではきょうのこの日も、高い放射線を被ばくしながら、多くの労働者が作業に従事していることを、私たちは忘れてはなりません。
そして問題は第一原発5・6号機、および第二原発の1~4号機の扱いです。県知事と県議会はともに、県内10基の原発すべての廃炉を求めています。これは多くの県民の気持ちを率直に反映したものです。しかし東京電力はこれを受け入れていないどころか、再稼働を当然の前提としているかのように、6基の原発の保守管理をすすめています。
総選挙の結果、「原発いらない」の声は、国政には届きにくくなりました。けれども福島県民は、断じて「福島県の生き方」を譲るわけにはいきません。福島県と地元自治体は確かにかつて原発を誘致した経緯があります。原発の立地と運転による経済的利益があったのも事実です。しかし取り返しのつかない今回の大災害の中で、原発を抱え込むことのリスクが途方もなく巨大であり、金銭的利益と天秤にかけることなど到底できないことを身をもって知りました。原発を誘致したのは間違いだったと、私たちは今はっきりと断言することができます。また全国に向けてそう声を上げることこそ、被災県としての使命ではないでしょうか。
「原発のない福島を!」「安心して暮らせる福島を!」これは福島県民の願いであり、心の叫びです。世界史の中で特別な位置におかれたというべき福島が、しっかりと再生に向けた道を歩むために、原発依存からの脱却=原発との訣別はまさに出発点であり、大前提でなければなりません。
県内外に避難している県民のみなさん、避難せず踏みとどまっている県民のみなさん、役場ごと避難、あるいは避難者を受け入れている自治体の首長やスタッフのみなさん、さまざまな分野で悪戦苦闘している産業界のみなさん、ばらばらになった生徒たちの教育の行く末を案じている教育界のみなさん、そして子どもたちの健康被害や社会的差別を心配せずにおれないお父さんやお母さんたち、本当に「原発のない福島を」実現するために、お互いに支えあい、心を一つにして、頑張りましょう。
2013年3月23日
原発のない福島を!県民大集会
2013年03月23日
3月23日、福島市「あづま総合体育館」を会場に、福島県内の団体や個人で構成される大会実行委員会の主催で「原発のない福島を!県民大集会」が開催され、約7000人が参加しました。
始めに、呼びかけ人で曹洞宗 円通寺住職の吉岡棟憲さんが、国と東京電力に対し、「心底から謝罪することもなく、ウソと隠ぺい。許すことはできません」と開会のあいさつを行いました。続いて、実行委員長で福島県平和フォーラム代表の五十嵐史郎さんが「2年が経ったが、様々な努力があっても県民は成果が実感できない。この集会を福島に希望が持てるものにしたい」と力強く発言しました。
また、福島大学教授で呼びかけ人代表の清水修二さんは、被害は停電と放射能だけではないとして、避難先での摩擦に苦しみ、被害者同士が避難する、避難しないで二つに引き裂かれている現状を訴えました。
連帯のあいさつでは、体調を崩し欠席となった作家の大江健三郎さんに代わって、ルポライターの鎌田慧さんが発言しました。続くさまざまな立場からの県民の訴えはどれも胸を打つものでした。
集会では前段にアトラクションがあって、サブアリーナ等では地元の物産品などの出店もありました。
→集会宣言
(写真:今井明)
2013年03月11日
3月11日、東京・品川区立総合区民会館「きゅりあん」を会場に、「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」が開催され、約1200人が参加しました。
最初に、司会を務めた元東京都国立市長の上原公子(ひろこ)さんが、「また今日の日がやってきました。この日を沈黙の日にするのか。原発はいらないと決意をする日にしたいと思っております」とあいさつしました。黙とうの後、開会あいさつに立った鎌田慧さんが「1000万人署名は現在約820万筆。まだ署名は続いています。1000万筆を達成して首相官邸にたたきつける」と訴えました。
上原公子さん
鎌田慧さん
講演ではまず内橋克人さんが「大変衝撃を受けた言葉」として、詩人のアーサー・ビナードさんの、「炉というのは人々が憩う囲炉裏端、暖炉(の炉)。日本人はなぜ、『核分裂反応装置』に原子『炉』という言葉を使うのか」という発言を紹介しました。 鎌田さんから、今日は戦争と憲法と原発について講演してほしいと依頼されたという澤地久枝さんは、「(持ち時間内では話しきれないので)早口になってごめんなさい」と前置きして、「今日みたいにこんなにたくさん集まると、政府も恐いだろうと思います」と発言しました。
内橋克人さん
澤地久枝さん
坂本龍一さんと人気バンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」の後藤正文さんによる対談では、「脱原発って、ミュージシャンが偽善でやっているんでしょ?」と言われることがあるという後藤さんに対して、坂本さんが「偽善でやるのにこんな苦労はしたくないよね」と発言し、会場から拍手や笑いが起こりました。
後藤正文さん(左)と坂本龍一さん(右)
休憩をはさんで後半は、福島大学教授で、福島県民大集会の呼びかけ人代表を務める清水修二さんが登壇。「首都圏の人たちが原発の電気を使いたくないといえば、福島の原発を動かす理由はないのです」と呼びかけました。 大江健三郎さんは、「反原発が達成されて、将来にわたって人間が生き得る場所をつくることが、次の世代への贈り物。それが私たちのすべきことであるし、現に今ここで私たちはやっています」と力強く訴えました。九州大学教授で副学長の吉岡斉さんは専門家の立場から、「原発事故に対して、今の体制を変えないというのは情けないなと思います。法律のレベルで根こそぎ変えていかなくてはなりません」と提起しました。
※清水修二さんの肩書きを「福島県民大集会の実行委員長」と掲載しておりましたが、「福島県民大集会の呼びかけ人代表」の誤りでした。「実行委員長」は福島県平和フォーラム代表の五十嵐史郎さんです。お詫びして訂正いたします。
清水修二さん
大江健三郎さん
吉岡斉さん
最後に、落合恵子さんが「私にとってここにいることは居心地のいいことです。だって、同じ考えの方がこんなにおられることを確認し、どこかでうなずき合えることができるからです」とやさしく力強い言葉で締めくくりました。
落合恵子さん
2013年03月09日
3月9日に東京・明治公園で開かれた「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」の全発言者の発言ダイジェストとパレード行進の様子をビデオにまとめました(約10分)
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