2013年、原水禁大会、被爆68周年原水禁世界大会
原水禁福島大会で震災・原発被災地を視察
2013年07月29日
被曝68周年原水禁世界大会・福島大会は、7月28日の大会・デモ行進に続いて、29日には東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の被災地を視察するフィールドワークが行われ、70人が参加しました。放射線量の高い飯舘村や川俣町、さらに福島原発に近く津波被害も大きい南相馬市を回りました。
飯舘村は、多くのところが居住制限地域に指定されており、中でも放射線量が高い長泥地区は帰還困難地域とされ、居住者の一時的な立ち入り以外は通行止めとなって、2人のガードマンが立っていました。線量計で測ると、福島市内に比べて100倍もの線量を示していました。
飯舘村は、事故が起こる前までは、全国でも珍しく人口が増え、若い人達が多い村として注目されていました。しかし、今は全村が避難し、時折、見守りパトロールの人以外は誰もいない村の田畑は草が荒れ放題となっています。その田畑では除染の実験作業が行われていましたが、大量に出る廃棄物の置き場をどうするかなど問題が山積しています。
一方、南相馬市は少しずつ元の生活にもどりつつあるようでした。自治労南相馬市職労の鈴木隆一委員長の説明では、一時は1万人まで減った人口が4万5千人まで回復。商店や事業所の多くが再開し、名物の「相馬馬追い」も昨年から復活しました。しかし、3年連続で水稲作付けは行われず、漁港も復旧工事が終わっていません。子どもたちの数もかつての半数しか戻っていないとのことです。病院も看護師不足、市役所でも退職者が激増し、「こんな状況で、大型の公共工事が行われても対応できない」と、鈴木委員長は訴えました。
視察参加者は、海岸部などで原発事故のために復旧が遅れている地域などを視察しました。(写真は道路の通行止めと大量の廃棄物。ともに飯舘村で)