2013年8月

被爆68周年原水爆禁止世界大会 ヒロシマ・アピール

2013年08月06日

ヒロシマ・アピール

 「核と人類は共存できない」
 世界最初の原子爆弾が炸裂したあの日から68年目のこの夏、私たちはここ広島の地に集まり、核廃絶・脱原発の流れを大きく前進させるための誓いを新たにしました。
 原民喜が、原爆小景の中で「日ノ暮レチカク 眼ノ細イ ニンゲンノカホ ズラリト河岸ニ ウヅクマリ 細イ細イ イキヲツキ ソノスグ足モトノ水ニハ コドモノ死ンダ頭ガノゾキ カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ 翳ツテユク 陽ノイロ シヅカニ オソロシク トリツクスベモナク」と表した惨状を繰り返させてはなりません。
 世界では、「核なき世界」を求めるといいながら、米オバマ政権は臨界前の新型核実験を繰り返しています。また、朝鮮民主主義人民共和国の核実験、イランの核疑惑など、核拡散の動きが広がっています。人類は未だ世界に存在する約17000発を超える核兵器による核脅威にさらされ続けられている事実を忘れてはなりません。2015年には被爆70年目をむかえ、NPT(核不拡散防止条約)再検討会議が開催されます。2010年に確認された「核なき世界の追求」と行動計画のさらなる具体化を求めヒロシマから声を大きく、取り組みを進めていかなければなりません。
 東日本大震災による福島第一原発の事故は広島原爆の168個分の放射線を撒き散らし、原発事故の恐ろしさを私たちに見せつけました。「薄氷の安定」であることを露呈するとともに、汚染水の問題や除染作業、廃炉に向けた工程など全く見通しはたっておらず、結局原発事故の原因究明もままならないまま、政府は早々と「収束宣言」を発表しました。原発推進派は原発の再稼働なしには経済発展はないとして再稼働にむけて進んでいます。私たちは核の平和利用というまやかしに騙されることなく全ての原発の廃炉を求めます。さらに、ヒロシマの経験を活かしフクシマに支援・連帯をしていくことが私たちに求められています。
 
 あの暑い68年前の夏、広島・長崎の原爆投下を経験してきた私たちは、一昨年にはフクシマでの原発事故を経験しました。核時代に生きて来た私たちに、ヒロシマは、人類が生き残るために核兵器を廃絶するしかないことを教えています。フクシマは全世界から原発をなくすことが必要なことを教えています。「核絶対否定・核と人類は共存できない」ことを強く訴え、核も戦争もない平和な21世紀を子どもたちに贈るとりくみを全力で進めます。
 
○すべての核兵器をなくし、核と戦争のない21世紀をつくろう!
○2015年NPT(核拡散防止条約)再検討会議における具体的行動計画の策定をめざそう!
○核兵器禁止条約を実現しよう!
○北東アジアの非核兵器地帯条約を実現しよう!
○全ての原発の廃炉をめざそう!
○原発の輸出を止めよう!
○原発事故の被災者と被曝労働者の健康と命と生活の保障を政府に強く求めよう!
○国是とした非核三原則を守ろう!
○被爆者援護施策の強化ですべての被爆者支援を実現しよう!
  ノー モア ヒロシマ、ノー モア ナガサキ、ノーモア フクシマ、ノー モア ヒバクシャ

2013年8月6日

被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会
 

【68大会・報告】広島ひろば/ヒバクを許さない集い Part14

2013年08月05日

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被爆68周年 原水爆禁止世界大会 ひろば
ヒバクを許さない集い Part14 報告
―フクシマとヒロシマ・ナガサキ・JCOを結び 国の責任による福島事故被災者への健康手帳交付を求める運動を全国に広めよう

 ヒバクを許さない集い Part14は、「フクシマとヒロシマ・ナガサキ・JCOを結び 国の責任による福島事故被災者への健康手帳交付を求める運動を全国に広めよう」をテーマに、約80名の参加で開催しました。
 主催者あいさつに続いて、ヒバク反対キャンペーンの寺西清さんから、これまで、原水禁や原子力資料情報室、全国の市民団体で取り組んだ、政府行動などの報告が行われました。
 続いて、福島県浪江町住民の大倉満さんが「福島の現状と課題-浪江町から」と題して報告。事故直後からこれまでも続いている、政府や東京電力の住民無視の対応、ヒバクから生じている差別や偏見、そして住民間に生じている亀裂について話されました。また浪江町が独自に発行している「健康管理手帳」についても報告され、将来に亘って抱え続けなければならない、健康不安や心配、生活保障のために、健康管理手帳の交付を求める運動の必要性を訴えました。
 次に、広島県原水禁常任理事の金子哲夫さんが「原爆被爆者運動を被災者救済にどう活かすか」と題して報告。自らが、原爆被爆者援護法の制定運動に長く関わっている中で感じた経験を話しました。放射線障害は、「悪性腫瘍」だけではなく、免疫力の低下から生じると思われる様々な病気が有ることを報告。長期間にわたって健康への影響を危惧しなければならないことを話しました。そして、なんとしても「被災者としての証明」を得ることが、健康手帳交付を求める運動の出発点になると強調しました。
 この度の集いは、パネルディスカッション形式で行うこととし、参加者から被災者差別の問題や原爆被爆者援護法制定運動について、二人の報告者に質問がされている最中に、浪江町長の馬場有さんと、健康保険課長の紺野則夫さんに駆けつけていただき、二人からの話を聞くことになりました。
 馬場有町長は、政府や東京電力の原発事故情報隠し、ごまかしなどを話された後、浪江町住民約2万1千人の内、1万6千人が避難生活をしている状況、原発事故関連死が浪江町民だけでも、285人となっていること、子どもたちは全国699校の小中学校に分かれて学校生活を行っている現状を話され、「いつまで流浪の旅が続くか分からない」と、結ばれました。
 紺野課長は、健康管理手帳発行についての実務的な仕事に関わった立場から、手帳の中味に心掛けたこと、健康管理手帳を拡大していく必要性を報告。
 ディスカッションの後、「国は、国策で原発を推進し重大事故を招いた責任、そして多くの人々を被ばくさせた責任を認め、国の責任で福島県民、及び年1ミリシーベルト以上の追加被ばくをさせられた地域の被災者には法的根拠のある『健康手帳』を交付し健康保障・生活保障を行うべきである。そのために、一大国民運動を巻き起こしていこう」という趣旨のアピールを確認しあい、様々な課題や困難な問題も予想されるが、原子爆弾被爆国の市民としての責務として、この運動を進めていくことを参加者全員で確認しあいました。
 

原水禁世界大会・広島大会の2日目 分科会や国際会議開く

2013年08月05日

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 8月5日の「被爆68周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の2日目は、分科会や国際会議などの学習・討論、フィールドワーク、子どもたちの催しなど、広島市内を中心に多彩に展開されました。
 第1分科会は「福島原発事故の現状と課題」として、福島からの報告を受け、脱原発社会の実現に何が必要かを討議しました。第2分科会は「再稼働問題と脱原発に向けたエネルギー政策」をテーマに、韓国やドイツのゲストからの報告も含め、原発に頼らないエネルギー政策を考えました。
 第3分科会は「核拡散と日本の原子力政策」で、特にプルトニウム利用と原発輸出問題を中心に、韓国からの報告も交えて討議しました。第4分科会は、「アメリカの核戦略と東北アジアの非核化」について、沖縄へのオスプレイ配備など米軍基地問題や多国間の地域安全保障などの課題を、アメリカや韓国の平和運動団体の報告も含めて討論しました。
 第5分科会は「世界のヒバクシャの現状と連帯のために」をテーマに、原子力の出発点にあたるウラン採掘現場の核被害をアメリカから報告してもらい、さらに世界の核被害者の現状を学びました。第6分科会の「ヒロシマからフクシマへヒバクシャの課題」では、韓国の在外被爆者の訴えや被爆体験者の問題と解決に向けた取り組みと、フクシマの課題を結んで考えました。
 「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」をテーマとした第7分科会には多くの若い人が参加し、被爆者の証言を通してヒロシマの実相にふれ、被爆体験の継承を考えました。このほか、山口県上関原発、被爆二世・三世問題などの討論の広場や、フィールドワークが行われました。

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「破綻する原子力サイクル」をテーマとした国際会議は、福島原発事故にもかかわらず再稼働や原発輸出を進める日本の原子力政策、核燃料サイクルにおける被ばくと核拡散の問題、脱原発を選択した国の現状も含めて、各国の専門家、活動家が一堂に会して討論をしました。
 福島から原発事故後の状況が報告され、さらに破綻する核燃料サイクルや日本の原子力政策の問題が指摘されました。アメリカからは、ウラン採掘での核被害について、先住民の闘いと現状が報告されました。韓国からは、日本以上に拡大する原発政策や再処理の問題が語られました。ドイツからは脱原発の政策と今後の廃棄物問題が報告されました。最後に「この負の遺産と私たちがどう向き合っていくかが問われている。今後も各国と連携し、情報を共有し、運動を進めよう」と確認されました。

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一方、若者や高校生が企画運営するメッセージfromヒロシマは、全国や海外から参加の子ども達が一緒に遊びながら、平和を考えようと行われました。最後にみんなでまとめた「平和のメッセージ」を全世界にインターネットで発信しました。
 原水禁世界大会・広島大会は、6日にまとめ集会を行い、長崎大会に引き継ぎます。

 

【68大会・報告】広島第7分科会/見て、聞いて、学ぼうヒロシマ―入門編

2013年08月05日

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 第7分科会では、被爆者の大隈勝登さんがご自身の被爆当時の体験と、戦後の歩みを語りました。

 小学校2年生だった大隅さんは爆心地から2.3キロメートルのところおり、「原爆が投下されたとき、自分に「焼夷爆弾」が落ちたと感じた」「家の前も逃げる人たちがたくさんいて、自分も母親や弟たちと山に逃げた」「死体はおばけのようになり、男か女かも分からん」「たくさんの死体が川を流れ、死体がモノのように土手に並べられて焼かれる光景やくさくてたまらない匂いに、子どもながらに恐ろしいと感じた」と当時の体験を語りました。また、被爆者が結婚などの際に受けた差別についても言及がありました。

 講演を受けて「被爆体験を証言するようになったきっかけ」「平和学習の切り口」「被爆後の子ども時代の苦労」など、教組の参加者から活発に質問が出されました。大隅さんは小学校4年から6年にかけて先生の影響がずっとあったことを挙げながら、教育の重要性について語りました。そして、その先生の言葉どおり、「一生現役」で現在も事業を続けていること、124歳まで生きるのが目標と話していました。

 北海道の参加者から「被爆者手帳をとらない被爆者の気持ち」について質問がありました。これに対して、司会を務めた被爆2世の角田さんは原爆でやけどを負った母親の被爆体験を紹介しながら、被爆者にも原爆で負った傷の程度や地域によって様々な思いがあることが出され、平均年齢が78歳を超えた被爆者の思いを引き継ぐ重要性が提起されました。同じく被爆2世でもある政平さんは「被爆者が一番恐れたのは自分への差別ではなく、子どもが差別されること。被爆者手帳を取らない人も少なくない。国が起こした戦争の責任は国に取らせることが重要であるのと同様に、被爆者に対する差別と偏見をただすことも国の責任。そして、福島の人々の思いをどこまで共有できるかが喫緊の課題」と分科会を締めくくりました。
 

【68大会・報告】広島第6分科会/ヒバクシャを生まない世界に2-交流・討論編-ヒロシマからフクシマへヒバクシャの課題

2013年08月05日

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平野伸人さんのお話
 最初に、平野伸人さんご自身の福島での活動記録や、広島での被爆者である平野さんのお母様の体験談などを、スライドで、説明されました。
 また、東日本大震災の同じ被災地でもある岩手と福島にどのような違いがあるかも説明されました。岩手では今現在は復興も進んできていますが、福島の南相馬はほとんど進んでおらず、町に人影も無く雑然としていて、津波被害とは別の原発事故による放射能汚染被害の厳しさを説明されました。 
 そして、広島での原爆投下から今日に至るまで、ヒバクシャがどのような待遇で生きてきたのか、そしてヒバクシャを取り巻く環境がどのように変化していったのかを事細かに説明されました。その中でも、特にしっかりと説明してくださったのが、被爆者援護法についてでした。
 また、原爆症の問題、医療費の問題など実社会における弊害を具体的に説明してくださいました。実際に被爆しているにもかかわらず、原爆症の認定基準外であるために被爆者として認められず、裁判にて勝訴し、ようやく被爆者として認められるなど被爆者を巡る今日までの環境、行政、情勢の変化について、レジュメを使いながら説明していただきました。

郭貴勲さんのお話
 郭貴勲さんからは、実体験を交えながらのお話をいただきました。強制徴用で日本に連れてこられ、日本軍として被爆し韓国に帰っても家は無く、被爆者として差別を受け、韓国政府からも無視され、日本政府とも被爆をめぐる裁判で闘い続け、勝利し、現在は、韓国政府に対しても裁判闘争をしているなどのお話をしていただきました。
 この第6分科会は、交流・討論というかたちを取っていましたが、参加者からは、討論というよりは、参加した感想が何名かの方から挙がりました。最後に運営委員の方がまとめを行いましたが、「明日のために、なにをかせんといかん」という言葉が印象的でした。

【68大会・報告】広島第4分科会/平和と核軍縮2-交流・討論編-東北アジアの非核地帯化と日本の安全保障政策

2013年08月05日

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1. 湯浅一郎ピースデポ代表の講演について
(1) 朝鮮半島における核兵器問題の背景には、朝鮮戦争の停戦協定から60周年を迎えたが、未だ朝鮮戦争は終結してない現状がある。
 北朝鮮としては、アメリカ政府によって、イラクのフセイン政権が一方的に戦争を仕掛けられた結果、その政権が崩壊した現実を目の当たりにし、アメリカから一方的に攻撃されない保証が得られるまでは核兵器を廃絶する意志はない。

(2) 最近の朝鮮半島情勢では、2010.3.26に韓国哨戒艦「チョナン」沈没事件、2010.11.23にヨンピョンド砲撃事件が発生している。
 こうした朝鮮半島の緊迫した状況があるにもかかわらず、アメリカ軍と韓国軍は、大規模な米韓合同軍事演習を行い、日本の自衛隊からも幹部がオブで参加していた。
 参加しているアメリカ軍は横須賀の空母戦闘団である。このことは、朝鮮半島をめぐる軍事的緊張状態には、アメリカ軍と自衛隊の存在によるところが大きい。

(3)2009年4月、アメリカのオバマ政権はチェコのプラハで、「核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカには行動する道義的責任がある。アメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。」と演説し、ノーベル平和賞を受賞したが、未だに核兵器に巨額投資しており、核兵器の依存を続けている矛盾がある。

2. ピーターデッキーさんの講演について
(1) アメリカの核戦略、あらゆる軍事計画の基本原則は、抑止力の概念である。しかし、冷戦が崩壊した現在においては、何からの抑止で核兵器の保有が正当化されるのか大きな疑問を世界に与えている。

(2) アメリカこそ核兵器の廃絶に向けたイニシアチブを握るよう世界から求められている。

3. チョン・ヒョンユンさんの講演について
(1)核兵器を保有する国々の間では、常にお互いの国に対する不信感が蔓延しており、それをどう払拭するかが核兵器の削減と軍縮の鍵となる。

4.各地報告
(1)岩国基地の現状報告でオスプレイ12機の追加配備について
(2)横須賀基地の軍民交流について
(3) オスプレイの追加配備についてと、アメリカ軍の軍事ヘリ墜落について

5.分科会の概要
 講演が中心となり、討論の時間がほとんど取れなかった。ピーターデッキーさんへの質問が2つありました。
 

【68大会・報告】広島第3分科会/平和と核軍縮1-学習篇-核拡散と日本の原子力政策~プルトニウム利用と原発輸出

2013年08月05日

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 日本のプルトニウム利用と原子力政策について、現状と諸外国と私たち日本人の受け止め方に大きな差がある実態を学び、核燃料の再処理は核兵器問題であることを認識し、今後の運動の広がりにつなげていこうとして、以下のような基調が提起された。

  政府は、高速増殖炉もんじゅの計画が事実上とん挫する中で、六ヶ所再処理工場の稼働をめざしている。現在、日本には長崎型原子爆弾5500発以上を作ることができる量のプルトニウムがある。仮に再処理工場が稼働すればさらに毎年8トンずつ増えていく。諸外国からはすでに、核保有国としてとらえられている。再処理は高レベル核廃棄物が少なくなって非常にいいだと言われるが、結果として核廃棄物は無くならないのであり、正しい情報を発信するべきだ。
  「核セキュリティサミット」においてオバマ米大統領は、核をテロリストの手に渡さないため、これ以上プルトニウム作ってはならないと発言した。日本が、原発を無くしていこうという意思を表示しているにも関わらず不必要なプルトニウム作っていることを、アメリカは公然と批判している。
  東アジアの中でも、北朝鮮は核実験、日本はプルトニウムを生産している中で、間にいる韓国は核を保有し抑止力を高めたいとしており、極右的な意見が強まることも懸念されている。日本、韓国の仲間がプルトニウム、原発を無くす運動を高めることが今、喫緊の課題だ。また、原子力発電所の輸出は、核拡散からみれば憂慮すべきことであり、その意味でも濃縮、再処理だけでなく原発そのものを無くす運動を大きく展開する必要がある。

【青森県原水禁の報告】
 県民にはまったく理解ない中で決められた核燃料施設受け入れは、巨額の公費をつぎ込む中で、自治体へ多額の原子力マネーが入り込み、住民には現実が示されず、むしろ原発再稼働を促進する動きがあり警戒している。六ヶ所はあらたな局面を迎えている、多くの疑問を持っている人たちの声をどう集めてかつての反対運動に結びつけるかが問題。

【参加者から】
 「核と原発結びつけてやってきたのが原水禁運動だ。単独になっても、再稼働反対運動と再処理稼働反対を結び付けて運動を引っ張ってほしい。」「原発輸出を批判することも、もっと前面に出してほしい。」「原水禁だけではだめだと思う。もっと多くの仲間と、なぜ一緒になれないのか、一緒になれば大きな力になる。そのうえで運動を展開すべきだ。」「プルトニウム保有について諸外国では重大な問題として見られているのに、日本ではなぜ問題にならないのか。」などの質問意見が出された。
 
 最後に、六ヶ所再処理工場は核兵器の問題であると強く認識して運動を展開しよう、この夏の課題として「ノーモア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノーモア・プルトニウム」で運動を広げていこうの意識を確認した。
 

メッセージfromヒロシマ2013写真報告

2013年08月05日

本番間近!リラックスして、開始を待っています。

こちらも、楽しそうに開演までの時間を楽しんでいるようです。

オープニングは「朝鮮舞踊」でスタート。本当にきれいです!

「翼をください」を日本語、朝鮮語の両方で披露してくれました。

実行委員によるあいさつ。ステージいっぱいに登場です!

総合司会の二人は、着ぐるみを着て再登場!ガッツが溢れています!

「平和のメッセージを届けよう」のコーナーは、フィールドワーククイズをしました。

花形シートに思いを書きこんでいきました。

一枚書き終わると、二枚目と書き進んでいきます。

真剣に書き込んでおります!

こちらも真剣!思いをぶち込んでおります!

こちらは、みんなが書きこむ前に説明してもらっている場面です。

ダンスの練習中!「JOY!JOY!」と声を上げながら、拳を掲げます!

輪になって向かい合うだけで、仲良くなっちゃいます。

実行委員がダンスの指導をしてくれました。

海外ゲストのあいさつ。イ・スヨンさん。

海外ゲストのさいさつ。イ・スンヒョンさん。

海外ゲストのあいさつ。パク・サングンさん。

海外ゲストのあいさつ。マリア・リテシア・コルムナさん。

「平和のメッセージ」を全世界に届けます

子どもたちの思いを込めた花形シートは、折り鶴の形になりました!

実行委員全員で記念写真です!毎年、本当に仲良しになります!

全国からの参加者も、記念写真は折り鶴の前がベストポジションです。

実行委員の仲良し度合いを表す一枚(笑)

メッセージfromヒロシマ2013報告

2013年08月05日

12:50 オープニング
 広島朝鮮初中高級学校の皆さんの朝鮮舞踊

13:04 第(1)セクション 全国のお友だちと仲良くなろう
 実行委員の紹介
 踊りと歌を覚えよう!「Joy!!」レッスン
 広島で何を学びましたか?

13:21 第(2)セクション 考えよう、表現しよう、平和の思い
 平和のメッセージを書こう!表現しよう!

13:50 第(3)セクション 世界のお友だちと平和を語ろう
 全国のお友だちからの一言メッセージ
 海外のお友だちより(フィリピン、 韓国のお友だちからのメッセージ)

14:14 第(4)セクション 広島を学んで、そしてお友だちをつくろう
 「ヒロシマとフクシマをつなぐⅠ─高校生の復興支援ボランティア活動─」
 「ヒロシマとフクシマをつなぐⅡ─仮設住宅で行う絵本の読み聞かせ活動─」
 「外国の人から見た広島」
 全国のお友だちと「Joy!!」を歌って踊ろう!

14:35 エンディング 平和はみんなの心から ―2013夏休み―
 みんなで書いた平和のメッセージが 「???」になって、登場しちゃいます!
 世界への平和メッセージを発信!

「メッセージfromヒロシマ2013」

 メッセージfromヒロシマは、広島朝鮮初中高級学校舞踊部の「朝鮮舞踊」からスタートしました。鮮やかな衣装に、会場中が魅了されます!なんと今年は、高級部の舞踊だけでなく、中級部の学生さんも参加して、歌の披露をしてくれました。
 素敵なオープニングでスタートした子どものひろば「メッセージfromヒロシマ2013」ですが、ここでまず、総合司会を務めてくれた加古川くんと田中さんが登場!続けて、司会の石原さん、末國さん、宮國さんも登場です。

「全国のお友だちと仲良くなろう」

第1セクションは、実行委員の紹介から始まります。今年も実行委員は地元広島のみならず、三重、東京からも参加してくれました。実行委員を代表して、広島県の荒井君、三重県の佐々貴さんがメッセージをくれました。他の実行委員は、フルネームでのあいさつの子、遊び心を入れてあだ名で挨拶をする子など、バラエティーに富んでいました。そして、パソコン操作、ビデオ撮影、写真撮影担当なども、実行委員がすべて担当しているということもあり、スポットライトを浴びる形で紹介されました。前方にある巨大スクリーンに映しながらの紹介は、なかなか本格的なものなんです!ステージ上で自己紹介した実行委員たちも、子どもたちの近くに戻ったあたりで、司会者から「踊って緊張をほぐしましょう」との声が。まだ何を踊るのか、一体何をするのかすらもわからない子どもたちは、ドキドキしながらも立ち上がります。「えーっ!やだーっ!」なんて言いつつも、しっかり立ち上がって、ダンスの練習に参加してくれました。いやはや、みんな可愛い。今年のダンス曲はSMAPの「JOY!!」でした。司会を担当してくれた石原さんが、振り付けを考えてくれたものですが、力強く拳を上げる動きなど、みんな楽しみながら練習していました。

「考えよう、表現しよう平和の思い」

続く第2セクションは、花形シートに自分の平和への思いを書いて表現しよう、というコーナーです。当然、参加している子どもたちの志は高いのですが、やはりいきなりメッセージを書けと言われても戸惑ってしまうはず。そこで、まずは午前中に行ったフィールドワークの復習をクイズ形式で行いました。被爆樹木や原爆ドームなど、平和に関する様々な画像に関する問題を出し、答えがわかる子には、マイクを通して回答を発表してもらいました。そして、ひとしきり盛り上がった後は、平和のメッセージを書く時間です。花形のシートに書き込むのですが、少し加工してあるシートを使っているので、書く際に工夫が必要です。そこで、書き方などの説明をしてくれたのが、東京から実行委員として参加してくれた白子さんです。その後、子どもたちは、ペンとシートが配られると、一気に集中モードへ突入。我先にと思いを書きこみ、実行委員のもとへ持っていき、花形シートを所定の場所に張り込んでいきます。何やら張り込む先の大きなシートには不思議な模様があり、貼り込む場所も決まっています。ここがミソなんです!エンディングにおいて、このシートたちは形を変えて出てきますが、この時点では子どもたちはまだそのことを知りません。途中、会場内を司会者がビデオカメラと一緒に移動し、子どもたちにインタビューしていきました。「どこから来ましたか?」「何を書きましたか?」など、終始楽しそうなやり取りが続きました。そんなこんなで制作時間の20分はあっという間に過ぎていきました。

「全国・世界のお友だちと平和を語ろう」

第3セクションは、参加者同士が「ようこそ」の気持ちを伝えるコーナーです。今年は、25都道府県のお友だちが参加してくれました。全国各地のみならず、韓国、フィリピンからもゲストが参加してくれました。
メッセージを発表してくれた参加者の名前は、イニシャルにさせていただきます。

北海道(K・R)
 北海道富良野市のK・Rです。68年前に原爆が落とされ、多くの人達の尊い命が奪われ、いまも後遺症に苦しんでいる人がいます。人と人が殺しあう戦争はもういりません。多くの人の命を奪う原爆はもういりません。わたしたちがこれからも平和で楽しく生きるためにも、原爆のない世界にしましょう。

北海道(N・Y)
 北海道から来ましたN・Yです。核兵器はたくさんの人を殺したり苦しめたりもする最悪な兵器です。だから僕は核兵器はこの世で一番いらないものだと思います。核のない本当の平和の大切さを、帰ったら北海道の友達に伝えたいです。

山形(T・S)、(Y・M)
 戦争はわたしたちの未来を奪います。世界の未来を奪います。核兵器の悲劇が二度と繰り返されないように、わたしたちは原爆の被害を理解し、その恐ろしさを全世界に伝えていかなければなりません。広島を考え、核兵器を拒否するのです。わたしたちは平和というものが当たり前に存在していける世界をつくることを誓います。

神奈川(N・C)
 全国からお集まりの皆さん、こんにちは。神奈川県親子代表団のN・Cです。これから神奈川県親子代表団を代表してアピールします。わたしは神奈川県の厚木基地のすぐそばから来ました。原爆のことは学校の授業やテレビのニュースなどで知りました。原爆が落とされて今年で68年目になりますが、いまでも放射能の影響で病気になり多くの人達が苦しんでいます。地震で起きた福島の原子力発電所の事故で、海や大地、そして学校のグラウンドも放射能で汚染されたと、学校の先生から教えてもらいました。わたしたちの住む神奈川県の横須賀基地にも、原子力で動く空母があるので本当に怖いです。お父さんやお母さんも本当に心配しています。福島の原発事故を1日でも早く解決してください。原子力をなくして、安全な世の中にしてください。広島で勉強した原爆、戦争、原発のことを、神奈川県に帰って多くの友達にこの体験を教えていきたいと思います。神奈川県私鉄労働組合、相模鉄道労働組合、4年生N・C。

神奈川生活クラブ生協(H・S)
 神奈川県から来ましたH・Sです。わたしは昔からお母さんに戦争について聞かされてきました。だから戦争はしちゃいけないことだということも知っています。お母さんが言うには、関東の人のほうが関西の人より戦争について知らないそうです。だからわたしはこのツアーで戦争についてよく知り、学校のみんなにそれを伝えていきたいです。

神奈川生活クラブ生協(K・N)
 神奈川県から来ましたK・Nです。わたしのお父さんが8月6日の原爆が落ちてしまった日に生まれてしまったということで、そのことを思ってわたしはなぜ戦争が生まれてしまったのか、戦争とはどういうものだったのか、これから学びたいと思います。

東京三多摩(K・M)
 三多摩から来ましたK・Nです。これまでに原爆資料館で、原爆がもたらしたあの日の恐ろしい出来事について勉強してきました。わたしは原爆が同じ人間同士がしたこととは思えませんでした。どうしてあんな悲惨な事が出来たのかと感じました。わたしたちはこの出来事をきっと忘れず、伝え続け、平和について考えていくべきだと思います。わたしはこの広島で学んだことを身近な人に話していくなどしていきたいと思います。

埼玉(K・M)
 人間の歴史には、常に戦争がくり返されてきました。武器の発展が原子爆弾を作り出し、一瞬にしてたくさんの命を奪い、苦しみました。いまも世界のどこかで戦争が起きています。そして色々な国が核兵器という恐ろしい武器を持っています。これからを生きるわたしたちは戦争のない世界を目指していかなくてはなりません。そして二度と原爆の悲劇を繰り返さないために、一人ひとりが出来ることをこれからもみんなで考えて行動していきましょう。埼玉こども代表団、K・M。

群馬(A・N)
 世界から核兵器をなくすために、広島に原爆が投下されてから68年が経ちました。原爆は平和な広島の街を、人の命を、そしてなにより人の心を破壊しました。いまでもその傷は、原爆を体験した人の心から消えることはありません。世界で核兵器を二度と使わないという非核宣言をしている国は、日本だけです。わたしたちはその唯一の国として、広島の悲劇を二度と繰り返さないように世界に核兵器の恐ろしさを訴えかけていく義務があると思います。いまなお世界からは戦争の火が消えません。しかし、武力でなくても問題は解決できると思います。世界から核兵器、そして戦争がなくなるよう呼びかけていきましょう。広島に学ぶ群馬こども代表団、A・N。

長野(K・K)
 長野県から来ました、K・Kです。これから広島と世界に向けてメッセージを送りたいと思います。8月6日の朝8時15分、すべてが壊れた。僕らの未来も壊れた。僕らの未来を壊した戦争や核はいらない。望むのは平和だけだと、僕は思います。

三重(M・A)
 わたしたち三重こども代表団は、戦争と核兵器の恐ろしさを学びました。想像以上に核兵器の恐ろしさを知り、いまなお苦しんでいると聞きました。広島に落とされる二日前、三重県も原爆投下の練習場所として使用されました。戦争はどの場所でもあってはならないと思います。三重県に戻ったら、日本だけでなく世界が平和になれるよう一人でも多くの人に何が出来るかを考え伝えていきたいです。三重県菰野町立菰野中学校、M・A。

香川(I・M)
 香川県から来ました、I・Mです。今回、広島に初めてきました。68年前にひとつの原子爆弾でたくさんの人々が亡くなったことを、わたしは知りませんでした。今日色々な話を聞いて、原子爆弾など核兵器のない平和な日本にしていきたいです。ありがとうございます。

長崎(U・A)
 みなさんこんにちは。長崎県から来ました、高校生1万人署名活動のU・Aといいます。わたしたち高校生1万に署名活動は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指して活動しています。長崎では毎週日曜日に核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める署名活動を行っています。1年間で集めた署名を持って次に派遣する平和大使がジュネーブの国連本部を訪問します。今日終わってから玄関のところで署名活動を行っているので、もしよろしければご協力お願いします。今日は1日平和についてみんなでいろいろ考えることができればいいなと思っています。ありがとうございます。

広島平和大使(K・C)
 さきほどご紹介いただきました、わたしは第16代高校生平和大使のK・Cです。わたしは広島から選出されました。わたしたち高校生平和大使はさまざまな団体の方々に支えられて今年で16年目を迎えます。主な活動としては高校生1万人署名活動と、そしてその署名を国連に持っていくこと、そして国連で核兵器廃絶のスピーチをすることです。わたしたちの手で核兵器がなくせるように、みなさんでがんばっていきましょう。そして最後にわたしたち高校生平和大使と高校生1万人署名活動はみなさんの温かいカンパによって支えられていますので、どうぞ後でカンパのご協力お願いします。ありがとうございました。

広島(T・K)、(H・Y)、(I・M)
 戦争がなかったら平和なのか、僕たちは話しあいました。平和って自分たちにとってどんなことなのか、考えました。ご飯が食べられること、みんなと学校で勉強できること、いじめがないこと、自分の意見が言えること、好きな本が読めること、生まれた国や場所で差別されないこと、家族と一緒に住めること。わたしたちが平和だと感じることは、憲法で守られていることも、少しだけど勉強しました。そして国は憲法を守るように努力しないといけないのです。でもいまその憲法を変えてしまおうとしています。できないから憲法を変えてしまうというのはおかしいと思います。憲法9条は、日本は戦争しないことを約束しています。守れないから変えてもいいのですか。戦争しないために、なくすために、みんなでなにが出来るか考えていきたいです。そしてみんなが平和だと思える世界を自分たちで作っていきたいです。

続いて、海外ゲストからのメッセージ発表です。まず韓国の高校生のイ・スヨンくん、続くイ・スンヒョンさん。そして、パク・サングンくんとメッセージを発表してくれたのですが、驚いたことに三人とも、きれいな日本語で挨拶をしてくれました。本当に流暢でびっくりです。そして、フィリピンからのゲストであるマリア・リテシア・コルムナさんは、日本の高校生との交流が盛んなことを伝えるとともに、周りの支援に感謝し、自分の出来ることをしっかりやり、そのことで平和に貢献できるように頑張ると信念を表明してくれました。  会場の参加者もそれぞれに印象に残る言葉があったはずです。自国のみならず、世界を平和にしたいという思いは、国が違っても、暮らしが違っても、同じものなのだと感じられる時間でした。

「ヒロシマを学ぼう、そして伝えよう」

 終盤戦に入ってまいりました。第4セクションは、広島の実行委員による活動報告の時間です。今年もクオリティーの高いものばかり。トップバッターは、西さん、日上くん、神尾さんの三人による、絵本「ふくしまからきた子」の読み聞かせです。主人公の小学生の男の子が、福島原発事故から避難するために引っ越してきた同級生と交流する中で、放射能のこと、原発事故のことを考えていくという物語です。ニュースで知っていても、周りから聞かされていても、自分から興味を持つのと受け身とでは全然違うはずです。絵本の読み聞かせということもあり、多くの子供たちの心に入ってきたのではないでしょうか。発表二番手は、「高校生による復興支援ボランティア活動」です。広島の高校生、中学生で結成したボランティアグループが福島で行った「お好み焼き交流会」や「読み聞かせ活動」など、参加者が自主的に運営する様々な復興支援活動を通して、社会貢献の大切さを実感したという報告でした。最後に、大垰さん、吉岡さんによる報告発表「外国の人から見た広島」です。「広島に住んでいる外国人さんたちは原爆のことをどう思っているのか」という視点から、学校にいる外国人の先生に質問したことをまとめるという形式のものです。「初めて原爆ドームを見たときの印象」や「広島についてどう思うか」など、国際平和都市広島ならではの企画でした。どの発表も良く考えられたものとなっていて、参加してくれた子どもたちもより興味を持ったのではないでしょうか。
 しかし、早朝からのフィールドワークで参加者の集中力もそろそろ切れてしまうのではというところで、一度練習した「JOY」を再度踊りました。さすが、子どもたちは天才です!すでにマスターし、完璧に踊れていました!

「平和はみんなの心から」

 ついに、「メッセージfromヒロシマ2013」もエンディングを迎えます。実行委員を中心にみんなで考えた「平和のメッセージ」を三重県実行委員の西脇さん、広島県実行委員の神尾さん、藤澤さん、水谷さんが発表してくれました。この平和のメッセージは、原水禁広島大会のまとめ集会でも発表しているのですが、毎年本当に素直な気持ちが表現されていて、とても評判の良いものです。もちろん今年も、みんなの平和に対する熱い気持ちが入っていて、心が熱くなるものでした。この「平和のメッセージ」ですが、英訳して、核兵器を所有する国に向けて、メールで送っているんです。そして、その様子は、会場で画像を工夫することによって表現しています。世界中にメッセージが駆け巡っている様子は圧巻です!続いて、子どもたちは後ろを向くように指示されます。全員が後ろを向いて座りなおし、司会者の合図でカウントダウンを始めます。「ゼロ!」と大きな声が響き渡り、子どもたちが前を向くと、そこには鮮やかなモニュメントが!第二セクションで子どもたちがメッセージを書き込んだ花形シートが、大きな折り鶴の形になって登場しました。一人ひとりの思いが集まると、大きな力になることを表しているかのようなモニュメントへと形を変えたのです。子どもたちのみならず、会場後方にいる付き添いの方々も魅了されたのではないでしょうか。そこに、「終わりの時間が近づいてきました」という司会者の言葉が響きます。「最後にもう一度会場のみんなで盛り上がりましょう」という声とともに、子どもたちは立ち上がり、音楽がかかり、自然と曲に合わせて踊り始めます。「JOY!JOY!」と力強く歌う声も響きました!ここまで来ると、最初に緊張して固まっていた子も、恥ずかしがっていた子も、みんな混ざり合って楽しんでしまうものです。
 あっという間に二時間のイベントも終わりを迎えました。参加者の平和への思いを形にするイベント、それこそが「メッセージfromヒロシマ」なのです。「平和な社会は自分たちでつくる」という司会者の締めの言葉がすべてを表しています。是非、このレポートをご覧の方、実行委員として、参加者として、「メッセージfromヒロシマ2014」にご参加ください!お待ちしています!

メッセージ from ヒロシマ 2013

 広島に来たり、平和行進に参加するたびに、ほんとうにたくさんの世界中の人たちが、核兵器や戦争に反対しているんだなと思います。それなのに、どうして戦争はなくならないのでしょう。

 私たちは原爆資料館で見て学んだことを忘れることができません。服の模様が肌に焼きついた女性の写真や、皮膚が垂れ下がった被爆者の人形、家の下敷きになって動けない人たちの様子など、それがたった一つの爆弾によって引き起こされたということに驚きました。68年前広島と長崎に落とされた、たった二発の原子爆弾は、一瞬にして数十万人の大人や子どもの命を奪い、今なお苦しめ続けています。

 沖縄では毎年6月になると社会科の授業で沖縄戦について学びます。「国内唯一の地上戦」で、戦闘は約5カ月間も続き、住民の多くが巻き込まれ、20万人以上の命が奪われました。戦争の被害は広島、長崎、沖縄だけではありません。東京、名古屋、大阪をはじめ、日本各地でも空襲によってたくさんの命が犠牲となりました。また、日本は戦争によって大きな被害を受けただけではなく、日本はアジアの国々に大きな被害を与えたことも、同時に学ばなければなりません。
 世界が平和になるということは、戦争が無くなることだけではなく、みんなが平等に生活できることだと思います。いじめや差別も無くなることだと思います。

 2011年3月11日、東日本大震災によって日本はたいへんな被害を受けました。私たちは福島の復興支援ボランティア活動に参加しましたが、震災当時の話は、まるで原爆が落とされた広島の話を聞いているようでしたし、2年が経った今も、テレビで観た当時の光景と何も変わっていませんでした。
 自然災害だけではなく、原子力発電所の放射能被害があったということは納得できません。広島・長崎・チェルノブイリなど、多くの所で原子力の危険性について訴えているにもかかわらず、このような事故が起きたことは、学ばない人が多くいるからだと思います。私たちは福島に行って、放射能の恐ろしさとみんなで協力することの大切さを学びました。今回この事故で多くの人が心に刻まなくてはなりません。

 今も世界のどこかで戦争が起きており、何の罪もない子どもたちが殺されています。子どもたちには明るい未来があり、そんな尊い命を奪う戦争など決して良いはずがありません。戦争から生まれるものは、悲しみ・憎しみなどでしかありません。戦争はただの愚かな行為です。子どもたちの明るい未来のために戦争を無くしていきましょう!

 どうして戦争が起きるのか、平和な世界をつくるためにはどうしたらいいのか。被爆者の体験した苦しみや悲しみ、戦争や核兵器の悲惨さを学び伝えていきましょう。  自分にできることから行動していくことで、少しずつでも戦争や核兵器を減らしていくことができるはずです。戦争を知る努力をしましょう。いじめや差別をなくしましょう。みんなが笑顔でくらせる社会をつくりましょう。
「もう戦争はいらない! 核兵器もいらない!」

2013年8月5日 子どものひろば「メッセージ from ヒロシマ 2013」参加者一同

このメッセージは英語に訳して、核兵器を持つ国へとメールで送信しています。

2013年8月5日

子どものひろば「メッセージ from ヒロシマ 2013」参加者一同

このメッセージは英語に訳して、核兵器を持つ国へとメールで送信しています。

子ども海外ゲスト コメント&プロフィール

◎李承鉉(イ・スンヒョン/韓国・蔚嶽(ウルサン) ナムチャン高校1年)
こんにちは。私は蔚山(ウルサン)ナムチヤン高校1年のイ・スンヒョンです。亡くなった祖父(李康寧)が長崎の三菱軍需工場で働いている時に、原爆の被害にあいました。祖父は「被爆者はどこにいても被爆者だ」と訴えながら、在外被爆者の補償のために努力しました。私もその意思を受け継いで、戦争と核兵器のない平和な世界になるよう、努力していきたいと思います。

◎李修蓮(イ・スヨン/韓国・忠淸南道 江景(ガンギョン)高校3年)
私の母は日本人で、父は韓国人です。私は4人兄弟(一男三女)の三番目に生まれました。
日本と韓国は距離は近いのですが、心の距離は遠いかもしれません。私はその距離を縮めたいです。そのための第一歩として『高校生一万人署名活動』を実現してみたいです。私の夢は広告デザイナーで、言葉は通じなくても理解できる、奇抜で世界に通用するような広告をつくって、世界の人々が差別と偏見を捨てられるようにしたいです。温かい目で見られる広告を作りたいです。そんな広告を作るために、各々の国の文化を理解することが重要だと思います。この活動で日本の文化を学んで平和を広めたいです。

◎朴尚根(パク・サングン/韓国・大邱(テグ) ナムサン高校1年)
こんにちは。私は韓国の3番目の都市、大邱にあるナムサン高校1年生のパク・サングンです。私は、学校の放送部でアナウンサーを担当していて、将来の夢を実現するために部活動を頑張っています。8月に日本の広島・長崎を訪問して、原子爆弾の実態を把握し、その被害を韓国の友達に伝えたいと思います。日本の多くの友達と交流し、近いのに遠い国ではなく、近くて近い国になるように努力したいと思います。

◎マリア・リテシア・コルムナ(フィリピン)

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