2014年、分科会報告、原水禁大会
広島大会第7分科会 見て、聞いて、学ぼうヒロシマ
2014年08月12日
広島大会第7分科会
「見て、聞いて、学ぼうヒロシマ」
参加者のほとんどが原水禁世界大会には初めての参加となりました。原爆資料館元館長の原田浩さんから講演を受けました。原田さんは被爆者としては最後の原爆資料館の館長という立場から、広島への原子爆弾投下に関する基本的な知識とあわせて、ご自身の6歳のときの被爆体験をお話してくださいました。
原田さんは、原子爆弾の特徴として、熱線、高熱火災、爆風、放射線を挙げ、それらによって人体が無残な状況になったこと、資料館では見るに耐えない被爆者の状況をそのまま展示するわけにはいかなかったことなどを説明されていました。また、熱線で建物に焼きついた影について、館長時代に2度ほど「私の身内だ」と言ってきた人がいたとのことです。
原田さんは6歳のとき、広島駅で被爆しました。駅の屋根が落ちてきて、父親が上に覆いかぶさったことで助かったとのことです。逃げる途中、水がほしいという人に足をつかまれた際、振り払うとその人の肉がずるりとむけたという生々しい実体験をお話されていました。被爆者は助けを求める人を残して自分だけ生き残ったという気持があるなか、なぜ助けられなかったかを思い出したくないため、被爆体験を語る被爆者は少ないとのことです。原田さんの館長時代も、要人を案内する際、広島駅のパノラマがある場所では一呼吸置かないと説明に入れなかったそうです。
その後、会場から質疑を受けました。三重と新潟の参加者(教職員)からは、子どもたちに平和教育を行ううえでの葛藤やぶつかりについて報告がありました。「子どもたちに平和とは何かをどう伝えるか」「教員が子どもたちに戦争について教える際に、被爆者としては何を伝えてほしいか」という質問には、原田さんは「平和とは何かという問いは、立場によって答えが違う難しいテーマ」「原爆を落としたのはアメリカだが、被爆者の気持は、アメリカがあやまるより何より、まずこんな悲惨な経験は二度としたくないという気持がある」というお話をされていました。
また、被爆者にたいする差別についての質問には、「被爆者が悩んだのは結婚や就職の差別もあるが、何より体中のケロイドのこと。差別を危惧して手帳を申請しなかった人が、近年になって新たに申請することがあるが、証人もすでにおらず、事実確認ができないため、審査が極めて困難になっている。手帳は申請せず、誰にも被爆のことは一切言わないままの人がたくさんいるはず」とおっしゃっていました。
原田さんは最後に、平和宣言の内容について、市長の思いが強く反映されたものになっていること、市長だけでなく、市議会議長のメッセージ、広島と長崎のものを比較してみることなどが理解を深めることになると指摘し、分科会を締めくくりました。
(報告=社青同・近藤和樹)