2014年8月
2014年08月12日
長崎大会第5分科会
ヒバクシャ1 ―ヒバクシャ問題の包括的解決をめざして
講座Ⅰ 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)に対する質疑応答
・地球被ばくという言葉を聞いて驚いた。日本人は多くの魚を摂取している現実がある。なぜその情報は流れてこないのか?風評被害があるのか?北半球のデータは多いが、南半球のデーは少ないのか。
(豊崎さん)地球被ばくのデータは持っている。かくしているわけではない。それを自分で手に入れる、集めていくことが必要だ。南半球の大陸では実験、調査が少ない。
講座Ⅱ振津かつみさん(医師)に対する質疑応答
・長崎、広島、福島としての問題は大切であるが、それを地球被ばくという観点で考えていく必要がある。被ばく者は日本だけでなく、世界にも多くいる。その人達は知られていないし、保証もされていない。国によっても保証は全く違う。なぜ同じ人間なのにおかしいのではないのか?
・核と人類は共存できないことを再確認したい。核廃絶は核兵器廃絶ではない。原発も廃止にする。それが大事だ。
・世界はまだ核実験を続けている。地球被ばくのことが分かっていない。日本も地球被ばくの加害者本人である。もはや地球上に住んでいるかぎり、被ばくからのがれられない。
・地球規模の大きな視点(マクロ)と現地の小さな視点(ミクロ)の両方で考えることが重要。社会の現状や地域の現状を知って伝えることが重要だ。
・被ばく者の方々も少なくなってきている。語り部の人もかぎりなく少なくなっている。本人でなくても、闘いた人が語り継いでいくことが大切だ。それが若い世代ができることだ。
最後に、強い意思、意見、考えをもって取り組み闘っていくことを確認した。
(報告=関西ブロック・三上雅康)
2014年08月12日
長崎大会第6分科会
ヒバクシャ2–強制連行と被爆を考える
初めに海外ゲストからのはなしを聞きました。
(カク・キフンさん)1924年生れ、1944年9月師範学校の時召集される。徴兵され広島に連れて来られた。その日8月6日は2Km離れたところへ工兵隊に仕事に行っていたが、助かった。3日位意識不明が続き15日に終戦を知った。
広島市の人口70万人のうち約1割の7万人の朝鮮人がいた。うち4万人が死亡し、残り3万人のうち2万3千人が祖国へ帰り、7千人が日本に残った。そのうち1千人の人が共和国へ帰った。いま朝鮮での生存者は10分の1程度だ。日本人被爆者生存者は40万余人のうち20万と聞いている。67年から被爆者協会をつくった。被爆者は何処にいても被爆者だ。
(チヤン・テホンさん)14歳の中学家1年で被爆した。家は稲佐町にあった。空襲警報が解除になったが家にいた。父と母は屋根の修理、姉は台所にいた。私は弟と2人で遊んでいた。B29が落下傘を落としたのを見て家に入った。爆発のあと5mほど飛ばされた。父母は大やけど、姉・弟と一緒に稲佐警察署の横の大きな防空壕へ行った。松山の電車の線路が浮き上がっていたのが印象強かった。
(参加者から)被爆者協会を作られた時、すでに亡くなっていた人もいたと思われるが、調べられたか?
(カク)韓国では、被爆者は「ハンセン病」患者と一緒で、山の中にかくれて貧しく暮らし、死んでいった。日韓会談も何回もしているのに被爆者の事は言わない。原子爆弾が落とされ、韓国の独立を早めたと政府の解釈があるためだ。
講演「強制連行と被爆を考える」 講師 高實康稔さん(長崎大学名誉教授)
特に裁判4件を闘われたことをより詳しく話された。2002年の厚生省公衆衛生局長402号通達の廃止(国籍条項がない)ことが、韓国被爆者に有利になったことを強調された。
(参加者から)福岡も強制連行の人が多い。差別の実態を初めて知った。
手帳を持っていない人も多い。証人2人がなかなか見つからないなど裁判も課題が多い。
ドイツでは戦争被害者のことはきちんと政府が責任を持っている。日本はどうなっているか?
(報告=I女性会議・森重子)
2014年08月12日
長崎大会第7分科会
ヒバクシャ3―被爆二世・三世問題を考える
最初に長崎県被爆二世の会会長の尾育朗さんが「私たち被爆二世の運動の取り組みと課題」と題して提起を行った。被爆二世協の取り組みは、自身の健康問題解決と、被爆の継承と核兵器の廃絶、戦争絶対反対の闘いとして、福島との連帯を図りながら、国家補償に基づく被爆者援護法の成立をめざしていると話された。
次に、全国被爆二世団体連絡協議会事務局長の平野克博さんが「被爆二世問題解決のためにどう取り組むか」と題して話をされた。広島市・長崎市在住の被爆二世に対して、放影研が行った調査(2000~2007年、回収率50%)により、「現時点においては、被爆二世の健康問題については、親の被爆との因果関係は認められない」と結論付けられた。この報告を踏まえて、国(厚労省)は依然として、放射線の影響を認めずに、がん健診の法制化には至っていない。今後、被爆者とは異なり、中途半端な状況に置かれている二世問題の解決に向けて、超党派の議員懇談会の結成や新たな署名活動の実施などに加えて、組織強化・拡大なども行いながら取り組みを進めていくことについて報告を受けた。
続いて、全国被爆二世団体連絡協議会副会長の崎山昇さんが「フクシマとの連帯とどう取り組むか」と題して、報告を行った。
二世協として、再びヒバクシャをつくらないことを基本に各種の取り組みを行ってきた中で、フクシマで新たなヒバクシャが生まれたことを受けて、フクシマとの連帯を組織として取り組むことを確認した。具体的には、福島への原発事故・被曝実情調査団を派遣して、現状を確認した上で、フクシマと被爆二世の共通課題である①科学的知見の克服(国は放射線起因性がないと援護しないことへの対応)、②次世代の問題、③差別の克服、の解決に向けた取り組みを行っていくこと。対政府交渉に二世協も参加して、福島の問題も含めて、健康手帳の発行と健康と生活の保障を勝ち取る、との報告があった。
参加者とのやりとりでは、「二世協だけの取り組みでは限界がある。被爆者(被団協)と連携しながら、取り組みの一本化をはかることが重要である」「福島原発事故問題や運動の継承が重要」などについて発言がされた。
最後に、被爆二世が運動を推進していくことが、福島との連帯にもなり、核兵器の廃絶への実現につながることを全体で確認。今後、国の責任がどこにあるのかを追及し、来年の被爆70周年を契機に、二世三世の課題解決をめざす取り組みを強力に推進してことを確認した。
(報告=中国ブロック・桝本康仁)
2014年08月12日
長崎大会第8分科会
見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"─証言と映像による被爆の実相と平和運動交流
まず原水禁国民会議が制作したドキュメンタリー「君たちは原爆を見たか」の上映を行いました。
続いて、被爆者の八木さんからの次の様な証言を受けました。
原爆投下から69年、いずれ最後の被爆者が亡くなる時が来ます。だからといって、それで終わりではありません。広島、長崎の原爆で亡くなった22万の人達のためにも語り継ぎ、平和のバトンをリレーしていってほしい。
原爆は落ちてきたのではありません。そこに多くの人々が生活していることが分かっていながら、人の手で投下されたのです。約400メートルの爆風、4000度の熱線は一瞬で多くの命を奪いました。1週間後の8月15日に終戦を決意するなら、なぜあと1週間早く決めてくれなかったのかと思います。
私は無事でしたが、子どもが出来た時、孫が出来た時に大丈夫か心配しました。知識としてではなく、心で分かってほしい。誰とも分からない遺体を校庭の広場で焼いたことを。二度と戦争はしてはならないのです。
次に西岡由香さん(漫画家)から次の様な講演を受けました。
ピースボートに乗船した際、世界中の人が広島、長崎を知っていることに衝撃を受け、住んでいる長崎について自分の出来る漫画で発信していこうと考えました。被爆体験の継承が大きなテーマになっています。私の漫画を見た方から、これなら怖くないので子どもに見せられると言われました。原爆の怖さは伝えなくてはならないが、悲惨すぎても拒否をされるというジレンマの中で描いています。
戦争の最初の犠牲者は「真実」であり、次は「文化」であると思います。戦争に役立たないものは邪魔者扱いです。集団的自衛権とは、武力外交がその正体だと思います。制限付きでも、後方でも関係なく敵になってしまいます。非武装という抑止力もあると思います。9条を守る外交をしてほしい。
私たちはもう一つの被爆者を作ってしまいました。「原発事故はスローモーションの核戦争である」と広島原爆資料館の方が話していました。いま国内では1基の原発も稼働していません。しかし、電気は来ています。命が原発や経済よりも重要という判決も出ました。意識改革が必要です。自然利用の発電も自家発電から普及し始めています。
放射能はなぜ危険なのか。細胞の結合エネルギーが10に対して、セシウムは65万、プルトニウムは510万のエネルギーがあります。それでDNAが切れてしまい、正常に戻らないことがあるのです。ですので、これ以下なら安全という数値は無いと思っています。「何もせず、何も言わず、自分たちにとって良い社会を求めることは不可能である」(ネルソン・マンデラ)。
最後にまとめとして、「戦争は国が行うと言うだけで出来るものではなく、それを支える国民の意識もある。だから、平和教育が大事になっている。被爆者の思いを受け止め、家庭や職場に伝えていこう」と確認しました。
(報告=政労連・佐藤茂)
2014年08月09日
「戦争を、被爆の実相を忘れず、人類が生き残るために立ち上がろう」 被爆69周年原水爆禁止世界大会は、8月9日、長崎市で閉会総会、非核平和行進を行い、来年の被爆70周年に向けて運動の前進を誓いました。
長崎県立総合体育館で開かれた閉会総会には2000人が参加、主催者あいさつで川野浩一・大会事務局長は「6日の広島での平和式典で安倍首相は昨年の原稿をそのまま使った。被爆者を冒涜するもので許せない」と怒りを露わにし、さらに「安倍政権は戦争への道をたどろうとしている。黙っていて平和は与えられるものではない。多くの人々の犠牲の上にあるこの平和を守るためにがんばろう」と、奮闘を呼びかけました。
九州各県で続けられてきた原水禁・非核平和行進のタスキが長崎から沖縄に引き継がれた後、沖縄・辺野古への新基地建設問題の訴えに立った沖縄平和運動センターの岸本喬事務局次長は「96年に普天間基地の代替施設として辺野古が決められてから18年間、クイ一つ打たせてこなかった。しかし、7月1日から実質的な工事が強行され、我々の抗議行動に対し自衛隊の導入も計画されている。国家権力が襲いかかっている」として、全国からの支援を求めました。
また、鹿児島の川内原発再稼働反対の訴えを鹿児島原水禁事務局長の野呂正和さんが行い「7月16日に川内原発の再稼働に向けた審査書が出された。しかし、これは避難計画もずさんなものだ。いま募集されているパブリック・コメントに多くの反対の声を出してほしい。9月議会が大きな山場になる。鹿児島で9月28日に大規模集会を開く。全国からも県議会議員などにハガキなどを出して、反対してほしい」と呼びかけました。
長崎の高校生から始まった「高校生平和大使」と「高校生1万人署名運動」の実行委員約100人も登壇し、17日から国連欧州本部へ出かけ、全国の署名を届けてしっかりアピールをしてくると決意が語られました。
海外ゲストを代表し、アメリカのピースアクションのポール・マーチンさんは「この大会は本当に多くの人達が集まり、被爆者が直接訴える貴重な場だ。高校生や海外ゲストも参加するすばらしい大会になった。私たちもこの力を受け、アメリカの議会などを動かし、核無き世界を作っていきたい」と語りました。
大会のまとめを藤本泰成・大会事務局長が行い、福島原発事故や沖縄基地建設強行など、安倍政権の暴圧に抗し、「来年の被爆と敗戦から70年、原水禁国民会議結成50年の節目の年に向け、運動の原点を見つめ直し、この1年の運動を積み上げよう」と呼びかけました。大会のまとめはこちら
最後に「川内原発の再稼働に反対し、脱原発社会をめざす決議」と「被爆69周年原水爆禁止世界大会・大会宣言」を全員で確認して、閉会しました。
その後、爆心地公園まで非核平和行進が行われ、参加者は、核兵器の廃絶、原発再稼働を許さないとアピールしました。爆心地公園では、献花を行った後、原爆投下の11時2分に黙とうを行い、7月27日の福島大会から始まり、広島大会、長崎大会とつないできた今年の原水禁世界大会の全日程を終えました。
川内原発再稼働に反対する決議はこちら
大会宣言はこちら
2014年08月09日
被爆69周年原水爆禁止世界大会・大会宣言
1945年8月、広島と長崎で炸裂した2発の原子爆弾は、筆舌に尽くしがたい惨劇を生みました。生き残った被爆者も、放射能被害に苦しみ続けています。被爆者は、三度原爆を使わせないとの決意のもと、被爆の実相を伝え、世界の恒久平和を訴えてきました。しかし、その思いを裏切るように、繰り返された核実験、核開発、原子力発電所事故と、核の被害は拡がっていきました。今年は、ビキニ被災から60年、来年は敗戦から70年、原水爆禁止日本国民会議結成50年の節目の年となります。あらためて運動の原点を見つめ直し、国の責任を明確にすることが求められます。
2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原発事故は、新たな被害の歴史を積み上げることとなりました。3年半が過ぎようとしていますが、13万もの人々が故郷を奪われ、多くの住民、労働者が被曝し、放射能との闘いを強いられ、人権が侵害されています。事故原因も責任の所在も明らかにされていません。そのような中での、川内原発の再稼働は決して許せません。国は、国策で原発政策を推進し事故を招いた責任を明確にし、フクシマ事故被害者の健康・命・生活を守る具体的施策を実施し、フクシマの再生に向けて全力をあげるべきです。福島県民の怒りと「脱原発」の思いに連帯して、私たちは、「フクシマを核時代の終わり」にするよう全力を尽くさなくてはなりません。
平和をめぐる日本社会の情勢は、きわめて厳しいものがあります。国会では、数の力を背景に安倍政権の横暴が続いています。原発推進に回帰する「エネルギー基本計画」の閣議決定、生命の脅威をまき散らす「原発輸出」、憲法の平和主義を破壊する「集団的自衛権」の行使容認、沖縄の辺野古への新基地建設の強行など、市民社会の想いを一顧だにせず「戦争ができる国」にむけた暴走は、決して許すことはできません。平和を守り育てる原水禁運動は、真っ向から対立する安倍政権に立ち向かわなければなりません。
世界には、いまだ1万6千発を超す核兵器が存在し、核抑止力への幻想が横行しています。昨年の「核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明」には、日本も含む12カ国が賛成しました。核兵器の使用を禁止しようとする国際的主張は、大きく高まりつつあります。来年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議に向けて、核廃絶の具体的一歩に踏み出すことが求められます。核兵器保有国が、先制不使用と消極的安全保障を宣言し、「核兵器使用禁止」の合意形成へ向けて、国際的対話に踏み出すことを、私たちは強く求めます。
日本が唯一の「戦争被爆国」として核廃絶の先頭に立とうとするなら、日本のプルトニウム利用政策が核拡散の今日的課題であることに留意する必要があります。核燃料サイクル計画により生み出される大量のプルトニウムは、アジア周辺諸国に脅威を与え、私たちがめざす東北アジア非核地帯構想の大きな障害となっています。核兵器廃絶と脱原発の視点から、運動の強化が求められています。
高齢化する被爆者や被爆2世・3世の課題の解決も急務です。被爆体験者や在外被爆者の課題の解消など被爆者の権利保障は、フクシマでの権利確立にもつながります。戦後70年近くもの長きにわたって、不十分な措置に憤り闘い続けてきた被爆者の想いは、真の平和を求めるとりくみであったのです。
戦後70年、目の前に「戦争をする国」という亡霊が立ちはだかります。戦争を、被爆の実相を忘れてはならないのです。私たちは、そこから立ち上がります。人類が生き残るために立ち上がります。「核と戦争のない平和な21世紀を」求めて。
ノーモア! ヒロシマ、 ノーモア! ナガサキ、 ノーモア! フクシマ、 ノーモア! ヒバクシャ、 ノーモア! ウォー
2014年8月9日
被爆69周年原水爆禁止世界大会
2014年08月09日
川内原発の再稼働に反対し、脱原発社会をめざす決議
2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故から3年余り経ったにもかかわらず、事故原因すら解明されないまま、労働者被曝の増大や累積する汚染水の処理など困難な問題が山積し、事故の収束の見通しは立っていません。今なお13万人を超える住民が避難生活を強いられています。放射能の影響や避難生活のストレスなどから、子どもたちをはじめ多くの住民の健康被害も懸念されます。
安倍政権は、民主党政権が国民的意見を踏まえて決めた「2030年代の原発稼働ゼロ」をめざす政策を覆し、原発を重要なベースロード電源と位置づけ、原発推進を鮮明にした「エネルギー基本計画」を今年4月に閣議決定しました。
安倍政権が原発回帰を明確にする中、福井地裁は今年5月、「極めて多数の人の生存権と電気代の高低の当否を判断すること自体許されない」、「豊かな国土に国民が暮らしていることを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」としました。憲法が規定する個人の生命、身体、精神および生活に関する利益(人格権)に言及し、「大きな自然災害や戦争をのぞくと、人格権を広汎に奪う事態が想定されるのは原発事故以外に想定できない」と断じ、関西電力に大飯原発3、4号機の運転差止めを命じる判決を下しました。
しかし、九州電力川内原発は、原子力規制委員会の優先審査方針を受け、7月16日に新規制基準に適合するとする審査書案が発表されました。田中俊一原子力規制委員長は、新しい規制基準の適合審査は「安全性を保証するものではない」と発言していますが、菅官房長官は「原発の安全性は、規制委員会の判断にゆだねている。個々の再稼働は事業者の判断で決めること」として、国の責任を回避しながら、全国の原発のトップを切って再稼働させようとしています。
伊藤祐一郎鹿児島県知事は、病院や福祉施設にいる要援護者の避難計画は川内原発から10キロ圏内で十分で、30キロ圏内までは現実的でないと発言しました。30キロ圏内の施設などでの策定を求めた国の指針や県の計画を無視し、高齢者や障がい者、乳幼児なども含めた多くの要援護者を切り捨てようとしています。いかなる対策をも超えて発生する可能性のある苛酷事故に際して、実効性のある避難計画の策定は不可能です。また川内原発に係る断層評価や大規模火砕流のリスクは軽視されたままです。
原発が人の健康や生命を必ずや害すること、即ち「核と人類は共存できない」ことは明らかです。私たちは、川内原発再稼働の動きに反対して全力でとりくみます。あわせて全原発の廃炉と再処理からの撤退、核廃棄物の安全な処理の促進、再生可能エネルギー政策への転換を要求する諸行動をもって、脱原発社会実現へ向けたとりくみをより一層強めることを決議します。
2014年8月9日
被爆69周年原水爆禁止世界大会
2014年08月09日
被爆69周年原水禁世界大会・長崎大会の第2日の分科会などの内容、9日の閉会総会、非核平和行進などの内容をビデオにまとめました。(9分50秒)
2014年08月08日
被爆69周年原水禁世界大会・長崎大会は8月8日に分科会やひろば、フィールドワークなどで、脱原子力、核軍縮、ヒバクシャの課題を討議・学習しました。
原発問題では、政府のエネルギー基本計画の問題点の指摘や、脱原発社会に向けたエネルギー政策あり方の提起などがありました。また、福島の現地報告や各地の原発再稼働をめぐる現状が報告されました。さらに、韓国やドイツのゲストからも各国の原発政策の動向が話されました(写真上左)。
平和と核軍縮の課題では、核燃料サイクルにより、溜り続けるプルトニウムが核拡散につながる危険性や、東北アジアの非核地帯化の運動と集団的自衛権行使容認、沖縄などの軍事基地問題とむすんだ取り組みの重要性が議論されました。アメリカや韓国からも活動家が参加し、国際的な連帯運動の重要性が強調されました(写真上右)。
さまざまな場でのヒバク問題を考える分科会では、戦時中の朝鮮半島等からの強制連行により被爆した在外被爆者の課題や、被爆二世、三世の問題、福島原発事故の被災者や被曝労働者など、核被害が広がっている現状を学びました。
若い世代へつなぐ運動継承が重要になる中、長崎での被曝の実相を学ぶ入門分科会のほか、「子ども平和のひろば」(写真下右)では、被爆体験の話や原爆資料館見学などで子どもたちに核の恐ろしさを理解してもらう企画や、高校生などの実行委員会で企画した「ピース・ブリッジ」では、東日本大震災の被災地の報告や各地の若者から活動が紹介されました(写真下左)。
このほか、被爆者との交流、被爆遺構や佐世保基地をめぐるフィールドワーク、映画の上映会など多彩な催しが行われました。原水禁世界大会は8月9日に閉会総会、非核平和行進を行い終了します。
TOPに戻る