2015年8月
2015年08月11日
川内原発の再稼働に対する抗議声明
原水爆禁止日本国民会議 議長 川野浩一
九州電力は、本日(8月11日)、川内原発1号機を起動し、再稼働に踏み切りました。新規制基準の導入後、初めての原発再稼働で、14日にも発電と送電を行うとしています。
安倍首相は、「世界で最もきびしいレベルの新規制基準」に適合する原発を「地元了解の上で原発運転を順次再開していく」との方針を示していますが、政府は繰り返し「再稼働は事業者の判断」としてその責任を国ではなく事業者に押し付けています。
また、規制委員会の田中俊一委員長は、「(再稼働の判断について)規制委が判断しなければいけない理由は何もない」(8月5日発言)として、再稼働の可否の判断に責任を負わないとしていしています。
一方、地元自治体もこれまで「国が安全と認めた原発」の再稼働には同意するとしており、自治体自らの判断と責任を回避しています。事故が起こった時の責任を、誰もが巧妙に回避し、無責任体制の中で再稼働が行われます。
地域住民の合意も得ていません。毎日新聞世論調査(8月8日、9日)では、再稼働に「反対」57%、「賛成」30%となっています。圧倒的多数が、不安を持って再稼働に反対をしています。その上、実効性のある避難計画も不十分であり、行政をはじめとした対応も多くが未整備のままです。再稼働させるための環境は整っていないのが現実です。
「世界で最もきびしいレベルの新規制基準」についても、同型の原子炉である高浜原発の運転差止訴訟判決の中で、「合理性を欠く」などと指摘され、適合しても「安全性は確保できない」とされました。基準そのものが不十分であることが司法によって明らかにされています。規制委員会が何度も指摘しているとおり、新規性基準に適合しても安全とは言えず、過酷事故の起こることを前提にして、その対応を含めての規制基準であることは明確です。福島原発事故の検証も不十分な中で設けられた新規制基準には限界があり、安全が担保された訳ではありません。
現在、日本国内の原発は一基も稼働していません。しかし、電力不足の声は聞かず、昨年後半からは原油価格の下落から石油や液化天然ガスなどの火力の燃料費が下がり、原発を持つ電力9社の今年の4月から6月期決算は、震災後初めて経常損益が全て黒字となっています。どこにも危険である原発を再稼働しなくてはならない理由はありません。
この間、原発労働者の緊急時被曝線量の大幅引き上げ(年間250mSv、生涯1000mSv)が行われ、今後、自治体職員やバスの運転員など事故に対応する労働者の被曝線量の引き上げも検討されています。原発の事故を前提とした被曝線量の引き上げは、市民や労働者の健康的生存権の侵害にあたります。事故を前提に進められる原発の再稼働は、まさに住民や労働者の「命」よりも企業の「利益」が優先されるもので許すことはできません。
原水爆禁止日本国民会議は、このような無責任体制の中で世論も人権も無視し、強引に進められる川内原発の再稼働に断固抗議し、「命」の軽視を許さず、現地の住民・市民とともに廃炉に向けてより一層の運動強化をはかっていきます。
2015年08月09日
被爆から、そして敗戦から70年、原水禁結成50年の今年、日本の平和と民主主義が大きな曲がり角を迎えています。憲法、沖縄、原発など、安倍政権の暴走が加速しており、国会で審議中の安全保障関連法案いわゆる「戦争法案」は、憲法を空洞化し、蹂躙し、日本を再び戦争する国にしようとするものです。これに反対の声をあげる多くの市民は、連日国会前や全国各地で立ち上がり、その勢いは日ごとに高まっています。
大会直後の8月11日には、川内原発(鹿児島県)の再稼働が強行されようとしています。政府や原子力規制委員会は原発の安全を保証せず、実効性のある避難計画も策定できない中で、住民の「命」より企業の「利益」を優先するものであり、決して許すことはできません。原発の再稼働は、重大事故の発生、住民や労働者の大量の被曝などを前提としており、福島原発事故から何も学んでいません。
福島原発事故の収束は、未だに先行きが見えません。苦しい避難生活を強いられている11万人を超える福島の被災者に対して、住宅無償提供や精神的賠償などの一時的支援も打ち切られようとしています。支援の打ち切りと放射性物質による汚染地域への強制的帰還は、被災者への「棄民政策」であり許されません。原発事故の国の責任を問い、全ての被害者の人権を守らなくてはなりません。
沖縄の辺野古への新基地建設に対し、「オール沖縄」で反対運動が続けられています。戦後、沖縄には多くの基地が押しつけられ、その負担を担わされてきました。安倍政権は、県民の声を押しつぶし、辺野古への新基地建設を強行しようとしています。私たちは、このような動きを決して許さず、断固として立ち向かいます。
安倍首相は、被爆地広島・長崎に立ち、被爆の実相の何を理解したのでしょうか。彼の言う積極的平和主義とは、米国の戦争に協力することであり、いくら言葉を弄しても、武力でつくりあげる「平和」は、まやかしでしかありません。時の権力による恣意的解釈を許す法案は、戦争への道に必ずやつながっていくでしょう。被爆者は、そのような法案にだまされるものではありません。戦争の惨状に、被爆者の苦しみ・悲しみに向き合わず、歴史に事実に学ぶことのない安倍首相に、日本の政治を任せるわけにはいきません。
被爆者は、多くの苦しみを背負って戦後を生き抜いてきました。被爆者の平均年齢は80歳を超えました。原爆症認定、在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世など被爆者援護の課題も多く残されています。被爆者と二世三世の援護施策の充実と国の責任を明らかにすることは急務です。
被爆者が切望する核兵器廃絶へ向けての道は半ばです。今年のNPT再検討会議の場で、核保有国は自らの権利に拘泥し、核軍縮・核廃絶の合意文書も採択できませんでした。しかし、被爆者があげつづけてきた声は、核兵器の禁止と廃絶のために行動することを約束するオーストリアの誓約文(人道の誓約)に107か国が賛同するという実を結びました。しかし、日本政府が、米国の核抑止に期待し、この誓約文書に賛同していないことは、被爆者の願いを踏みにじる行為であり許せません。私たちは、この広島・長崎そして福島の地から、世界に向けて平和と反核・非核・脱原発を発信し続けなくてはなりません。
「あらゆる国の核実験に反対」して、再出発した原水禁運動は、全てのヒバクシャの思いに寄り添うことを基本に運動を展開してきました。被爆者の高齢化の中で、その体験と運動の継承は大きな課題になりつつあります。世代を結んでの「核と人類は共存できない」の主張が、日本の未来を明るく豊かなものにすると、私たちは確信しています。
被爆から、敗戦から70年を迎えるにあたり、侵略戦争と植民地支配の加害の歴史をあらめて直視し、その上に立って平和憲法の理念を守りつづける決意を固めます。被爆地から核廃絶と恒久平和を訴え、世界の仲間とともに、「核と戦争のない平和な21世紀」をつくるために、私たちは行動します。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー
2015年8月9日
被爆70周年原水爆禁止世界大会
2015年08月09日
8月1日の原水禁世界大会福島大会から広島大会、そして長崎大会も終わりに近づきました。今大会を通じて参加された全ての方に、そして支えていただいた皆さまに、また、世界各国から参加をいただきました海外ゲストの皆さまに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。若干の時間をいただいて、本大会のまとめを行いたいと思います。時間の関係から議論の全てに触れることができないことをお許し下さい。
戦後70年、原水禁50年の大会を閉じようとしています。広島の原爆の日の6日、100年目を迎える全国高校野球選手権大会が開幕しました。開幕第一試合は北海高校と鹿児島実業高校でした。6日の朝日新聞に、「北海の豪腕、消えた夢」と言う記事が載りました。1940年の第26回大会の開幕戦は北海高校の前身・北海中学と松江商業、マウンドに立った北海中学の投手坪田幸一さん。彼は、その後プロをめざしますが、戦況が悪化する中、学徒出陣で特攻隊員となり24歳で亡くなったそうです。戦争は、一人ひとりの夢と希望を打ち砕きます。この長崎で、広島で、どれだけの夢と希望が消えていったのでしょうか。
広島で開催した国際会議では、現在の核兵器をめぐる各国の状況と有効なとりくみの可能性に議論を重ねました。米国や英国の核保有国の政治情勢の厳しさ、米英とロシアの関係悪化が、核兵器削減を拒んでいる状況も見えてきます。政治的対立からは軍縮の道のりは見えてきません。また、米韓原子力協定において、韓国がパイロプロセッシング(乾式再処理)の初期段階が認めらたとの報告もありました。48トンのプルトニウム保有国日本、核保有国北朝鮮、そして韓国がプルトニウムを持てば、アジアの平和は一層遠のくに違いありません。原水禁は、再処理によるプルトニウム利用計画に反対してきました。日本の再処理によるプルトニウムでも核爆弾の製造は可能との報告されています。日本が、プルトニウム利用を放棄することは、東アジアの非核地帯構想や東アジアの平和のためにも重要であると確認しました。
2011年の福島第一原発事故以降、日本の市民社会は核の平和利用を否定する方向に舵を切りました。全国で既存原発が再稼働へ向かっていること、川内原発、伊方原発、柏崎・刈羽原発現地から報告されています。原子力資料情報室の西尾さんは、「全原発が止まっても何も困らない。原発から電気が送られていないことが忘れられている」と指摘しています。
安倍政権は、原発推進にまっしぐら、原子力村の利益擁護に走っています。この間原発訴訟の多くに関わってきた海渡雄一弁護士は、関西電力高島3・4号機の福井地裁の運転差し止めを命じる仮処分決定では、「深刻な事態が万が一にも起こらないこと」を基本にしているが、川内原発の運転差し止めの仮処分申請を却下した鹿児島地裁は「事故の可能性が社会通念上容認できるなら、再稼働は可能」と考えているとの指摘があり、川内原発の争点であった火山噴火の可能性に関して、火山学者を一人も招聘せず、破局的な噴火の可能性は少ないとした判断は、多くの火山学者の批判を浴びているとし、多くの根拠を上げて科学的にはまったくデタラメな判断、裁判所として「深刻な事態を起こしてはならないとする姿勢に欠ける」と批判しました。脱原発を求める声が圧倒的な中にあって、裁判所に市民の願いを聞き届ける姿勢がないのは残念です。海渡さんは、原子力村の理論に打ちかつ知識の体得と福島の被害を肌感覚で知り繰り返さないとの誓い、勝てるとの確信の共有が、脱原発に必要だと結んでいます。
川内原発増設反対鹿児島県共闘会議の荒川譲さんから、再稼働を前にした川内原発について、伊藤鹿児島県知事が「しかし、規制委員会というあれだけ素晴らしい方々が集まった組織が安全性を追求したんです。よくぞここまでやったな、と思います。もし福島みたいなことが起こっても、もう命の問題なんか発生しないのですよね。私はそちらの方を信じます」との発言が報告されました。住民の命と生活を守る自治体の長の発言とは思えない主体性のない判断です。伊藤知事は規制委員会が「安全性の追求をした」と言いましたが、規制委員会は安全であるとは一度も発言していません。新規性基準は、事故が起こることを基本にして、周辺住民や原発労働者の被曝もまたその想定の中にあるのです。つまり原発は危険という認識を基本においたものです。
荒川さんの報告は、全く進んでいない避難計画にも言及しています。また、周辺自治体住民の署名活動や陳情などの取り組みが報告され、住民の持つ大きな不安が感じられました。また、民主的な手続きによる抗議に警察権力を導入する九州電力の姿勢も報告を受けました。ここからは、脱原発の世論の広がりに対しての、行政や電力会社の焦りが見えてきます。
このように、住民の命を軽視する判断や政策は、広島・長崎の被爆者の課題、その2世3世の課題につながります。戦後70年を経過して、核兵器の非人道性が被爆者の努力によって国際的に定着してもなお、滞る被爆者の認定、在外被爆者や長崎の被爆体験者という差別、そして、福島からの訴えにあった、事故そのものをなかったものにしようとする策動などの問題が山積しています。この国の政治が、人間主義、人間の理性や感情から最も遠くにあると言うことではないでしょうか。被爆者の思いに寄り添って運動してきた原水禁は、決して命の軽視を許しません。
ドイツ緑の党のベーベル・ヘーンさんから、ドイツの現状の報告と再生可能エネルギーの可能性について語られました。ドイツ全電力に再生可能エネルギーの占める割合は30%を超えた、欧州全体で100万人の雇用を創出し、関連企業は1300億ユーロの利益を上げている。日本より日照時間の短いドイツでの太陽光発電の電力料金は1kw/hあたり12.2円、日本の電力料金は22円くらいではないかとの指摘もありました。
原発においては、廃炉費用や廃棄物処分、そして高レベル廃棄物の最終処分などを考え、かつ事故のリスクを考えると、いかにコストの高いものかが見えてきます。
再生可能エネルギーの可能性を信じ、そのことに私たちの未来をかけようではありませんか。人類が生き延びていくことに、それ以外の道はないように思います。科学で自然をねじ伏せるのではなく、自然とともに生きていく、そのことが大切です。べーベルさんの挨拶にありました。広島・長崎・福島は地球の存亡に関わるシグナルだと。
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p;日本は、戦後70年、
平和と民主主義の岐路に立たされています。沖縄で辺野古新基地建設に反対し座り込んでいる仲間たち、「戦争法案」に反対して国会包囲に立ちあがっている仲間たち、川内原発のゲート前に座り込んでいる仲間たち、私たちはつながって声を上げ、憲法の理念を守らなくてはなりません。一人ひとりの命の上には、何も存在しないことを明らかにしなくてはなりません。日本の侵略戦争の最後に、いったい何があったのか。そのことを語り継いでいかなくてはなりません。それは、日本のアジア諸国に対する責任なのです。
韓国のゲスト、イキョンジュさんは言いました。「日本国憲法はアジアとの約束です」戦後70年にあたって、その約束を守るべくがんばりあいましょう。
2015年08月09日
九州電力は、7月末に鹿児島県の川内原発に核燃料を装荷し、8月11日にも制御棒を抜いて臨界に向かうことを明らかにしました。多くの国民の反対の声を押し切って、川内原発の再稼働を強行しようとしています。再稼働を目前にして、あらためて原水爆禁止世界大会の総意として、反対と抗議の意思を明らかにします。
私たちは、これまで大規模な反対集会や議会対策などあらゆる手段で稼働阻止を訴えてきました。昨年6月には再稼働としていたものを、私たちの運動でここまで押し返したとも言えます。
しかし、県民・国民の6割が再稼働に反対しているにもかかわらず、議会や知事、さらには政府も民意を無視しています。昨年9月の鹿児島県議会において,「万が一事故が起きた場合,関係法令に基づき責任をもって対処する」と政府が鹿児島県知事に回答したことが明らかにされました。福島原発事故に対し、いまだ国や東電は、まともな謝罪も責任も果たしていない中で、川内原発では責任を果たせるとでも言うのでしょうか。原発の問題を自らの問題と考える私たちは、嘘にまみれた「判断」を断じて受け入れるわけにはいきません。
九州電力による住民説明も行われていません。九州電力は、説明責任を果たさないばかりか、5月27日に市民が公開質問の回答交渉を持ちましたが、最後には警察権力を入れて交渉団を排除しました。それだけではありません。昨年9月の鹿児島県議会原子力特別委員会で、九州電力は「カルデラの巨大爆発の兆候をGPSなどで察知した場合には、専門家と相談、キャスクを準備して、青森に搬出する」とまで回答し、実際にできもしない嘘で固められた発表を繰り返しています。多くの問題を先送りしたまま、そして福島事故の収束も、原因究明もされないままでの再稼働はありえません。
九州の脱原発を求める市民は、裁判闘争でも闘っています。福井地裁の決定とは相容れない鹿児島地裁の仮処分棄却の決定を、私たちは決して受け入れることはできません。何としても川内原発の再稼働をストップさせようと高裁に特別抗告をしています。裁判勝利に向け、全国からの支援を強く求めます。
今日この時間、日本の原発は1基も動いていません。私たちは、断固としてあきらめず反対運動を全国で展開していきましょう。川内原発ゲート前においては、あらゆる手段で抵抗し、再稼働を阻止するための行動が続いています。8月11日には全国から川内原発ゲート前に結集しましょう。そして、脱原発を願う人々の想いと運動をつないで、全国の原発の再稼働を阻止しましょう。
2015年8月9日
被爆70周年原水爆禁止世界大会
2015年08月08日
報告 菅原 参加者220人、内初参加半分
「君たちはゲンバクを見たか」のビデオ上映の後、山川剛さん(長崎県原爆被爆教職員の会)から被爆証言、続いて西岡由香さん(漫画家)から講演を頂きました。
山川さんは、「日本人ならゼイタクは敵だ」の看板の写真などを紹介しながら、①原爆投下にいたる当時の状況が話されました。
奢侈品等製造販売制限法で、贅沢品が制限されパーマなどのおしゃれは国が禁止した。
思ったことを口に出したら殺されるような息苦しい世の中だった。
戦争への疑問を口にしようものなら、『貴様はそれでも日本人か。この非国民め』と殺されかねなかった。
戦争の最初の犠牲者は、「真実」だった。イラク戦争も、大統領のうそから始まった。
また、学校の様子も変わった。学校のグランドで竹やり訓練を行う国防婦人会の映像を写真を示しながら、学校が「人殺しを教える場所」に変わってしまったことが紹介されました。
子どもたちに対しても、「アメリカ人やイギリス人は、見かけは人間だが、一皮向けばけだものだ」と鬼畜米英が教えられ、子どもたちはそれを信じた。それが自決という悲劇にもつながった。
山川さんが小学区一年生のときに書いた、「ノボルアサヒ」「ツヨイカラダ」「クニヲマモレ」などの映像も紹介され、「貴様らのいのちは、鳥の羽よりも軽いから、天皇のために捨てろ」と いう教育だった。
戦争というのはどんなことがあってもやってはならない。いのちが大事だ。
ナガサキの子どもたちも、原爆が投下された8月9日は、行事を通して知っているが、1945年だということは2割程度しか知らない。原爆投下を歴史として知らないということ。
私は小学校三年生、8歳のときに被爆した。B29の爆音を聞いて、子どもなのに「今で死ぬのか」と思ったことを今でも覚えている。光がすさまじく、周りが見えなくなった。左から熱波で飛ばされた。そのあとに、爆風が来た。
山川さんは最後に、被爆者の願いは、二度と被爆者を作らないこと。アメリカは、リメンバーパールハーバーだから今なお憎しみの連鎖を起こしている。私たちが主張してきたのは 、ノーモア被爆者であり、その中には「負の連鎖を断ち切る」という願いがこめられている。
一発の核兵器も残してはならない。それは可能だとし、戦争を行っていたから、広島・長崎に原爆が投下された。戦争をなくせばいい。国を守るのは、軍事力ではない。日本の憲法は、「口で守れ」といっている。
何ができるのか。暴力以外は、すべて平和につながる。外国の方と友達になろうと訴えられました。 西岡さんは、平和活動にかかわるようになったのは、「戦争」に対する「勇ましいもの」「かっこいい」などのイメージを、「人を傷つけたり殺したりする恐ろしいもの」というイメージに変えて行きたいと思ったから。
漫画家なので漫画を通して伝える活動をしている。といっても、被爆者の皆さんにお話を聞きながらの共同作業。被爆者の皆さんから「あなたに託したい」といわれるが、想像の範疇を超えていることにも気づかされる。それでも「一万分の一でもいいから伝えてくれ。そうでないとゼロになってしまう」といわれ、何とか伝えたいという思いで活動している。
平和とは何か?モザンピークの地雷の写真を紹介しながら、「地雷は一個でも百個でも怖いのは同じ。戦闘が終わっても戦争は終わっていない。」「平和とは、安心できる場所で安心できる生活をすることだ」と、ひとたび戦争が起きればその傷跡はいつまでも続くものだということを話されました。
若い方に、「長崎は原爆によって、21万市民の内、7万4千人が亡くなり、7万5千人が負傷した。」と話すと、6万人は無事だったんですねと返ってくるがそうではない。幸いにも生き残った兄弟や両親が、一人ずつ亡くなり最後に一人だけ生き残った池田早苗さんの被爆体験の紙芝居を通して、生き残っても多くのものを失ってしまうのが戦争だと強調されました。
続いて、南京を攻め落としたことを祝う提灯行列の写真を紹介しながら、日本が南京で何をしたのかは国民に知らされなかった。戦争の最大の犠牲者は、山川さんと同じく「真実が隠されたこと」だと思うとし、2番目の犠牲者は、「文化」だと話されました。
防空壕に入る様子を漫画を紹介しながら、最初に入るのは校長先生。次に6年生。続けて5・4・3年生。防空壕が一杯になると、1・2年生に「家に帰りなさい」と命令する先生。戦争の役に立たない低学年は防空壕に入れる価値がないとされた当時の状況をお話されながら、いのちの重さに差をつける戦争を許してはならないと強調されました。
西岡さんは最後に、国民を権力から守るのが日本国憲法。憲法は、国家権力を縛るものであり、国民を縛るものではないこと。憲法は国民の権利を守るためにあり、9条だけが大切なのではなく、憲法全体が日本を守る。
今日の聞き手は、明日の語り手。皆さんも今日聞いたお話を、誰かに伝えてくださいと、真実を伝えることの大切さや運動を広げることが私たち一人ひとりだと訴えられました。
2015年08月08日
報告者:運営委員 金子哲夫
第7分科会「ヒバクシャ3-被爆二世・三世問題を考える」は、崎山昇全国被爆二世協議会副会長の司会で始まり、開会あいさつで丸尾育郎長崎原爆二世の会会長は「安倍政権は、アメリカと一緒の姿勢で核抑止力に頼っている。子や孫が核兵器を背負わないようにしなければならない」と訴えた。その後、古川雅敏運営委員(静岡)から運営上の説明を行い、報告が始まった。
最初に丸尾さんから「被爆二世問題とは何か」の問題提起がなされた。その中で被爆二世団体の歴史と「被爆の継承と核兵器の廃絶、戦争反対の闘い」を取組んできたこと、そして原発被害の問題を見続けることの決意を述べるとともに「被爆二世の法的定義がないこと。国が認めていない」中での4つの問題「健康問題、遺伝的影響、社会生活上の問題、人権の問題」があることを報告した。続いて原水禁大会に初めて参加したオランダの被爆二世ロブ・シュカウテンさんから被爆者である父の被爆体験とその後の精神的苦痛、そしてその体験を知った家族のことがくわしく話された。その中で特にお父さんが2008年に被爆者健康手帳を取得したこと。その思いは「お金ではなく、犠牲者として認められることが重要だ」という話が印象に残った。ロブさんは、「父が被爆した地をどうしても訪れたかったこと」そして「長崎で初めて二世の同じ仲間のことを知った」ことを報告した。続いて司会の崎山さんから、被爆二世問題を国際的な人権問題にするため「国連人権理事会」に行ったことが報告され、続いて平野克博全国被爆二世団体連絡協議会事務局長から「被爆二世問題解決のためにどう取り組むのか」として「①署名活動②国会議員への働きかけ③裁判闘争に向けた取り組み④放影研に対する取り組み⑤組織の強化と拡大」等の課題が提起され、今後の活動強化の決意が報告された。
その後会場からの発言を求めたところ、被爆二世3人を含む6人から質問や意見が出された。特に被爆二世からは、自らの健康不安問題や県二世協の取り組み状況、ロブさんへの「はじめてお父さんから話を聞いた時の感想」という質問、今後の課題などが報告された。最後に運営委員の金子哲夫(広島)がまとめとして、「はじめてオランダの被爆二世が参加し、大変良かったこと、そして今後被爆二世問題解決のためには、特に地域被爆者組織との連携が必要なこと」を報告し、分科会を終わった。なお、本分科会への参加者は、55人(うち8割がこの分科会への初参加)であった。
2015年08月08日
於ブリックホール3F
参加者:52人 20代 12-3人、30代 14-5人、40-59代 16-7人、60以上 9-10人
初めて 14-5人、2回目 9-10人、3回目 8-9人、4回目 8-9人、5回以上 12-3人
・司会者が「大会運営の基本ルール」を説明し、運営委員が参加者の傾向を把握して始めた。
◇高實康稔さんの報告「強制連行と被爆を考える」
はじめに 広島でも長崎でも被爆者の1割は朝鮮人であった。「唯一の被爆国」といい、原爆の悲惨さと核兵器廃絶のみを訴えて、戦争責任を追及しない態度は許されない。
1 段階的に強化された朝鮮人強制連行 日中戦争の激化に伴い労働力不足に陥った産業界からの要請で、1939年「労務動員実施計画」に組み込む形で、1925年以降の渡航制限政策を廃止して、「朝鮮人労務者内地移住に関する件」によって開始。当初は、甘言で騙し生活苦にあえぐ農村から「募集」できたが、過酷な労働現場と生活環境が知られるにつれ応募者は減少。募集人員を確保するために官憲が乗り出すことも。42年、「官斡旋」で直接指名になる。役人と警察官がトラックで乗り付け、有無を言わさず連行。44年、徴兵制と同様に、出頭場所と日時を指定して「徴用」。「募集」「官斡旋」も実態からみれば、強制連行というべき。
2 広島・長崎に激増した強制連行 軍隊への徴発も大きい(36万4千余人、2万人超の戦死者‐靖国神社に合祀)が、労働者は日本政府公認で72万5千人であり、推定126万人とも言われている。広島・長崎では、敗戦前7年間に激増。広島は84886人で3.4倍、長崎は61773人で7倍。いずれも三菱重工業をはじめとした軍需産業への就労であった。
3 中国人の強制連行と被爆 労働力不足を補うために、42年「華人労務者内地移入」を開始。最初は捕虜だったが、大半は日本軍に拉致された農民だった。敗戦後、東京裁判に備えて外務省が各事業所にまとめさせた報告書では、わずか一年余りで約4万人が強制連行されていた。6830名もの死者がでているが、連行中の死も、広島では無休・無給への反発からの取り調べ中の爆死者もいる。
4 在外被爆者援護の進展と課題 朝鮮人被爆者は広島5万人、長崎2万人、うち3万人と1万人が45年末までに亡くなり、2万3千人が帰国した。被爆者援護法ができても、在外被爆者は対象外とされた(402号通達)ため、闘いが起きた。裁判も重ねつつ、郭さんが2002年「被爆者はどこにいても被爆者」を引出し、2010年原爆症認定の「来日要件」は撤廃させたものの、課題は残る。
◇郭貴勲さんの証言 20歳で徴兵され広島に来た。爆心から2キロで工兵隊106人が同様のやけどをおった。1週間意識がなく、25日に部隊解散して帰国したが、年末まで腕をつっていた。大学に復帰、朝鮮語を勉強し直して教員になった。朝日会談を見守っていたが、被爆者の保障にはまったく触れず、不信感をもった。朝鮮から広島にわたった人の7割が狭川出身、田畑が少なく貧乏で、教育も受けておらず、戸籍も定かではなく、帰国後も社会保障の対象とならず苦しんでいたので、被害者団体を作った。98年5月に大阪で治療を受けた際被爆者手帳を交付され、健康管理手当も支給されたが、帰国したら切られたので、98年10月提訴した。裁判では、「訪日する前は被爆者ではなく、日本では被爆者、帰国すると被爆者じゃない。おかしい」と訴えて認められた。
◇チョン・テホンさんの証言 長崎に住んでいた中学一年の時、被爆。爆風で飛ばされたが、外にいた父と母はやけどがひどかった。2日間防空壕で過ごし、兄が持ってきたリヤカーに母を載せて避難。その時見た惨状は忘れられず、語り継がねばと思ってやってきた。
・質疑では、高實さんが説明されていたのだが、朝鮮人と中国人の処遇の差はどこからくるのか、赤紙と徴用は違うのか、等と出された。募集人に朝鮮人がいた実態も言うべきという人もいた。
2015年08月08日
参加者数は105名+運営委員+座長・司会=110名で、その内、約3分の1が初めての参加者であった。
討議の主な内容 ピースデポ・田巻さんよりNPTの仕組みについて概括的な説明と、「抑止力」とはどういう意味か、核廃絶をすすめる運動の在り方、について問題提起を受けた。海外ゲストの報告も含めて、非核3原則の法制化の必要性と北東アジアの非核地帯化を求める方向性を確認した。
その一方で、安倍政権の今日的動向が、大きな障壁となり、さらに北東アジアの緊張を高めていることへの強い危惧が指摘された。この点は、会場からの質疑・討論でも際立ち、安倍政権の歴史認識はもとよりと、私たち自身も侵略と植民地支配の歴史を今こそ、問い返すべきとの発言もあった。
各地の報告では、「安保法制」に繋がる米海軍と海上自衛隊の一体的強化(神奈川・横須賀)、辺野古への巨大基地建設計画の実態(沖縄)、オスプレイの飛来と基地強化の現状(長崎・佐世保)の3件があり、住民の安全、住民・自治体の意思を無視する国策・国益優先が浮き彫りにされた。
この国の歩もうとしている「積極的平和主義」なる路線は、武力による威嚇=抑止力論で最終的には核抑止力に至る、国際的にはすでに破綻したものであることを、まとめとして確認した。
2015年08月08日
運営委員:石川俊二(自治労高知県本部)
第3分科会は、出席者55人で開催され、そのうち約7割の方は初参加ということであった。
分科会では、司会の開会挨拶の後、米国最大の平和・軍縮団体である「ピースアクション」の組織化・政策ディレクターのポール・マーティン氏から「NPT再検討会議のさらなる失敗と核廃絶への課題」と題しての報告と提起があった。大きくは2点で、1点目は「今年のNPT再検討会議の結果について」、もう1点は「核兵器廃絶に向けた長い道のりにおいて私たちが直面する課題について」。まず第1点目については、「今年のNPT再検討会議では最終文書の採択はできなかった」が、その直接の原因は「1995年と2010年に約束された、中東非大量破壊兵器地帯に関する会議の手配をめぐり、エジプトとイスラエルが合意できなかったこと」を挙げるとともに、「核保有国と非保有国との間には元々の緊張があり、さらにロシアと米国との外交関係がここ数年で最悪の状態であること」も問題を複雑にしているが、ピースアクションとしては様々な英知と行動を組織して、情報発信と議員や政策立案者への訴えかけを強化していく決意が述べられた。
また、第2点目の課題では、現在世界中で9ヵ国が15,700発の核弾頭を保有している中で、オバマ政権はロシアとの交渉によって合意すれば戦略核弾頭の背部数を約1,000発にまで削減する考えを示しているが、近年の米ロ関係の悪化からうまく進むような状況ではない。とはいえ、米国の核政策に関しては確実に正しい方向にシフトしており、戦略核弾頭を1,000発以下に削減される可能性も高い。ただ、今日の世界中の若い指導者は、核戦争に関する教育やその影響に対する直感、核戦争を恐れる気持ちが欠けており、この問題の教育を続けることが必要、と述べました。
続いて、ピースボート共同代表の川崎 哲氏より、NPT(核不拡散条約)発効の経過と背景、この間のNPT再検討会議の議論の状況等について説明があり、核兵器廃絶が遅々として進まない中で「赤十字国際委員会(ICRC)」の動きが口火となって、「核兵器の使用=非人道的」ということが言われ始めたこと、今年のNPT再検討会議でも「非人道性」をめぐる攻防が議論の中心となったことにも触れ、今後はNPTの内と外での議論で「是非?」ではなく「どのように?」具体的削減を目指すかということに論点が移っていくのではないか、と締めくくった。
続いて、WEBサイト「核情報」主宰の田窪雅文氏から、日本が核兵器以外の兵器で攻撃されても、アメリカが核でその国に反撃するオプションを残しておいてほしいというのが日本政府の方針で、日本のプルトニウム保有量は増えていること、また、プルトニウムに関しては誤ったデタラメの知識が流通しており、日本の専門家の説明は信じない方が良いことなどが話された後、「高濃縮ウランとプルトニウムの最小化のために何ができるかを各国に検討するように奨励し、『プルトニウムの回収と利用のバランスを十分考慮します』と言った安倍を助けるために、六ヶ所再処理工場(日本にとって最大のNPT課題の一つ)を中止させてあげましょう」と締めくくった。
この後、フロアとの質疑応答も行われ、予定時刻をオーバーする盛会のうちに第3分科会を終了した。
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