原水禁大会声明申し入れ被爆70周年原水禁世界大会

被爆70周年原水爆禁止世界大会/大会宣言

2015年08月09日

   被爆から、そして敗戦から70年、原水禁結成50年の今年、日本の平和と民主主義が大きな曲がり角を迎えています。憲法、沖縄、原発など、安倍政権の暴走が加速しており、国会で審議中の安全保障関連法案いわゆる「戦争法案」は、憲法を空洞化し、蹂躙し、日本を再び戦争する国にしようとするものです。これに反対の声をあげる多くの市民は、連日国会前や全国各地で立ち上がり、その勢いは日ごとに高まっています。
   大会直後の8月11日には、川内原発(鹿児島県)の再稼働が強行されようとしています。政府や原子力規制委員会は原発の安全を保証せず、実効性のある避難計画も策定できない中で、住民の「命」より企業の「利益」を優先するものであり、決して許すことはできません。原発の再稼働は、重大事故の発生、住民や労働者の大量の被曝などを前提としており、福島原発事故から何も学んでいません。
   福島原発事故の収束は、未だに先行きが見えません。苦しい避難生活を強いられている11万人を超える福島の被災者に対して、住宅無償提供や精神的賠償などの一時的支援も打ち切られようとしています。支援の打ち切りと放射性物質による汚染地域への強制的帰還は、被災者への「棄民政策」であり許されません。原発事故の国の責任を問い、全ての被害者の人権を守らなくてはなりません。
   沖縄の辺野古への新基地建設に対し、「オール沖縄」で反対運動が続けられています。戦後、沖縄には多くの基地が押しつけられ、その負担を担わされてきました。安倍政権は、県民の声を押しつぶし、辺野古への新基地建設を強行しようとしています。私たちは、このような動きを決して許さず、断固として立ち向かいます。
   安倍首相は、被爆地広島・長崎に立ち、被爆の実相の何を理解したのでしょうか。彼の言う積極的平和主義とは、米国の戦争に協力することであり、いくら言葉を弄しても、武力でつくりあげる「平和」は、まやかしでしかありません。時の権力による恣意的解釈を許す法案は、戦争への道に必ずやつながっていくでしょう。被爆者は、そのような法案にだまされるものではありません。戦争の惨状に、被爆者の苦しみ・悲しみに向き合わず、歴史に事実に学ぶことのない安倍首相に、日本の政治を任せるわけにはいきません。
   被爆者は、多くの苦しみを背負って戦後を生き抜いてきました。被爆者の平均年齢は80歳を超えました。原爆症認定、在外被爆者、被爆体験者、被爆二世・三世など被爆者援護の課題も多く残されています。被爆者と二世三世の援護施策の充実と国の責任を明らかにすることは急務です。
   被爆者が切望する核兵器廃絶へ向けての道は半ばです。今年のNPT再検討会議の場で、核保有国は自らの権利に拘泥し、核軍縮・核廃絶の合意文書も採択できませんでした。しかし、被爆者があげつづけてきた声は、核兵器の禁止と廃絶のために行動することを約束するオーストリアの誓約文(人道の誓約)に107か国が賛同するという実を結びました。しかし、日本政府が、米国の核抑止に期待し、この誓約文書に賛同していないことは、被爆者の願いを踏みにじる行為であり許せません。私たちは、この広島・長崎そして福島の地から、世界に向けて平和と反核・非核・脱原発を発信し続けなくてはなりません。
   「あらゆる国の核実験に反対」して、再出発した原水禁運動は、全てのヒバクシャの思いに寄り添うことを基本に運動を展開してきました。被爆者の高齢化の中で、その体験と運動の継承は大きな課題になりつつあります。世代を結んでの「核と人類は共存できない」の主張が、日本の未来を明るく豊かなものにすると、私たちは確信しています。
   被爆から、敗戦から70年を迎えるにあたり、侵略戦争と植民地支配の加害の歴史をあらめて直視し、その上に立って平和憲法の理念を守りつづける決意を固めます。被爆地から核廃絶と恒久平和を訴え、世界の仲間とともに、「核と戦争のない平和な21世紀」をつくるために、私たちは行動します。
ノーモア ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー
            2015年8月9日
                                                                             被爆70周年原水爆禁止世界大会

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