2015年08月05日
中尾座長の開会あいさつ、小山運営委員からの分科会運営についての説明を受け、分科会に入った。
最初に伴英幸氏(原子力資料情報室共同代表)から「福島原発事故と脱原発社会の選択」をテーマに講演を受けた。
福島第一原発の現状は「汚染水の処理、最難関の溶融燃料取り出し、行き場のない事故廃棄物の処理など課題は山積している」とし、「国は40年で廃炉にすると言っているが無理。溢れる汚染されたゴミの処理についても全く決まっていない。」と報告。また、労働者被ばく緩和の動きに対しても指摘した。さらに福島県民の状況についても「除染で少しは空間線量が下がっているが、山は全く除染されていない。避難者の意識調査では、50歳未満の人のうち50%の人は、戻らないと回答している。18歳未満の子どもの甲状腺がん検査が行われ、がん又はその疑いがあると診断された人が126名となり、明らかに多い実態となっている。」等の報告がされた。その上で、政府が20%~30%の原発を発電比率にすると方針としていることに対し、「再稼働に向け躍起になっている」と指摘した。結びに、「原発をなくすべきとする80%以上の世論の声を無視して再稼働に向かう政府に世論を背景にどう脱原発を実現するかが問われている」と訴えた。
続いて、藤井石根氏(明治大学名誉教授)から「脱原発に備え緊要なエネルギー政策の見直し」をテーマに講演を受けた。
原発依存社会は、継続できない。持続可能社会とは、健康で幸福な生活が営まれる社会であり、放射能を浴びて生きていけない社会は持続可能社会とはいわない」と指摘。安倍政権が進める政策は持続可能社会ではない。発電比率を20%~30%の原子力によるとしている。反面、太陽光だけでも既に設置認定された設備を稼働させただけでも20%を超えてしまうため、経産省は、再生可能エネルギーはこれ以上いらないというメッセージを与えている。また、福島で帰還を促している政策に対しても、空間線量は下がったというが、半減期の短い物質が減っただけでその他の物質は拡散しただけのことと指摘した。また、憲法で保障されている「生存権などを蔑ろにし、国の体裁だけを取り繕っているだけ」と切り捨てた。
最後に再生可能エネルギーの拡大に関して、「メガソーラーなど森林を伐採してまでやることではない」とし、国として規制をかけるべきだと指摘した。
次に、海外ゲストのベーベル・ヘーンさん(ドイツ・緑の党)から講演を受けた。ベーベル・ヘーンさんは「世界のエネルギーは、脱原発、エネルギー転換のチャンスである。」とし、ドイツの脱原発政策に至る経過と現状、そして課題について報告された。
ベーベル・ヘーンさんは、「原子力利用と軍事利用は関連がある。何故なら、原発は核兵器のための第一段であるからだ。ドイツや日本は核保有国ではない。しかし、技術を輸出している」と指摘した上で、「核のない世界を目指すなら原発をなくさなければならない」と訴えた。また、日本同様、ドイツにもフランスにも「原子力ムラ」が存在し、常にお金が絡んでいることも指摘した。加えて、「現在、ドイツの課題は、最終処分施設をどこに造るかということ。高レベルの放射性物質を有する『ゴミ』を保管するためには、100万年間安全に保管できる条件が求められる。その意味でも、原子力はコストがかかる。」と指摘した上で、「ドイツの電力事情で、地産、地消の発展が進み、130万人以上の人が発電していること。そのことで電気料金が安くなっているため、企業にとって魅力がなくなっていること。更には再生可能エネルギーの普及に伴って雇用拡大につながっている」と報告した。
結びに、「もう一つの地球は存在しない。だからこそ再生可能エネルギーを追求していかなければならない」と訴えた。
続いて、「福島からの報告」として、半沢周二氏(福島県平和フォーラム)から福島の現状が報告された。
半沢さんは、「国による避難指示区域の見直しで、年間被ばく線量を1mSvから20mSvに引き上げ、住民帰還を促している。国道6号線の全線開通や常磐自動車道の開通などが進められ、更に避難者などへの補償金打ち切りなどの政策が決められるなど、意図的な『フクシマの風化』が作り出されている。また、健康調査が実施され、37万人の18歳未満の子どもに、内部被ばく検査が行われ、126名の甲状腺がん、又は、その疑いがあると診断された。政府は因果関係は認められないとするが、政府への責任追及をしていかなければならない。また、18歳以下は医療費が無料となっているが、18歳を超えると自費で治療を受けなければならない。」と報告した。
会場には、265名が参加し、講演後と報告後にそれぞれ参加者からの質問を求め、全体で5名から質問があり、各講師や報告者から踏み込んだ考え方などについて応答がされた。
質疑応答の後、分科会のまとめを菅原運営委員が行い、「一つひとつの事実を踏まえて一人ひとりがしっかりと意見を持っていこう。」と呼びかけた。
最後に座長の赤木達男さんが「今年は被ばく70周年、原水禁結成50年の節目となる。『核と人類は共存しない』との森瀧さんの言葉を改めて?み締めたい。又、栗原貞子さんが亡くなって10年となる。栗原さんの詩に『8月の詩』があり、『一度目は過ちでも二度目は裏切りだ』という一節がある。私たちは、過ちをつくらないためにもしっかり運動をしていかなければならない。戦争法案、川内原発再稼働を阻止しよう。そして来年もこの場でお会いしよう。」と閉会あいさつで終了した。
2015年08月04日
核のない世界を求めて、全国からこの広島にご結集された皆さまの、熱い思いに、心から敬意を表したいと思います。基調提起の詳細に関しては、冊子をお配りしていますので、後ほど目を通していただきたいと思います。
310万人の日本人の命を失い、アジア諸国で2000万人とも言われる命を奪いながら、そして、ここ広島では、あの悲惨な原爆投下を経験しながら、しかし、戦後70年の年月を経てもなお、日本は「平和」とは何かを議論しなくてはならないのです。
安倍首相は「積極的平和主義」を標榜し、またも武力を持って「平和」を作り上げるかのような幻想を語っています。
過去にベトナムで戦争がありました。米国は、大義なき戦争に走り、同盟国として韓国は、集団的自衛権を行使し米国とともに戦い、5000人を超える若者を失いました。日本は、「平和憲法が集団的自衛権行使を許さない」として参戦しませんでした。結果として日本は、一人として命を失うことがありませんでした。このことは、卑怯なことなのでしょうか。血を流さないことが、国の引け目になるのでしょうか。 アジア太平洋戦争の後、幾多の戦争があり内戦がありました。その都度、多くの若者の血が流れました。しかし、日本は平和憲法の下、自ら銃を握ることを避け、戦争へ参加しませんでした。このことが非難されるのでしょうか。
安倍首相は、昨年のアジア安全保障会議(シャングリア・ダイアローグ)で、「ひたぶるに、ただひたぶるに平和を希求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました」と演説しました。この言葉は、明らかに間違っています。安倍首相が、何を意図してこのように発言したのか、私には理解できません。誰がどのように説明しようと、日本は、間違いなく1945年の8月15日までは、侵略戦争と植民地支配に明け暮れた「国家」だったのです。
日本国憲法の前文および第9条は、国際紛争を解決する手段として2度と決して戦争に訴えないことを誓っています。第一次世界大戦後の、パリ不戦条約の崇高な理想を、一国の憲法に具現化したものであり、そのことによって侵略国家の汚名を返上し、平和国家としての再スタートを切ったのです。そこには国のあり方を問う哲学がありました。
原水禁初代議長の森滝市郎さんは、哲学者として、被爆者として、人間として、広島・長崎の原爆投下の実相と真摯に向き合い、「二度と繰り返すまじ」の思いで、核廃絶の運動に邁進しました。人間として、被爆者として、哲学者として、「核」に向き合えば向き合うほど、どの国の核兵器であれ、核の平和利用であれ、何であれ、「核」が人間社会の崇高な理想と、人間の命の尊厳と、決して相容れない様相が見えてきます。
「力の文明」から「愛の文明」へ、1975年、被爆30年原水禁大会で、森滝市郎さんは「核と人類は共存できない」として、多くの仲間ともに、「核絶対否定」の考え方を提起するに至ります。核兵器はもとより核の平和利用である原子力発電も、その最初であるウラン採掘の現場から、使用済み核燃料の最終処分まで、搾取と、差別と、放射能による健康被害と、人間の尊厳を傷付ける行為に満ちたものであることを、多くの言葉を紡ぎながら明らかにしていきました。
2011年3月11日の、あの東京電力福島第一原発事故から、4年と4か月が経過しました。人間の日々の営みから、「命」を奪い、「生活の場」を奪い、「家族の団らん」を奪いました。そして、人間が積み上げてきた悠久の文化を奪い、人間のかけがえのないつながりを奪いました。全てを信じてきた何の罪もない人々が、仮設住宅の中で、そして故郷を遠く離れたアパートの中で、「なぜ」と自らに問い続けながらの暮らしを余儀なくされています。
誰が、このことに責任を取ったでしょうか。安全だとして原発推進に邁進した政治家は、東京電力の経営者は、自ら責任を取ったのでしょうか。東京地検が二度不起訴にした東京電力旧経営陣に対して、東京第五検察審議会が「原発事業者は事故につながる津波が万が一にも発生する場合があることを考慮し、備えなければならない」と指摘し、起訴すべきと再議決しました。当然の結果だと思います。事故の原因究明は、まだその端緒についたばかりです。そのことなしに、フクシマの復興はあり得ません。
安倍政権は、原発の依存率を2030年代においても20~22%に保つこととして、「新エネルギー基本計画」を策定し、各地の原発の再稼働にすすんでいます。8月10日にも、九州電力川内原発は再稼働すると発表されています。原子力規制委員会の田中委員長は、「規制基準に適合しても事故は起こりうる」「再稼働の是非は規制委員会は判断しない」と、何回も繰り返し発言しています。一方で安倍首相は「規制委員会が安全であるとした原発は再稼働する」との認識を示しています。私たちは、どうしてこの「原発は安全」という言葉を信頼することができるでしょう。そして今度も、誰が責任を取るのでしょうか。フクシマ以前の、原発の「安全神話」の時代に全く戻ってしまっています。
国際原子力委員会は、原発の稼働の条件に避難計画の策定を義務づけています。原発周辺自治体に対し、日本政府は避難計画の策定を義務づけましたが、しかし、どうしてそれが再稼働の条件にはならないのでしょうか。8月にも再稼働するとする川内原発周辺30km圏内の85の医療機関において、避難計画を策定しているのはわずか2施設となっています。これほどまでに「命」をないがしろにしていいのでしょうか。
フクシマでは、今、商工業者の営業補償、自主避難者への無償住宅提供、そして、避難生活者への精神的保障など全てを打ち切り、放射線量が高くても2017年度末までには、年間被曝量50mSv以上の帰還困難区域を除いて、全ての地域で帰還をさせるとしています。フクシマは捨てられる民、安倍政権の政策は「棄民政策」そのものだと思います。フクシマの思いの全てを捨て去って、事故をなかったことにして、原発の再稼働に邁進する。私たちの「命」は、かくも軽いものなのでしょうか。ヒバクシャの思いに寄り添い運動を展開してきた原水禁は、「命」の軽視を決して許しません。
2015年のNPT再検討会議において提案された、「核兵器は非人道的兵器であり、核兵器禁止条約制定への議論を求める」とするオーストリアの誓約文書には、107か国が賛成しました。ハン・ギムン国連事務総長も強く支持をしました。しかし、米国の核の傘の下、先制使用をも容認する日本政府は、賛成しませんでした。核兵器の非人道性は、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャの、高校生平和大使の強い訴えがあって、世界に定着していきました。そして、核兵器廃絶を多くの国が訴える状況を作り出しました。
しかし、核兵器廃絶の先頭に立つべき日本政府が、未だに核抑止力の幻想の中にあります。原水禁が指摘してきた核拡散につながる、核兵器につながる、プルトニウム利用つまり核燃料サイクル計画にも拘泥しています。核兵器の先制使用をも容認し、核兵器の保有を認める立場にいることは、ヒバクシャの思いに対する裏切り以外の何物でもありません。
今日も、参議院で「戦争法案」の審議が行われています。「自国の安全、いや自国の利益のためには、武力行使を辞さない」このことによって、どれほどの命が失われてきたでしょうか。私たちは全ての問題を、「命の尊厳」から語らねばなりません。貧困の問題も、差別の問題も、原発も、核兵器も、戦争も、全ては「命」につながっています。
森滝市郎さんは言います。
「原爆を生むような近代の文化を私は、『力の文化』と批評しています。『力』は必ず『力』によって滅びるというのが鉄則です。私は、『力の文化』を救うものとして『愛の文化』を、『慈の文化』を願い求めているのです。人間愛の土台の上にきずかれる文化のみが、『力の文化』の自滅を救い得るものと信じています」
原水禁は、福島原発事故以降、「一人ひとりの命に寄り添う政治と社会」を求めてとりくみをすすめてきました。そのことは、被爆30周年大会の森滝市郎さんの最後の言葉につながります。
「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていないのであります。」
戦後70年、原水禁結成50年、もう一度この言葉を噛みしめて、頑張りましょう。この決意を申し上げて、基調にかえさせていただきます。ありがとうございました。
2015年08月04日
ヒロシマというとき-被爆詩人・栗原貞子さんの詩が日本の侵略戦争の映像を背景に朗読されて、被爆70周年の原水禁世界大会・広島大会はグリーンアリーナ大アリーナ(広島県立総合体育館)に3400人の参加者を得て始まりました、第17代高校生平和大使だった中村祐理さんの司会で進行されました。犠牲者への黙とう後、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)はヒロシマやナガサキの被爆についての認識が風化している問題点を指摘、被爆者がかかえた問題がいまなお多大にあることに加え、安倍内閣による戦争法案制定の動きを強く批判、核兵器廃絶と戦争法案廃案を訴えました。
松井一寛広島市長のあいさつ(代読)や湯崎英彦広島県知事がメッセージが紹介された後、切明千枝子さん(広島県被団協)が被爆者の訴えを行いました。85歳になる切明さんは、戦前、15年戦争の申し子だった自分や軍国主義下の教育などを省みるとともに、被爆時に壊滅的となった街のなかで自分や周りの人たちをはじめみなが全身にやけどを負い、その治療もままならないまま、死に直面したこと。友だちや下級生の遺体を焼かなければならなかった体験を切々と語り、これが戦争であり、二度と起こしてはならないと述べました。
また、毎年、国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている高校生平和大使の活動について、第18代大使となった井上つぐみさんと脇原華怜さんが、それぞれの思いを語り、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。
福島からの訴えでは、福島県平和フォーラムの角田政志代表が、「原発事故から4年以上。11万人が避難生活を強いられ、不安と苦しみを続けている。もとの生活に戻せと県民は求めてきました。加害者である国と東電は被害者である県民の支援打ち切りを許してはならない。原発廃炉は県民の総意。脱原発の方向性を国に求めてたたかう」と決意表明しました。
大会の基調提案を藤本泰成・大会事務局長が行いました。安倍首相の「ひたぶるに平和を希求してきた」と称して日本の侵略戦争と植民地支配を覆い隠す姿勢を命を軽視するものとして強く批判、森瀧市郎原水禁初代議長が核廃絶の運動に邁進した姿勢を命の尊厳をもとにしたとりくみとして、その意義をさらに広げること。戦後70年、原水禁50年の言葉を噛みしめてがんばろうと訴えました。
つづいて大会に参加したドイツ、イギリス、ポリネシア、台湾、韓国、アメリカ、フィリピンの大人14人、子ども4人のメンバーが紹介されました。代表してアメリカの市民団体ピースアクションのポール・マーチンさんは、今年のNPT国際会議で最終文書採択できず失敗したこと、今後の課題といて核拡散がつづくなかでオバマ政権が核兵器削減できるかどうかと問題指摘するとともに、フクシマに数十年にわたるゴーストタウンを生み出した核の利用を許さない国際的な連帯を呼びかけました。
最後に参加者全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、佐古正明・広島実行委員長のあいさつでて閉会しました。広島大会は5日に分科会・ひろばや国際会議、6日に原水禁国民会議結成50周年記念シンポジウムが開かれ、長崎大会に引き継がれます。
2015年08月02日
福島原発事故を忘れず、核廃絶・脱原発を確認
被爆70周年原水爆禁止世界大会の福島大会が8月1日、いわき市の平中央公園で開催され、福島や東北各県をはじめ、全国各地から850人が参加しました。2011年3月の東京電力福島第1原発事故を機に、毎年福島で開催されて5回目の今年は、事故の避難者が多く暮らすいわき市で初めて開かれました。(写真左)
原爆や東日本大震災の犠牲者などに黙とうをささげた後、主催者を代表し、川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は、自ら長崎で被爆した経験をもとに「国家による原発被害に対する補償を明確にさせなければならない」と指摘、さらに「事故にも関わらず原発再稼働をめざし、さらに戦争法案を成立させようとする安倍政権に反対し、断固として平和を守ろう」と訴えました。
地元あいさつに立った角田政志・福島県平和フォーラム代表も「いまだに11万人が県内外に避難し。苦しい生活を余儀なくされている。放射性廃棄質の最終処分など何も決まっていない中で、政府は被害者に自立を強いて、補償を打ち切ろうとしている」と批判し、脱原発社会の実現を呼び掛けました。また、開催地のいわき市の清水敏男市長からも歓迎あいさつを受けました。
大会の基調提起を藤本泰成・大会事務局長が行い、特に「福島の今から考える フクシマを繰り返すな」として、「放射能被害は継続中で意図的な風化は許さない」「東電は被災者の暮らしに責任を持て」「国は被災者の健康に責任を持て」などの福島原発事故に対する責任を追求するとともに、「原発の再稼働を許さない」「破綻する核燃料サイクル」「原発輸出に反対する」「エネルギー政策の転換を」などと提起しました。
大会にはアメリカ、ドイツ、韓国からも参加があり、代表してドイツの緑の党の国会議員であるベーベル・ハーンさんは「ドイツでは原発の廃絶を決めたが、それは福島の事故によって原発に安全はありえないことを知ったことと、廃棄物の処理にめどがついていないからだ。そして、自然エネルギー推進で40万人の雇用を生み出した。これは平和への歩みだ」と強調しました。
被災者からの訴えとして、楢葉町からいわき市に避難している青木基・町会議員が、事故当時の混乱を生々しく語り、「避難先での病気悪化や孤独死などの災害関連死が1900人以上となって、直接死を上回っている。避難生活で家族の絆や地域の歴史・伝統が崩壊している。そうした中で楢葉町は9月にも避難指示の解除をしようとしているが、病院や介護などのインフラが完備しない中では生活が成り立たず、若い世代も戻ってこない。国が最後まで責任を持つべきだ」と苦しい実態を報告しました。
一方、毎年、全国の高校生が国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている「高校生平和大使」に今年選ばれた白河高校の鈴木愛望さんは「被災地の実態を訴え、核や戦争のない地球を作る手伝いをしたい」と元気に決意を述べました。
最後に大会アピールを確認し、集会後、参加者は横断幕やのぼり旗を持ち、市の中心部をデモ行進しました。
講演会やフィールドワークも行われる
1日は、デモ行進が終わってから、再び参加者が集まり学習集会が開かれ、弁護士で、最近は映画監督としても活躍する河合弘之さんが「日本の原発の行方」と題し、原発を推し進めようとする、電力会社を中心とした、原発メーカー、ゼネコン、商社などの経済界、銀行、御用学者、メディア、そして経産省や原子力委員会、自治体、関係労組などによる「原子力ムラ」の構造を説明し、「これらの言い分をすべて論破するために、『日本を原発』という映画を作った。すでに500回以上自主上映している。ぜひ各地でも上映会を」と呼び掛けました。(上写真右)
また、2日にはフィールドワークが行われ、原発のある大熊町や双葉町をはじめ、周辺の町村を訪ねました。多くの地点は放射線量がいまだに高いため、車窓からの視察になりましたが、徐染が行われ廃棄物を入れたフレコンバッグの山が各所に見られ、事故当時のままで無人となった家屋や草木が生えた田畑などが続いていました。特に原発の近くの高速道路上の空間線量は、許容限度をはるかに超える5マイクロシーベルト以上を表示しており、収束にはほど遠い実態が明らかになりました。
車窓からは第1原発の排気筒やクレーン、廃棄物の中間貯蔵施設が予定されている広大な原野、道路脇から住宅などにつながる道や玄関前は全てゲートが付けられた異様な光景が続いていました。
参加者からは「こんな実態の中で、政府や自治体は避難者の帰還をなぜ強引に進めようとしているのか」「フレコンバッグの耐用年数が来たらどうするつもりか」など、多くの質問や意見が出されました。説明にあたった、いわき実行委員会の担当者からは「先が見えない孤立感から自殺者も多い。この現実をどうか忘れないでほしい」と訴えがありました。(下写真左は常磐線「富岡駅」前、背後にフレコンバッグの山。右は双葉町の原発推進の看板、道路にはゲート)