2016年原水禁大会被爆71周年原水禁世界大会

原水爆禁止世界大会・長崎大会 基調提案(藤本泰成・大会事務局長)

2016年08月07日

   ご紹介いただきました。大会実行員会事務局長、原水爆禁止日本国民会議の藤本です。全国から、熱い熱い長崎へ、多くのみなさまに、原水禁長崎大会に、参加いただきました。本当にありがとうございます。また、原水禁長崎実行委員会の皆さまのご尽力に対し、心から感謝を申し上げます。

   基調につきましては、皆さまのお手元に配布をさせていただいております。時間の関係もあり全てに触れることはできません。後ほど目を通していただきたいと思います。ここでは、私の思いも含め、若干の課題に触れて、基調の提起とさせていただきます。

   本年、5月27日、バラク・オバマ米大統領が、現職の大統領として、初めて被爆地広島を訪れました。長崎にも是非足を運んでいただきたいと思います。

   オバマ大統領は、平和公園に立って、戦争被害者に対して哀悼の意を示すとともに

   「1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません」

とのスピーチを行いました。スピーチには、被爆の実相から目をそらすこと無く、米国の道義的責任を自覚する、自省に満ちた言葉がありました。私たちは、米国を中心とした核保有国が、「核兵器の非人道性」を深く自覚し、核兵器廃絶への確実な一歩を踏み出すことを、心から求めます。

   長く平和市長会議を牽引し、核廃絶にとりくんできた、秋葉忠利広島原水禁代表委員・前広島市長は、「広島を訪れて世界観が変わったというアメリカ人は多い」、オバマ大頭領が広島を訪問したことによって、原爆投下への考え方が米国でドラスティックに変わってきていると話されました。多くの国の為政者が、広島を、長崎を訪れ、被爆の実相に触れていただくことを心から期待します。

   オバマ大統領が今、任期満了を控えて核廃絶へ一歩踏み込んだ政策を考えているとの報道があります。核兵器廃絶へ、米国は紛争において最初に核兵器を使うことはしないなどとする「先制不使用宣言」や核兵器の「即時警戒体勢の解除」など、具体的な施策の実現を求めます。

   しかし、一方で、日本政府は、自らの安全保障のために、米国の「先制不使用宣言」に反対していると言われています。

   戦争被爆国として「核廃絶」を主張する日本が、オバマ大統領の「核なき世界」への道の障害になってはなりません。日本政府のそのような姿勢は、塗炭の苦しみの中から、二度と被爆者を出してはならないと核兵器廃絶に声を上げ続けてきた被爆者への裏切り以外の何ものでもありません。

   私たちは、そのような日本政府の姿勢を決して許しません。

   さて、原水禁大会の場で聞くのは、いかがなものかと思いますが、日本は核兵器を持っている国なのか、持っていない国なのか、どちらでしょうか?

   昨年10月20日、国連総会第1委員会において、中国の軍縮大使は、「日本は48トンのプルトニウムを保有している」「核武装を主張する政治勢力が存在する」「意図すれば短時間で核保有国になることができる」として、日本のプルトニウム利用政策をきびしく批判しました。日本側が反論し非難の応酬となっています。

   安倍政権は、福島第一原発事故以降も、エネルギー計画の基本に、使用済み核燃料の再処理によって得られるプルトニウムを、高速増殖炉やMOX燃料として通常の軽水炉で利用する「核燃料サイクル計画」を位置づけています。

   日本は、NPT加盟国の非核保有国の中で唯一再処理を認められ、現在国内外に48トンものプルトニウムを保有しています。プルトニウムはご存じのように原子爆弾の原料であり、48トンは、長崎型原子爆弾に換算して約6000発に相当します。

   しかし、この「核燃料サイクル計画」を担うとされる、六ヶ所再処理工場は23回目も完工が延期され、高速増殖炉もんじゅにおいても、1995年のナトリウム漏れの事故以降、事故や点検漏れなどの不祥事が相次ぎ、原子力規制委員会から運営主体の変更も迫られています。どちらも、先の目処が立たない状態です。

   オバマ米大統領は、就任以来「核セキュリティーサミット」を開催し、核テロの可能性に触れて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張してきました。この間、米国の様々な場面で同様の発言があいついでいます。

   原水禁は、「東北アジア非核地帯構想」を提起し、その議論を重ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国が核兵器を開発し、日本が48トンものプルトニウムを保有しいつでも核保有国になり得る条件を確保している中で、韓国も、再処理を認めるよう、米韓原子力協力協定の再交渉で強く要求しています。

   被爆国日本として、先の目処も立たず破綻したとしか考えられない「核燃料サイクル計画」プルトニウム利用計画を、早期に放棄しなくてはなりません。「廃炉という選択肢は現段階でまったくない」とした馳浩文部科学大臣の主張を、許すことはできません。

   福島原発事故から5年を経過して、福島第一原発は、全く手のつけようがない状況が続いています。溶融した燃料は、只ひたすら冷却し続けるだけで、取り出すことはかないません。原子力損害賠償・廃炉等支援機構からは「石棺」などの言葉も飛び出し、福島県民の大きな批判を浴びました。放出される放射能と大量の汚染水は、環境と県民の健康への脅威となっています。

   このような中で政府は、2017年度末を目途に、帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示の解除を行い、同時にこれまでの補償を打ち切ることも示しています。
 仕事や学校と、避難先での生活が定着してきた中で、帰還しても病院や学校、商店など生活環境が整わず、また20mSv/yという放射線量や放射性物質を含む除染廃棄物などを包んだ黒いフレコンバックの山など、健康への大きな不安、帰れない人、帰らない人、この間、避難指示が解除されても人々の帰還はすすんでいません。政府は、環境の問題に対して正しい情報を明らかにしなくてはなりません。そして、人々の思いや不安を無視した一方的な帰還を強要してはなりません。それぞれの選択に対して、十分な保証を行うべきです。

   2011年の10月から、事故当時18才以下であった子どもの甲状腺に関する調査が行われてきました。2016年3月現在で、173人が甲状腺ガン又はガンの疑いと診断されています。経過観察が必要な子どもたちは1400人を超えています。この事故が無ければ、子どもたち全員の甲状腺検査の実施も必要もなかったでしょう。甲状腺ガンと事故の因果関係を議論するまえに、国が事故の責任を自覚し支援を強化していく必要があります。

   今年、4月、熊本県において震度7を記録する地震が発生しました。活断層上の益城町では、1580ガルの震動を記録しています。稼働中であった隣県の川内原発の基準値振動は620ガル、今回動いた日奈久・布田川断層帯の延長線上、中央構造線に沿って立てられている伊方原発では、650ガルとされています。これで十分なのでしょうか。

   2000年の鳥取西部地震は、地震の空白域で発生し、地震動は1135ガルを記録しています。2008年の岩手・宮城内陸地震も同様で、未知の断層で発生し、上下の地震動はなんと3866ガルと言われ、ギネスブックでも世界最大と認定されています。

   「大飯原発で想定される地震の揺れは、過小に評価されている」とした原子力規制委員会の島崎邦彦前委員長代理の指摘を、原子力規制委員会は、7月28日、「根拠がない」として一蹴しました。防波堤を越える津波の予想を黙殺し、メルトダウンという甚大な被害を引き起こしたたった5年前の福島第一原発事故を忘れたのでしょうか。

   安倍首相は、2006年12月の国会答弁で「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない)原子炉の冷却ができない事態が生じないように、安全の確保に万全を期しているところである」と述べています。政治家として、当時の首相としての発言に、いったいどのような責任を取ったのでしょうか。誰も責任を取らない無責任な原発政策は、未だ止まることはありません。

   現在放映中のNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルになった大橋鎭(しず)子さん」が創刊した「暮しの手帖」と言う雑誌があります。その初代編集長が、反骨精神に富み、数々の逸話を残した花森安治さんです。

   軍隊生活の体験から、1970年の「暮しの手帖」10月号に「見よぼくら一銭五厘の旗」という詩を残しています。一銭五厘は、戦時中のはがきの値段、いわゆる召集令状の値段です。

満洲事変 支那事変 大東亜戦争

貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞと

どなられながら 一銭五厘は戦場をくたくたになって歩いた へとへとになって眠った

一銭五厘は 死んだ

一銭五厘は けがをした 片わになった  (※本人の表記のママとしました)

一銭五厘を べつの名で言ってみようか

<庶民>

ぼくらだ 君らだ

民主々義の〈民〉は 庶民の民だ

ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ

ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら

企業を倒す ということだ

ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら

政府を倒す ということだ

それが ほんとうの〈民主々義〉だ

政府が 本当であろうとなかろうと

今度また ぼくらが うじゃじゃけて見ているだけだったら

七十年代も また〈幻覚の時代〉になってしまう

そうなったら 今度はもう おしまいだ

   広島大会の基調提起でも申し上げましたことを、もう一度、話させていただき最後にしたいと思います。

   今、日本社会に必要なのは、一人ひとりの命の側に立つことなのだと思います。原発も、核兵器も、沖縄も、戦争法も、そこから考えると自ずと答が見えてきます。

   私たちは、正しい。私たちが、ひとりの命ある人間であるからこそ、私たちは、正しい。と、私は思います。

   9日まで、長崎大会での、皆さまの真摯な議論に期待を寄せて、大会基調の提起といたします。

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