2019年、原水禁大会、注目記事、被爆74周年原水爆禁止世界大会
核兵器廃絶へ 原水禁世界大会・広島大会はじまる
2019年08月04日
「核も戦争もない平和な21世紀に!」―被爆74周年原水爆禁止世界大会・広島大会が8月4~6日の日程で始まりました。
毎年、最初の行動は「折鶴平和行進」(上写真)。全国を回った「非核平和行進」を受けて、平和公園原爆資料館前に集まった全国の参加者は、横断幕を先頭に、のぼり旗などを持ちながら広島市内を行進。子ども連れの参加者も目立ち、「核兵器を廃絶しよう!」「原発の再稼働は許さない!」「被爆者の支援を!」などと、炎天下にもかかわらず、コールを繰り返しながら、県立総合体育館まで元気に歩きました。
トランプ・安倍政権へ厳しい批判
県立総合体育館で行われた開会総会には1900人が参加。原爆犠牲者への黙とうに続き、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(上顔写真左・原水禁国民会議議長)は「地球上に存在してはならない核兵器がいまだ1万4千発もあり、さらにトランプ米大統領はイランとの核合意やロシアとの中距離核戦略(INF)からの離脱を表明。8月2日にINFは失効した。来年の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議も成果が期待できない」と、厳しい情勢を指摘。「特に2017年に国連で採択された核兵器禁止条約に安倍政権は反対し、国内世論も盛り上がっていない。今こそ私たちの運動の真価が問われるときだ」と訴えました。
松井一寛・広島市長(代理出席)、湯崎英彦・県知事(メッセージ)からの来賓あいさつの後、大会に参加した多数の海外ゲストが紹介され、代表して米国ピースアクションのスージー・アリゾン・リットンさん(上顔写真右)が「核兵器は気候変動と並び世界の人々を恐怖に陥れている」とトランプ政権を批判し、「しかし力による安全保障は真の安全につながらない。全ての人たちの幸せのために連帯して運動を続けよう」と呼びかけました。
被爆者の実相を伝えよう
被爆者の訴えを、広島県被団協・被爆を語り継ぐ会の高品健二さん(上顔写真左)が行いました。高品さんは8歳の時に爆心地から2.5キロの所で被爆。「外で遊んでいて青白い光を見たと思ったら、10メートルほど飛ばされていた。父はすでに満州で戦死しており、母も放射線を浴びて1週間後に白血病で亡くなった。残された自分も被爆したことで辛い思いを続けてきた」と経験を語り、最後に「こうした犠牲は私たちを最後にしてほしい。そのため命のある限り語り継ぎ、思いを世界の人たちに届けたい」と述べました。
毎年、全国の高校生がジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器廃絶を訴えている高校生平和大使は、今年は第22代を迎え、広島県内から選出された牟田悠一郞さん、北畑希美さん、松田小春さんが登壇し、代表して牟田さんが「私の祖父が原爆を経験したことから、若い世代がこれからもっと学び、伝えていかなければならない」と決意を述べました(上写真)。
2011年3月の福島第1原発事故の問題で運動を続ける福島県平和フォーラムの瓶子高裕事務局次長が、7月27日に開かれた原水禁福島大会を報告するとともに、「福島第2原発の廃炉が決定し、県内全ての原発が無くなるが、廃炉までの長い工程や廃棄物問題、さらに被災者の健康と生活再建など課題は山積している」と、さらなる支援を呼びかけました。
大会の基調を藤本泰成・大会事務局長が行い、核兵器をめぐる世界の状況、核の商業利用(原子力エネルギー)の現状、ヒバクシャ・核被害者への援護と連帯について当面する課題を提起し、「命の尊厳を基本に闘いを前進させよう」と訴えました。大会の基調はこちら
大会は「原爆を許すまじ」を全員で合唱し、金子哲夫・広島県原水禁代表委員が「被爆の実相という原水禁の原点を学び運動する大会にしよう」と閉会あいさつを行いました。(下写真は合唱する参加者)