2011年、分科会報告、原水禁大会
【66大会・報告】長崎第8分科会/見て・聞いて・学ぼう"ナガサキ"-入門編-証言と映像による被爆の実相と平和運動交流-
2011年08月08日
この分科会の参加者は180人、初参加者はほとんどの人、2回目11人、3回目以上10人、でした。
また、北海道B4人、東北B2人、関東B16人、東海・北陸B15人、近畿8人、中国・四国B12人、九州B50人でした。
ビデオ上映 君たちはゲンバクを見たか
原爆投下で一瞬にして約20万人が死んだ。原爆の恐ろしさ、悲惨さがわかり、投下後も苦しみながら生きてきた。戦後66年たっても被害は続いている。ゲンバクを語り後世に引き継いで原爆を無くしていくことが重要です。
講演 山川 剛(たけし)さん(長崎県原爆被爆教職員の会)
広島の原爆はウランで、長崎の原爆はプルトニュウム。
原爆は投下された。この“投下された”ことが重要です。
1.私のこどものころ
戦争になると世の中はどうなったか
写真などの資料を見る
①日本人ならぜいたくはできない筈だ=お前はそれでも日本人か?
②竹槍訓練中の女性たち
③鬼畜米英
④断崖から身を投げる女性=命が粗末に扱われた
⑤クニヲマモレ=強い体をつくれ
教育が戦争につかわれた。
2.私の8月9日
防空壕の向きが重要だった。
①板壁に焼き付いた影(4km地点ではしごと兵隊、ベルト跡が残る。
②私が歩いた爆心地
③被爆前(8月7日)の爆心地
④被爆後(8月12日)の爆心地
⑤爆心地の被爆した人は骨だけか何も残らない
爆心地から1kmで被爆した人は内臓の水分も蒸発
爆心地から4kmでは爆風で家の中が散乱
3.被爆者の願いはなにか
2度と被爆者をつくらない=核兵器を「0」にする
4.願いは実現できるか
憲法は国に戦争をさせない。コスタリカ、スイス、スェーデンに学ぶことはないか?20数カ国は軍隊を持たない国がある。長崎の高校生は「私たちは、微力だけど無力ではない」が合言葉ですが、このことが重要です。
※質疑は横浜
戦災と原災のちがいは?戦災は罹災証明書が発行されたが、原災は原災証明書が警察官から発行された。また、原災は被爆2世、3世・・・まで被害が続くと考えられる。
講演 西岡 由香さん(漫画家)
「放射能ってなに?」をQ&Aで学んだ。内容がわかり易く且漫画がふんだんに使われていたので興味をひいた。基礎編としてこの分科会(初参加の人がほとんど)に合っていた。特に、放射性物質がチェルノブィリの7分の1、広島の114倍が放出されたことに驚いていた。
※フロアからの意見
長崎、北海道から平和の火リレーの継続や原子力潜水艦の危険性、子どもとつながる、子どもをつなぐことが大切という報告。
最後に、今日、第8分科会に集まり学習したことを基礎編として、もっともっと深く掘り下げていくことで真実が見えてくることを確認し、終了しました。