2011年、分科会報告、原水禁大会
【66大会・報告】広島第4分科会/ヒバクシャを生まない世界に1―学習編「世界のヒバクシャの現状と連帯のために」
2011年08月05日
参加者80名。講師にフォトジャーナリストの豊崎博光さん。
豊崎さんは、核兵器、核燃料製造の流れについて説明があり、核燃料サイクルというのはウソであり、最後にはゴミを生むだけで、ウラン採掘から運ぶ人、製造する人、多くの人が被害を受けるということ、それゆえに、ウラン採掘に対しても反対をしなければならないこと。採掘を止めれば原発も核兵器も無くなるとして、われわれは自身や津波を止めることはできないが、原発は止めることができると訴えました。
また、核実験が及ぼす被害は世界に広がっていること、また、チェルノブイリでもヨーロッパ全体、そして日本のお茶にも影響があったこと。同じように福島の事故も世界中に被害を与えていることの説明がありました。そして、福島で考えなければならないのが、長期間放射能を浴びることからくる健康被害。そして、どのような影響があるかわからないことからくる、心の被害が大きいこと、そして差別問題であると指摘がありました。続いて、私たちは核を使わないようにしていくこと、被曝者をどうやって救済していくかが重要であるとの話がありました。
海外ゲストのアントン・ブドビチェンコさんからは、自身が9歳のときに起きたチェルノブイリ事故の状況について話がありました。時が経つにつれて、国は事故のことを忘れさせるために、救済のプログラムがオリンピック等のイベント費用捻出に切り替えられていったことを語り、そのため、自分たちで何かをやろうと、ドイツのNGOの援助を受け、「チェルノブイリの子どもたちのために」というNGOを結成したことを説明しました。その活動は、障がいを持つ子どもたちのためのリハビリセンターや学校をつくること、汚染地域から離れるためのサマーキャンプや、健康調査も行い、これまで約1万人の検査を行ったといいます。そのうちの約7割の子どもが何らかの健康障害を受けているそうで、福島についても、チェルノブイリの経験を生かした対応が重要ではないか。自分も未来の子どもたちのためにがんばりたいという話がありました。
9歳のときに体験したチェルノブイリ事故について語ったアントン・ブドビチェンコさん(左)
福島からの報告(福島県平和フォーラム・国分俊樹さん)
国分さんからは涙をかみしめながら、自分の住む郡山について話していただきました。特に、家族のためにどうしたらいいのか、苦しい胸のうちと、自分自身のストレス障害について話がありました。
また、原子力に携わった人たちへ「核利用には軍事利用も平和利用もない」と怒りを表明しました。
それから2つの提起があり、1つは木造家屋は放射線が強く、子どものいる家庭はすべて除洗するべきであること。2つめは学校給食では地産地消として、地元の作物が使われているが、食物を通した内部被曝が
心配であり、安全なものを使わせてほしいというものでした。
その後、参加者との意見交換に入り、チェルノブイリの取り組みの具体的な点や福島へのアドバイスを求める意見、学校給食では、いま何が問題であり、対応できないのか。チェルノブイリで行われている健康調査の結果や、その後の対応についてなどのやり取りがありました。
最後に豊崎さんから、これまでこういった事故が起きたらどうなるか、ということで訴えてきたが、現実になってしまい、非常にくやしくてつらいという想いが語られました。