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1999年9月30日に起きた東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故から12年。社員2人が死亡し、住民ら666人が被曝し、30万人が屋内退避した事故でした。事故の記憶の風化に抗して「JCO臨界事故集会」を毎年原水禁や原子力資料情報室などの4団体で開催してきました。今年は10月2日、水戸市内の「自由広場」で行い、500人が参加しました。集会には福島からも駆けつけ、関東各地からも多くの参加者が集まりました。 集会では、地元あいさつの中で茨城平和擁護県民会議の川口玉留会長が、「JCO臨界事故の教訓が福島でいかされなかった」、「東海第2原発の運転再開を認めるわけにはいかない」
人の命を超える国策などはあってはならない東海村長 村上 達也 ついに危惧していた事故が起きてしまいました。昭和20年科学者中谷宇吉郎博士は人類の原子力利用に「地球上ではその創生以来堅く物質の究極の中に秘められていた恐るべき力。人間は開けてはならない蓋を開けてしまった」と警告していた、そのことを日本人自らの手で起こしてしまいました。この福島原発事故の前に1979年アメリカスリーマイル島原発で、そして旧ソ連チェルノヴィリ原発で恐るべき事故が起き、多くの被曝者、犠牲者を出していたのに。そして東海村でも1999年にJCO臨界事故が起こり2名の死者、多くの一般市民の被曝者を出していたのに、なんてことでし
JCO臨界事故12周年集会アピール 2011年3月11日、大地震とともに原子力施設にも甚大な被害が生じました。福島第1原発事故によって大量の放射能が大気、海洋に放出され、日本国内だけでなく多くの国にも汚染を拡げ、東京電力、政府は、世界に対しても加害者の立場となりました。 私たちは、原子力が計り知れない危険性を持ち、人類の生存を脅かすものであり、「核と人類は共存できない」と批判し、警告し続けてきましたが、残念ながらJCO臨界事故から12年、チェルノブイリから25年を迎える年に福島第1原発事故が発生してしまいました。 大量の放射能が放出されて、汚染地域ではそのときから被曝と向き合う悩み、苦しみが
●「さようなら原発」─6万人が集まり9.19集会開かれる 再稼働を許さない意志を1000万署名につなげよう! ●経済と環境を両立させた脱原発政策をめざす ドイツ連邦議会議員・緑の党会派 副代表 ベーベル・ヘーンさんに聞く ●キャラバンと全国集会を開催 上関を「脱原発」の大きな転換点に 原水爆禁止山口県民会議 事務局長 大久保 弘史 ●レイキャビク会談25周年を迎えて(1) 核兵器廃絶への展望を考える 「さようなら原発」─6万人が集まり9.19集会開かれる 再稼働を許さない意志を1000万署名につなげよう! 東京・明治公園を埋め尽くす全国からの参加者。 入りきれない人々の列は最寄りのJ