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3月1日、全国各地から300人が集まり、静岡市内の静岡県勤労者総合会館6F大ホールで「被災57周年3・1ビキニ・デー全国集会」を開催しました。川野浩一・原水禁議長と鈴木修・静岡県平和・国民運動センター会長によるあいさつに続いて、医師で「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」などで活動する振津かつみさんから「チェルノブイリ原発事故から四半世紀―あらゆるヒバクシャと連帯し、ヒバク被害のない世界をめざして」と題する講演と提起があり、医師として大阪に在住する広島・長崎の被爆者と接する中で、放射線の影響について学んだことや、チェルノブイリ事故から四半世紀を経てなお残るヒバクの影響などについて話されました
被災57周年3・1ビキニデー全国集会へのメッセージ(焼津市長、マーシャル大使)
「メッセージ」 本日、「被災57周年3・1ビキニデー全国集会」にあたり、一言ご挨拶を申し上げます。本市焼津港所属の第五福竜丸がアメリカ合衆国の水爆実験により被災してから、本年で五十七年が経過しました。以来、今日まで、世界各国の多くの人達による熱心な核兵器廃絶運動にもかかわらず、今もなお多くの核兵器が地球上に存在していることは本当に残念でなりません。 昨年は、本市にとって、核兵器廃絶に向けた特別な一年でありました。5月にニューヨークで開催されましたNPT再検討会議に平和市長会議代表団の一員として参加し、73,997人もの焼津市民の署名を国連上級代表に直接手渡し、市民の熱い想いを伝えてきました。
1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験は、マーシャル諸島住民の生活を根底から破壊するとともに、周辺海域で操業していた多くの漁船に多大な被害を与えました。なかでも第五福竜丸のヒバクは日本に大きな影響を与え、幅広い原水爆禁止運動として全国に広がりました。 あの衝撃的な事件から半世紀を超えたビキニ事件は、けっして過去のことではありません。ビキニ事件に先立つ1945年8月、広島・長崎に原爆が投下され、一瞬にして筆舌に尽くしがたい惨状の中で多くの命が奪われました。生き残った人々も未だに癒されず、その苦しみを背負い続けています。さらに今年はチェルノブイリ原発事故の惨事からも25年目を迎